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あさごはん食べよう

あさごはん食べよう

夢から覚めたくなかったんです。

わたしは本当に本当に朝が嫌いだから。
何もできないんです。朝は特に難しい。自己の無力さを1番感じる時間だと思う。
死んだようにコーヒーを淹れて、死んだ目で飲んで、死んだ舌でそれを味わうだけ。苦味と酸味と絶望の味。ただコーヒーと煙草だけは朝の習慣と化しているからもう体に染み付いてしまった。
食欲もない、動けない。やりたいことや、やらなくちゃいけないことはいっぱいあるのに。
鬱の王様が私を攫いに来る。

朝の魔物は目覚めと共にわたしの生きたいって気持ちをぎゅうを押し付けて、すぐさま胸が苦しくなって呼吸ができなくなる。外が明るい、そんな地獄。みんなも分かるよね、夜明けの日差しのあまりにも強い力と、夜に終わりを告げなきゃいけない悲しさと。

また憂鬱の1ページを捲るのが嫌だった、好きでもない友達に貸してもらった読みたくない本みたいに。日々の始まりはいつも朝だ。

無駄に朝を重ねてこれ以上無駄に歳を取れというのか。朝はいつも残酷だ。死んでもいいと思えた夜から明けた朝は特に苦しい。希望の朝なんてどこにあるんだろうね。

そう思っていた。

だが、そんな私にも思わぬ救いがあった。

それは、
「あさごはん」だった。

とある朝、起きたくない、起きたくない、と駄々を捏ね続けたのちに、眠い目を擦ってずるずると階段を降りていくと私の目の前にはあまりにも美しい食卓があった。

炊き立ての艶やかな米と、
香り立つ大根の味噌汁、ネギが散らしてある。
筋子、めかぶや、玉ねぎを刻んで入れた納豆。
焼きたてのいまにも脂が滴る鯖、
赤パプリカ、黄パプリカ、茄子、オクラ、ズッキーニの焼き浸し。
漬物ははりはり漬けと胡瓜。
小松菜を茹でて、豚肉で巻き、味噌などで味つけたものまである。

朝は食欲がない。からっきしない。
だが、私は抗えなかった。その美しさ、視覚的に「あまりにも美味しそう」と思った。神様が用意してくれた食事かと思った。

「おはよう、ご飯できてるよ。コーヒーも沸いてるよ。」

なんて美しく優しい言葉なんだろうと思った。
他人を思う言葉で、なんて1番救ってくれる言葉なのだろう、と甘美な響きを感じていた。
聖母のような優しさでわたしの最愛の人が微笑む。
幸福を感じる脳機関が、まさに今が絶頂だと伝えてくる。

家族3人で食べるあさごはんは格別だった。

漬物からいこう。目が覚めるからね。パリッとした濃い味は次に食べるごはんへ繋いでくれる。玄米を食べる。玄米のパラパラ加減とねっとりとした食感のバランスは最高だ。
朝から鯖は重いが、半身を食べる。脂が滴る。でもしつこくない。塩鯖の甘味と塩味が調和してまた玄米を食べたくなる。
私が起きるのが遅いから、納豆は作っておくらしい。冷蔵庫に入れていたから冷たくて美味しい。もう一度かき混ぜてめかぶと共に喉にかきこむ。
納豆を食べた後は箸を洗うので、お味噌汁を飲む。大根は細切りで、程よく熱が通りシャキシャキとホロホロの間。完璧だ。刻んだねぎの香りが立つ。
筋子は塩味と魚介の香りが好きだ。玄米泥棒である。
小松菜の豚肉巻きは、味が濃くなく薄くもなく朝にはちょうどいい。シャキッとした小松菜の歯応えが豚肉の重さを緩和する。
最後に焼き浸し。ズッキーニがお気に入り。味が1番染みている。オクラもいい。パプリカの染みてる部分と、パプリカ自身の香りや歯応えが残ってるところもいい。何より彩りが良いので更に食欲を刺激する。

私の目の前で最愛の人がご飯をかきこみ、2杯お代わりする。これ美味しいねって2人で笑う。最後、焼き浸しの出汁をご飯にかけて、さっきの半身のほぐした鯖を入れる。大根おろしや生姜なんてあったらもう。そうして最愛の人はまたご飯をかきこみ、私より先に「ご馳走様。」と言う。
愛おしい。

私も真似してやってみた。脂の乗った鯖をほぐし、玄米に振りかける。焼き浸しの出汁は野菜の甘みや焼いたことによる燻しの香りを吸っているから、それをご飯に全部かけてしまう。それだけでもいいのだが、大根おろしやおろししょうがを乗せて更にその味わいと香りを引き出そうと狡いことをする。鯖のしっとりした身はきゅっと出汁で締まり、脂っ気を感じなくなる。出汁は怒涛の旨みを凝縮し、鯖のほぐし身と玄米と共に喉を駆け抜ける。夏だ。夏の鯖茶漬け。一気にご飯が無くなると共に、満足感が心を満たす。

わたしの「あさごはん」を作ってくれるのは、いつも朝の早い主人、先ほどの最愛の人である。
私はこれで命を繋ぎ、朝に絶望せずに済むのだ。
死にたくなった夜だって、死んでもいいと思った夜だって、
「明日の朝ごはん楽しみだな」といって
日々眠りに落ちる。

美しい食卓はわたしの最愛の人の美学でもあって、私のことを1番笑顔にするものでもある。
「愛してるを行動で示して」って言うこともあるけど、これが愛だなって思う。
その人の笑顔が見たい、幸せにしたい。
それはわたしにとっての「あさごはん」だった。
そして、家族でうつくしい時間を過ごす。
3人で和気藹々と「あさごはん」の時間を過ごすこと。
尊くて、何にも替えがきかなくて、愛すべき時間を。

わたしはいつもの絶望のコーヒーを飲み、それの味がいつもと全く違うことに気がつく。
これが希望の朝だ。今日はもう少し頑張ってみるか。
そう思いながらお皿を適当に洗って、神様がくれた美しい朝に感謝をする。

煙草がいつもより美味しく感じた。
今日も甘美な朝だ。

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