ストレイライトと強さと優しさと勇気
「力を持てば優しさを忘れてしまう。」
「力無き理想は夢物語、理想無き力は虚しいだけ。」
「勇者は力も有り魔法も使えるが、力は戦士に及ばず、魔法は魔法使いに及ばない。勇者の最大の武器は"勇気"。」
様々な創作物にて度々語られる力と優しさと勇気。
それらに当てはめてストレイライトの何に魅せられ、冬優子Pになったのか。
今回はStraylight run.を中心に少し記してみたい。
技術の天才・芹沢あさひ
冬優子を中心とするユニットの結成から物語は始まり、2人目のメンバー・芹沢あさひが合流する。
W.I.N.G.育成コミュ、Straylight run.において"1度だけ見たダンスを即座に完コピし、更に完成度を上げて自分のモノにしてしまう"ことや、
"冬優子が地道な努力を重ねている間に、スタッフやファンの心を即座に鷲掴みにする"といったカリスマを備えたあさひ。
そこに冬優子のような打算的な思惑はなく、ステージでは圧倒的なパフォーマンスで、企画では心から楽しさを求める行動から来る屈託の無い笑顔や愛嬌で人の心を掴む。
そのカリスマこそが彼女の象徴と思う。
そしてそこには、打算的に好感度を確保し、アイドルとして認められる為の地道な努力を行ってきた、冬優子のそれを飛び越えて余りある天才的な素質があったとも言える。
それは即ち、冬優子が求めていた努力の結果、そして大切にする愛嬌を生まれながらに備えていたということであり、冬優子からユニットセンターの座を剥奪する(悪い意味ではない)事象へと繋がっていく。
共感性の未就学
芹沢あさひは前述した通りの技術の天才。即ち「力」の象徴のように個人的には思う。
冬優子たちが幾らレッスンを重ねても到達しえない領域のステップやパフォーマンスを、あさひは瞬時に自分のものとして昇華する。
そのパフォーマンスで初見のファンを魅了し、ストレイライトのステージではあさひの知名度のみが上がる場面も幾つか見られる程。
そんな芹沢あさひにも欠点はある。それが、他人を思いやる気持ち──即ち「共感」だと自分は考える。
あさひの共感性について伺えるのがG.R.A.D.シナリオだと個人的には考える。
本筋は是非とも自身でプロデュースして見届けてほしい(めちゃくちゃ良いので…)が、その中の一幕において
「良いパフォーマンスをしていればお客さんは観てくれる。」というあさひに対して
「お客さんが良いパフォーマンスを見たいだけ人なら、その人はオペラやミュージカルを見に行くでしょ?」と返されてしまう。
かつてNHKのドキュメンタリーにて、仮面ライダーの新人スーツアクターに密着する回が実際にあった。
そこで新人俳優を指導するアクション監督も似たようなことを口にする。
「運動神経が良いだけの人を(ヒーローのスーツアクターとして)採用するのであれば、体操選手を連れて来れば良い。」
「カメラで切り取られる画角の中で何を表現するのか、何故それを貴方(当該俳優)に求めるのかを考えて成長してほしい。」と。
結論から言うと、ファンが求めるのは「私が見守ってきた芹沢あさひは凄いことが出来るんだ!」という気持ちと、ファンがアイドルと共に成長したり、成長を見守ってきたという想いであると個人的には思う。
しかし、芹沢あさひの中心にあるのは「自分が楽しければそれに勝ることは無い。」「その楽しい空間にたまたまファンやメンバーが居ればなお良いのではないか。」ということ。
その念頭に「お客さんはどう考えるだろう。」「冬優子はどう想うだろう。」「プロデューサーは何故こう言うのだろう。」と疑問を持ちながら行動する部分は未だ少ない。
とはいえ彼女は14歳の発展途上の人間であり、Straylight run.やG.R.A.D.を経ても未だその本質を捉えることは難しいとも思うため、その成長こそが芹沢あさひにとってのターニングポイントになるのではないかと踏んでいる。
共感の天才・和泉愛依
最後に合流した3人目のメンバーが和泉愛依。
パフォーマンスにおいてあさひは勿論、絶え間ない努力を行ってきた冬優子よりも練度は低く、また"本番では緊張してしまう"という弱点を持ち、その弱点を武器に変えてようやく並び立っている立ち位置のように思う。
愛依には歳上だけでなく、歳下の兄弟も数人いて、その様子は配布サポートSRでも伺える。
家族構成、メンバー構成のどちらにおいても次女的なポジションである為、歳下の兄弟の世話をやいてきた面倒見の良さから、主にあさひや冬優子の仲介を行う面もある。
満たない力、溢れる優しさ
そんな愛依の武器は誰かを思いやる優しさ、即ち「共感性」と考える。
冬優子が打算において「ファンが喜ぶポイントはこう!」「ここにこういう演出は必須!」と考えるタイプなのに対して、
愛依は持ち前の感性から困っている相手は放っておけず、助け合うのは当たり前。
プロデューサーを始めとして、誰かが大変な想いをしていればすぐに気が付く。誰も気が付かない所に気が付く、気が利く。それが和泉愛依の持ち味のように思う。
目の前の刹那を見るあさひ。全体を見る冬優子。そして人そのものを見るのが愛依の良さである。
そこにはファンもメンバーもスタッフもプロデューサーさえ垣根は無い。
たしかにパフォーマンスにおいては2人を追いかける立場かもしれない。
しかし、誰かを想えるというのはそれだけで才能であり、打算ではなく誰かの気持ち、そしてもう1人の自分にさえそれを感覚的に行える愛依は「優しさ・共感の天才」なのだ。
努力の天才・黛冬優子
芹沢あさひには冬優子より"力"がある。
和泉愛依には冬優子より"優しさ"がある。
力なき理想も、理想なき力もまた虚しいものである。黛冬優子の中には何があるのだろうか。
冬優子の本質は"臆病"である。と思う…。
プロデューサーとの出会いでも、starring Fにおいて冬優子が"ふゆ"というキャラクターを作るきっかけになった事象においても。
本来の自分である冬優子のままでは誰にも愛されない。アイドルになる前後においてもそう。そういった臆病さが彼女の人格を形成してきた。
アイドルとしての鍛錬も探究も、その根底にあるのは今のままでは愛されないという臆病さ故のものであるように思う。
臆病さと心技を持ち合わせる勇気
W.I.N.G.育成シナリオにおいても冬優子がふゆの殻を破る場面はある(自分が心打たれたのはそちらの影響も大きい)が、ユニット編成において殻を破るきっかけになったのはあさひの一言。
人生において快適に生きるため、アイドルとして愛されるため、冬優子は臆病に"ふゆ"を演じ続けた。
そんな冬優子へぶつけられる言葉「そのままの自分を好きになってもらうんじゃダメなんすか?」
冬優子にはパフォーマンスの精度を研ぎ澄ます為に続けた絶え間ない努力と技術がある。
ファンはどう想うか、自分はどう見られているかを考える打算で作り上げた共感性がある。
力も共感も持ち合わせたからこそ見える景色と、あさひが見ている視点は違う。
しかしあさひの見ている視点も、冬優子の本質をたしかに捉えているように思う。
冬優子が臆病なまま打ちのめされた時、待っていてくれたプロデューサーのため──(W.I.N.G.)
あさひに自分の正義を証明するため──(Straylight run.)
その実力は臆病の殻を破った時に発揮された。
力を示せば人は勝手についてくるでしょ?
想いがあれば力がなくても夢は続けられるでしょ?
恐らくそう思うのは簡単なのである。
それらを否定し、絶え間ない努力という技術を磨く努力を忘れず、誰かを思いやる共感性を忘れない。
そんな力と優しさを持ち続ける「勇気」こそが冬優子の最大の武器なのだ。
冬優子のW.I.N.G.やG.R.A.D.において、冬優子は逆境に陥る。
その際、冬優子を支え続け冬優子が冬優子のままふゆで居られる努力を続けた隣には常にプロデューサーがいた。
力と優しさと勇気。様々な創作で扱われる大好きなテーマが合わさったことは勿論のこと。
プロデューサーと冬優子のそんな二人三脚に自分は惹かれたのだ。
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