時計の針は進む、それでも「また明日」と言う
今日は本当なら新潟でひなたのイベントに出ているはずでした。
突然キャンセルしてすいません。父が亡くなって今日葬儀でした。
大病を何度も跳ねのけていた父は
「俺はゾンビと呼ばれている」
とよく笑っていました
今回もちょっとした検査入院のつもりでした。
ちょっと記憶があいまいなので振り返りたいと思います
3月は二人目のジャイアンの新しいリリースのためのキャンペーンや、ツアーの準備。そしてRABのTDC HALLの準備が始まり、さらにミュージックカードやそれに関連づいたERA RECORDのイベントの立ち上げやそこに紐づいたアーティストのプロデュースなどわくわくすることが沢山動いていました。
そこでまさかの4月に入る直前喉を傷めます。4月1日のRABバンドリハではほぼ歌えませんでした。遅れていた4月2日のレコーディング。まさかの1曲も録れないかもしれないコンディション。なんとか1曲だけREC完了。
4月3日ラジオ収録と打ち合わせが3本。4月4日MVの撮影。プロデュースでもあるので最初にきて最初に帰る。合間でコメントどり。声が枯れる。合間で病院に。4月5日レコーディング。祈るように現場に向かう。声が出る!残り曲全曲REC完了!4月6日の予備日は休める。家で提出用の資料などまとめてなんとか調子が良くなった気がする。4月7日とぅーしスタジオ一回目。
4月8日RABバンドリハ、声が全くでない。どうしたことだ。そしてリハ中母からメッセージが届く
「父の状態が芳しくない。一度会っておいた方がいいかもしれない。」
翌日急遽山形に行く予定を立てる
4月9日病室に向かう。思ったより弱っている。でも意識がはっきりしているようにも感じる。今度またCD出すんだよ。頷く父。あと5年頑張るんでしょ?返事する父。意外と大丈夫かもしれない、そんな風に思った。父は危篤状態から何度も戻ってくるから、今回もそうだと。1時間くらい話して病院を後にした
やることがどうしてもあるのでその日のうちに東京に戻る。翌日は膝と腰のメンテだ。4月10日朝起きる、咳がとまらない。どうしたことだ。のどの炎症か?整形をキャンセルしてかかりつけの病院に。一応熱を測る。39度。まじかよ。コロナとインフルエンザの検査。両方出ない。一応母に連絡。そっちは大丈夫そうだ。
締め切りを待ってもらっている音源の締め切りは24時まで。ファンキー。KOUとエンジニア上ちゃんがラストの調整頑張ってくれてる。でもちょっと意識を失うくらいしんどいかも。よこちんに納品の段取りをお願いする。でもこの時の言葉は全く通じないくらい薄らぼんやりしていたようだ。あとから指示難しすぎたといわれる。見せてもらったら言葉本当に支離滅裂だった。四苦八苦しながら納品完了。安心して寝る。次の日CDの方の納品を指示だし忘れていることに気づく。電話で指示。よこに手伝ってもらいながらなんとか納品完了。
4月11日ついに40度に。体調不良のピーク。RABリハに行けないと連絡を入れて休む。治らない4月12日本当に申し訳ないけど休ませてもらう。
13,14合間を見て仕事。なかなか体調戻らなかったがようやく元気出てきた。父は少し良くなったなんて報告が来たりして、このまま意外とよくなったり?なんて希望も抱く
15日朝母から連絡。病院から呼び出しがかかった。状況を聞く。良くないようだ。お昼に電話はできるらしい。16.17はどうしても東京にいなきゃいけない。とにかくまずはラジオの収録。咳はまだ出るけどだいぶ良い。体調は良いけど声帯だけ傷んでいる感じ。収録後、衣装の打ち合わせまでの移動の時に母から電話。意識がなくなるかもしれない。TV電話で呼びかける。頷いている。また連絡するからと電話を切る。少し状態が良くなってきたと連絡。ゾンビだゾンビだと喜ぶ。
でもそれが最後でした。その1時間後眠るように目を落としました。4月15日16:15。
16日17日にゲネプロをして最終で父に会いに行きました。穏やかな顔で眠っているようでした。火葬をしてまた東京に戻り、TDCで仲間たちが夢をかなえた瞬間に立ち会い、誇らしく思いました。
まだ会社で現役で働いていたので今日4月27日は会社との合同葬儀でした。出れてよかった。
脳梗塞をやって、癌もやって、透析もやって、心臓も手術していました。
もう危ないかも。そういわれてから7年くらいかな。
逆に大した生命力で本当にすごい父でした。
エネルギッシュで仲間が周りに沢山いて、俺が似たところも沢山あります。
思ったことをすぐ言ってしまったり、天然でとんでもないことしたり(俺から見れば)似てないところも沢山あるのですが、音楽のことなんかさっぱりわからないのにずっと応援してくれる、してくれている優しい父でした。
高校生のとき、俺がテニスで国体の強化選手に選ばれたら「お父さんも壮年の部ででる!」と言い出して実際に出場してしまう行動力のある父さん。
もう、体が良くなることがないことはわかっていたので、スポーツが趣味で食べることが好きでサウナとお酒とたばこが好きな父は晩年しょげていましたが、沢山チャレンジした自慢の父でした。素晴らしい人生だったと息子ながらに思います。あっちで全部たらふくやれるね。
今回のアルバムのTICK TACKという曲は俺なりの応援歌でした。
安易に頑張れというのはなんか違うなって。
徒労に終わるかもしれないけど「また明日」って言えることにとても意味があるなって
父が旅立ったその日、なんだか眠れなくて夜中散歩しました
思い出の場所を歩きながら寂しさはあったけれど、父との思い出は笑えるものが多いので深夜に不審者散歩事件でした。
CDを出すと信じられないくらい買ってお友達にプレゼントしてくれてたり、ライブに遊びに来てくれたり、ずっと応援してくれていました。
新しいCDを渡すことはできなかったけれど、最後に話せてよかった。
願わくばもう少しだけ頑張ってほしかったけど、本当にお疲れさま。
また明日、父さん。
まさひろ
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