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かつてシャニマス沼にハマった素人がシャニアニ1期と向き合った話 (9/4 加筆)

まずはシャニアニの2期まで公開おめでとうございます。
今回はアイマス素人がenzaシャニマスにハマり、シャニアニ1期を観た感想を語っていく。

前提条件として、履修済みアニメは
・アイドルマスターXENOGLOSSIA
・アイドルマスター
・シンデレラガールズ
・ミリオンライブ (勧められて後追い)

シャニマスにおける推しは冬優子、ストレイライトであり、次点で真乃や恋鐘のストーリーに感銘を受けた人間であること。

ゲーム自体は初代をアーケードで何百円か使って触った程度であることを留意してね。



■シャニマスとの出逢い

シャニマスとの出逢いは年始の音楽特番でアイドルマスターシリーズの楽曲がテレビ放映されたところを観ていて、Twitter上のアイマスPたちに襟元掴まれて「何かアイマスのゲーム始めるよな?デレやミリもあるぞ」と言われたこと。

そして自分が音ゲーの類が苦手だったこと、Twitterタイムラインで冬優子の二次創作イラストが流れてきていたのを目にして、その二面性が気になり惹かれていたことから始めたことがキッカケになりました。

何故わざわざ猫を被るような態度をとっているのか、冬優子にとってアイドルとは何なのか。

そして、ストレイライトのユニットシナリオを読む毎に「パフォーマンス力の天才・あさひ」「共感の天才・愛依」に囲まれた「力も相手を想う心も併せ持つ勇気を忘れない努力の天才」としての冬優子に釘付けになっていったオタクになりました。


他にも、Catch the shiny tail で何故自分がセンターに選ばれたのか苦悩する真乃と、答えを知っているけれど自分で気付くまで待ち続けるシャニPの関係に惚れたり

恋鐘のLanding Pointで「月は裏側を見せない」というテーマで描いたアイドルの王道としての姿に魅了されたり

素晴らしい原作シナリオに惹かれたのが沼に沈められたキッカケ。


ちゃんとグレフェスも勝つまでに課金した金額は…

■先行上映を観に行った感想

はっきり言って薄っぺらいな、というのがまず第一の感想。

静かなピアノ伴奏から始まり、真乃役の関根瞳ちゃんの唯一無二の素敵な声が大音響で聴こえた時は感動した。

しかしキャラクターのCGモーションがとてもカクつく。高速コマ送りで1枚絵を動かしてるかのような、手描きアニメで言う中割が無い状態とでもいうのか。

しかも三人が同じカットに映る時も、例えば喋ってるキャラの隣でそのセリフを聴いてるだけのキャラが相槌をうつ、肩で息をするなども特に無くロボットのように停止状態が多く目立つ。

近年ロボットものもCGで動く中で、まだモビルスーツの方が滑らかかつダイナミックに動いてアクションしているのではと思うほど。

そして静かな伴奏BGMからきっとポップなBGMとともに放クラ辺りが出てきたり、場面のクライマックスで壮大な音楽がくるのかと思いきや、ずっとピアノの静かなBGM。

仕事帰りに終電をなくした際、宿所でフリー音源の安眠BGMを聴きながら眠った時と同じメロディラインがひたすら続く。


それでも物語やドラマが面白ければ文句は無い。
同時期テレビ放映だったガールズバンドクライも荒削りなCGモデリングながら人の感情を突き刺すようなドラマに心打たれた。

しかしながら
・変わりたい、自分が変わるきっかけが欲しい真乃
・すでにデビュー済のアンティーカ、放クラ、アルスト
・灯織、めぐるともう一欠片のピースを探すシャニP
・そして二人が出逢った
この4行だけで済む事を芝居の間(ま)という間で引き伸ばしてる印象


アンティーカと放クラの回は良かった。

・アイドルに持ち込まれた企画(起)
・思い思いに試行錯誤するアイドル(承)
・トラブル発生(転)
・解決とライブシーン披露(結)
の起承転結がしっかりしていた。アルスト回だけ甘奈だけがトラブル解決に踏み出す展開にしちゃったのは、流石にちょっと歪なシナリオ展開だったように感じたけど(千雪さんと甜花ちゃんもお客さんに歩み寄りそうな人柄なので)

強いて言えば最後のライブシーンがデビュー曲縛りだったのがアンティーカはシナリオと曲がマッチしてたのに対して、放クラはヒーローショーにて披露するのが「ヒーロー」ではなく「放課後の学生」モチーフ色が強い夢咲きAfter schoolだったな、と。

ヒーローっぽさなら歌詞もメロディラインも五ツ座流星群の方があのシーンにマッチしてたような気がするという勿体なさを感じた。


また全体的にエンディングテーマがその回のライブシーンで披露した楽曲のインストなのは非常に勿体なかった。

後の5話に至ってはレッスン中にヒカリのdestinationを歌うシーン、ライブ本番でヒカリのdestinationを歌う、エンディングでヒカリのdestinationインストが流れるの三重苦で、楽曲自体は超大好きだけど流石にスタッフどうかしたのか?と疑った。

エンディングテーマは
虹になれ or トライアングル (イルミネ)
幻惑SILHOUETTE or NEO THEORY FANTASY (アンティーカ)
太陽キッス or 五ツ座流星群 (放クラ)
ハピリリ or Bloomy! (アルスト)
で楽曲贅沢に使うんじゃダメだったのかと、大好きになった楽曲も多かっただけにダメというか「勿体ない」の気持ちが勝つ。

いや、やっぱダメだわこれ。


■サブスクで全話追った感想

先行上映は第一弾でギブアップした。

正直上映中にタバコを吸いたくて、そうでもしないと眠くなりそうだったからだ。

しかしそれでは語ることも無くなってしまうし、何よりシャニマスが大好きだったことに誇りを持っていたかったのでキチンと向き合おうと思って見始めた。


どうやらW.I.N.G.を目指すらしい第二弾以降の展開も悪い意味で目が奪われた。

まずW.I.N.G.はオーディション企画なのでライブシーンが挟まるだろうと感じた。

しかしながらミリアニを始め、各作品を観るに終盤にライブシーンはとっておくだろうから最悪ぶつ切りになるだろうと思ってはいた。


ところが6話で「さあ行くぞ!」と〆た次の7話冒頭では既に敗北に終わったアイドル達が次に向けた決意表明をしていた。

1話分丸々サブスクのスキップボタンを押してしまったのかと思った。

ゲームにおいてW.I.N.G.では「智代子が何故アイドルになりたいのか」「どういうアイドルになっていくのか」をシャニPと話し合いながら挑んだ。

円香は付き添いのつもりが成り行きでアイドルになり、アイドルへの願望も無いまま、自分とは違ってどうしてもアイドルになりたい子たちが泣きながら敗退していく他の参加者を目の当たりにし、心を痛めながらそれでもシャニPの言葉を支えに「守る」ためにW.I.N.G.へ挑んでいった。

そういった積み重ねも無く、ただただゲームのシナリオスキップや早送り、オーディションパートもオートスキップでやったかのような、何が起こったか分からない感覚に苛まれた。

W.I.N.G.の後にはご褒美のチューがあるのではなかったか


次に283プロ合同イベント、つまり感謝祭のようなもので物語を〆ることがシナリオで伺えた。

ここの11、12話でミリアニのようにライブシーンも披露するのだろうというのは察せた。

途中で真乃が「センターになってほしい」と言われた所から、Catch the shiny tail のシナリオをやるんだ!と期待に胸をふくらませた。

ところがイルミネではなく、283プロのセンターになってほしいとのことだった。


これに関しては流石に既にキャリアとしての上積みを重ねたアンティーカや他ユニットに行きそうな話ではないか?と感じた。

流石に嵐やNEWSやKATーTUNがごくせんやバラエティでバリバリ売れてる時期にデビューしたての平成JUMPの山田涼介にセンターやらせるのか?みたいな感覚が世代的にあったからだ。

そして真乃が灯織・めぐるや他のユニットメンバーと個々に交流を深めるでもなく、「ちょっと尺が無いんで!」ばりに納得しセンターを務める決意を固める。

原作で感銘を受けた「真ん中ではなく、灯織ちゃんの隣、めぐるちゃんの隣にいるのが私なんだ」というような大好きなくだりも全く掘り下げる事もなく、Spread the wings!!という全体曲を要に披露することを合同ライブの最終目標にしようということでシナリオは進んでいく。

この曲は勿論アイドルマスターシャイニーカラーズという作品そのもののデビュー曲ではある。

いや、そうなんだけどキャラクターのドラマは?????

それがシナリオでシャニマスを好きになったオタクのどうしても拭えない感覚。


そして視聴も終盤、11話からの合同ライブ本番、ライブパートに入っていく。(申し訳ないけどそこまでは本当に語ることがない。)

各ユニット1曲ずつしか使われてなかった楽曲一覧だったが、ようやく各ユニットの2曲目が披露された。

が、他のユニットの心情吐露舞台裏シーンを挟むことでユニットによってはサビでぶつ切りカット。

アイドルものやバンドもののアニメライブシーンを観たことがないんか?ってくらい「ダイジェスト」だった。

尺が無いのもわかる。ユニットが多いのもわかる。
けどシャニアニにはシャニソンでの補完シナリオがあると聞く。

そっちで舞台に挑むまでのことをやるか、3話分の尺を確保しておくのじゃダメだったのか?と未だに「怒り」というかそれを通り越した「呆れ」というか、モヤモヤしたまま11話が終わってしまった。


12話は全体曲を2曲、ほぼフル尺に近い長さで披露し、シャニPのモノローグと真乃のプロローグで終わった。

エンディングテーマをリアルライブの〆でも定評のあるMulticolored Skyで〆たのは好きだった。

以上。


モノローグの台詞では「奇跡は続いていく」という文言が使われる。

W.I.N.G.敗退した自分らが何の奇跡を起こしたんや、と思われる人も居るかもしれないがコレ、ヒカリのdestinationにおけるフレーズの一幕なのである。

「私たちの奇跡 繋がってく 光の束 その先へ」

つまり灯織やめぐる、他のメンバーと「出逢ったことが奇跡」であり、様々な色のユニットやメンバーが「光の束・すなわち虹」になっていき

「あの空へと、いつまでも響き渡ること」こそが彼女たちの目指す「輝き」ということがヒカリのdestinationのワンフレーズから読み解ける。

Catch the shiny tail における真乃の独白

であれば、やはりヒカリのdestinationを真に完成させた Catch the shiny tail というシナリオには触れなくてはならなかったように思う。

そして、各々が放ち出すその輝きの束こそが虹であり、空にかかる虹こそが Multicolored Sky であるというところまで繋げなければ、意味が薄れてしまうのだから。


ラーメン屋に来たら、やはりラーメンがお出しされなければダメだ。
自分でラーメン作ったことのある客が、キッチン貸し出すからセルフで作って食ってねと材料お出しされるのは百歩譲ってそういうスタンスの店なのだと思える。

しかし、ラーメンを食べに来た普通のお客さんに麺とスープの素とメンマと卵だけ並べてもそれは「美味しい以前の問題では?」と言われても仕方ないのだ。

ラーメン屋の暖簾をくぐったら麺とスープと卵とメンマがテーブルに並べてあり、それを見て「おお!これはラーメンを構成する要素の欠片じゃないか!」と感動してる方が異常だと思うのは私だけだろうか。

文章だけだとアレなのでラーメンの写真でもどうぞ




そして何より大切なことを忘れてはいけない。

この作品においてはやはり、どんなアイドルになりたいのか、特に真乃は始まり方故に「どんな自分になりたいのか」で〆なければならないと思う。

勿論そんなのは原作を読めば良いんだ。というか読んだ。

しかしながらゲームはやらないけどアニメなったなら話題なってるし観るか勢にも、キチンと作品やキャラのスタンスは伝えないといけないように思う。

自分を変えたい。素敵な仲間に逢えた。誰かを笑顔にできた。

で、それがなぜ「野球シャイニーカラーズ」「お笑い芸人シャイニーカラーズ」ではいけなかったのか?なぜアイドルでなければダメだったのか?

このアニメはそれに対しての答えを持ち合わせていない。多分このアニメのファンも持ち合わせていない。

春香はテレビで観たアイドルに憧れた。それを見た未来は765プロを目指した。何故アイドルなのかは千早が全編を通して向き合った。


ゆえに

「プロデューサーさんと出逢って、灯織ちゃんやめぐるちゃんと出逢って、それぞれの色を持つ皆と出逢って、キッカケは偶然だったけど皆のおかげで私は自分の輝きを持つことができた。」

「私はアイドルになることができて良かった。今度は私がこの輝きを沢山の人へ、この大空へ届けていくんだ!」


といったように、ウルトラマンティガにおける「人は自分自身で光になれるんだ」ばりの視聴者へ向けたメッセージを含んだ台詞で〆て、様々な人の光・輝きこそが「Multicolored Sky」である。

くらいの熱量と激情を伝えるのが物語ではなく人の心を動かすドラマ作品なのではないだろうか。

アイドルになれて良かった!の反則台詞Ver.


そして構成上、このアニメを全て観た新規視聴者に対して「このアニメを観て、誰が推しになった!?」と、堂々と聴ける283Pが果たしているのだろうか。

勿論声が可愛いとか、ビジュアル (といっても、個人的にはenzaの2DCGの方が遥かに可愛いと思うので勧めにくいが) などで推しを作れる人はいると思う。

ゲーム未体験新規の方には信じられないだろうが、このイラスト、2DCGで動くのである
アンティーカで一番好きな衣装揃えられて嬉しい


しかしそもそもユニットロゴは毎話それなりに入るが、個人名すらテロップであまり出ない中で、そもそもキャラ名を覚えられた新規視聴者もいるのだろうか。

自分が面白いと感じたのだから良いだろう、は個人の勝手だが、折角制作費を沢山かけて作ったアニメはそれで (特にアニメ新規ファン層から) 利益を回収できる作りでなければ、サ終が早くなるだけなのだから危機感は持った方がいいのではなかろうか。

昨今「推し活」という言葉が普及し、いつ廃れるやも分からぬまますでに数年この流れは続いている。

ところがこのアニメにおいては「シャイニーカラーズの目玉はユニット活動である。」という指針なのか、個々人にはさほどスポットが当てられない。

例えばアルストロメリアにおいては大崎甘奈・大崎甜花という瓜二つの同じ苗字のキャラクターが居る。

アイドルマスターシリーズに触れていれば慣習的に双子キャラが居るので、きっとこの子達も双子なのだろうと分かるだろう。

しかし、どちらが姉なのか、同い年なのか歳違いの姉妹なのか、何も明かされない。

見た目や発言とのギャップが売りのこの作品において「実はお姉ちゃんはおっとりしてる方の子なんだよ!」といったような種明かし要素もない。

個々人の魅力やアイデンティティも晒されないままで、このアニメで初めてシャイニーカラーズに触れた新規はどう推し活をしろというのか。

ましてや「推し」という言葉と一番親和性の高い「アイドル」をテーマにした作品においてこれは致命的にも程がある。


私はかつてキャラクタービジネスに携わったこともあるが、このような作品にはとてもビジネスチャンスを感じないし、とても投資する気にはならない。

プライズフィギュア、綺麗に撮れたと思います。
推しのこの子のグッズ欲しくなるな、と思える作品作りになるといいな。30年後くらいのリメイク辺りに。


■最終的な感想


最初に話した通り、たとえストレイライトが出てなくても自分はenzaのシャニマスのシナリオが好きだ。

それまでヒーローものでも漫画アニメでも、剣か魔法か必殺技が出るものを多く観てきて、必殺技や魔法が使えないキャラがどうするのかというシチュエーションに燃えたり、ファンタジーやSFキャラの関係性にしか心に刺さるものを通ってこなかった。

そんな中で、「あ」以外の言葉を抜き取られた少女「あ」だけが喋れなくなった瓜二つのAIロボット少女の二役を演じる凛世が「逢いたい」も「あいしてる」も言えなくなった事に感じ入ってしまい、自分とシャニPを重ねて失踪してしまったり

チャリティーオークションにおいて「アイドル・桑山千雪」が出品した小物雑貨が高値で取引される中で、名前を隠した一個人である「一般人・C.K」として出品した同じ小物雑貨が1円から全く動かない事に対して、自分の価値に苦悩する千雪さんなど


他人が決める評価や価値が絶対じゃない

そういった「関係性」のシナリオに惚れた自分には「シャニPとアイドル」「真乃と灯織・めぐる」「真乃と他ユニットメンバー」の掘り下げもなく

また個々のアイドルたちが「何故にアイドルを目指したのか」「どういうアイドルになりたいのか」誰一人として示すこともなく終わったこのアニメを、本当にシャイニーカラーズと言っていいのかは甚だ納得ができないでいる。


これはよく自分が使う例えなのだが、世の中には「真似されるべき作品」というのが存在すると思う。

例えば「ロミオとジュリエット」というシェイクスピアの作品がある。

この作品はロミオという男と、親同士が敵対関係にあるジュリエットという女が恋に落ちるも、死がふたりを分かつという物語であり、まず連想するのもこのシチュエーションだと思う。


ガンダム08小隊という作品はガンダムシリーズにおけるロミジュリだ。と言えば、ガンダムの中の敵対する男女のロマンスなのだろうとまずは思うだろう。

誰もが「ロミオとジュリエットといえば」と聞かれれば、ざっくり「敵対 × ロマンス」要素を答えると思う。

対して言えば「ロミオの家名は?身分は?」「ジュリエットの年齢は?出身地は?」と聞かれて答えられる人間がどれほど居るだろう?

そう、ドラマ作品においてどんな名前のどんな格好をしたキャラなのか、は然程重要ではない。

名前が「ロミオとジュリエット」という男女だったから売れたのではなく、「キャラクターが何をした作品で、どういうテーマに立ち向かい、どんな結末を迎えたのか」が真似されるべき重要な部分なのだと個人的には考えている。


「あの作品ロミジュリだったよな!」とファンに言われる作品は決して、ロミオとジュリエットという名前の男女がいる事が大事で、あとはロミオとジュリエットがグルメレポートをしたりヒーローショーのような新規展開をしても良いというのは大きな間違いであり

どんな名前であっても、男女でなくとも、ロボット作品でもなんであれその作品の大切なテーマであるもの

つまり「敵対 × ロマンス」を描いた作品が「あの作品ロミジュリだったよな!」と言われる作品になるのである。


したがって「ロミオおよびジュリエットって名前の男女が出ている作品は、野球をしていようがグルメ作品であろうが紛れもなくシェイクスピアのロミオとジュリエットである。」

あるいは「櫻木真乃という名前の少女が出ていれば、原作にない新しいストーリー展開をやろうが、漫才師になろうがサッカー選手になろうが、それは紛れもなくアイドルマスターシャイニーカラーズである。」

「だから櫻木真乃という名前さえ使っていれば、原作にちなんでもいない全く新しいストーリー展開をやってもオーケーだろう。」と考えるのは、原作を愛したファンの気持ちも考えられない、きっと頭は良いのに簡単な答えにも辿り着けない「本当に使えないバカの集合体」の仕事・業務っぷりと断言しよう。

というか昨今の原作改変に心を痛めて自ら命を絶たれた原作者がおられる現状によくGo!を出せたなとしか思えない。


こんな少し考えれば簡単なことも分からずになぜこの企画にGo!を出せたのか。

それは「考えれば分かることを考えず」「今までのアニマスシリーズは原作にないこともやってきたから恒例行事をすればいいと」

「それまで原作通りにやらず爆死していったソシャゲ原作アニメを無視して、周りのソシャゲ原作アニメもそうやってるから、で思考放棄し」

「同じ話数に同じ曲を3回も流したら違和感を感じないか、も検証せずに言われたことを出力するだけの世に出たてのAIのような演出と」「原作に愛も無い・アニメに出力もできないシナリオ」

「人と人とのコミュニケーションはどうやってとるかも分からないから、次のカットで道路幅が変わる作画崩壊、台詞の無い時間や芝居の間が持たないキャラクターの描写とノルマ的にこなされるシナリオ展開と、それを完パケにするまで誰にも何も言えないスタッフ間のやり取り」

「ここまではW.I.N.G.の名前を使うの達成!初期曲縛り達成!ノルマ達成!と思いながら自分で課した簡単すぎる作業をこなして満足しているだけの」

「ただのサボり魔で、結果を逆算できない頭の悪い制作陣の怠惰で簡単な所業」
以外にどう言い表せようか?逆に問いたい。

聞いてるかウルトラマントリガーくん、キミのことでもある。


ではアイドルマスターシャイニーカラーズにおいて「アイドルとは何なのか」「そしてそれに対して彼女たちはどんな答えを出し、どんな結末を迎えたのか」

このアニメでそれが描かれただろうか。

そして仮死状態のジュリエットを見て自死を選び、それを見て愛する人の後を追ったジュリエットのような人の心を刺すほどの激情がこの作品にあっただろうか。

あ、いやもちろん「わたしアイドル辞める!」みたいな展開はもう御免なのだけれど。


アイドルマスターシャイニーカラーズには素晴らしい楽曲の数々。ユニットメンバー同士、あるいはシャニPとアイドルの素晴らしいドラマがある。

アイドルマスターシャイニーカラーズという作品は既に「原作通りに真似されるべきシナリオ」だったのではないか。

それらの殆どを投げ打ち、あるいは勿体ぶり、新たにアニメオリジナルの展開を繰り広げようとした。


申し訳ないがそれは「シャイニーカラーズ」である必要が無い。

おっとりしてて自分を変えたい田中花子と、クールで口下手な鈴木桜子と、元気活発で金髪な佐藤菊子のユニットが送る完全新規アニメでやれば良いと思うのだ、そんなものは。

素晴らしい原作シナリオがあるのであれば、それをそのまま踏襲すればいい。


最初の1話で真乃やイルミネとの出逢い、続く2話で全ユニットとの合流。

続く4ユニット × 2話ずつで各ユニットの人気シナリオを計8話使って掘り下げ。

残る2話で合同ライブシーンを行っていれば個人的にはCGの荒さを抜いても大好きなアニメになっていたと思う。


Catch the shiny tail (イルミネ)
廻る歯車 (アンティーカ)
薄桃色…は最初ハードルが高いのでクエストロメリア (アルスト)
階段の先の君へ (放クラ)

この辺りの純粋なアニメ化をやってほしかった。


最後に、自分は決してアイマスシリーズの中でシャニマスだけが解釈違いで元々アニメ化したらこき下ろすつもりだったような人間ではなく、むしろすごく好きだったからこそ、強い言葉を使うようだけど「こんなものがシャニマスだったか?」という想いからここまで書いてきた。

上で全く触れなかったことだが、自分はシャニPという男がとても好きだ。

シャニPへの気持ちを綴ったものが別記事にあるのでそちらも見てほしい。

勿論アニメの中でも営業をかけて土台作りをしていたり、お茶目なシーンや社長とのやり取りも部分的には取り扱われている。

裏側のサポートに徹している彼がヒーローショーで自分も顔を隠しながら舞台に上がった所はお茶目な愛嬌に笑いながらも「裏方シャニP解釈的にどうだ…?」という引っ掛かりは無くもないが。

アイドルとシャニPとの絆、それが栄養

これはシャニマスだけでなく、例えばサーヴァントとマスター、ウマ娘とトレーナーとかにも言える事なのだけれど

個人的には「ポケモンとポケモントレーナー」の関係性で幼少期を過ごしたから言えることがひとつある。

ポケモン映画ではサトシや主人公トレーナーと伝説のポケモンが出逢い、どういう接し方をして共闘あるいは困難に立ち向かうかを描く。

そして同時上映でポケモンしか出ない短編映画、例えば「ピカチュウのなつやすみ」のようなものが描かれる。


アイドルマスターはアイドルの物語なのだからアイドルだけ描けばいい、Pなど所詮飾りという意見もあるが、ポケモンで例えるならそれは同時上映の短い短編の方がやっている役割なのだ。

本来やらなければいけない本筋なのは「サーヴァントとマスター」「ウマ娘とトレーナー」そして「アイドルとプロデューサー」の関係性の方ではないだろうか?

ポケモンはポケモンが主軸なのだから人間のポケモントレーナーなんて少し映せば良い、なんて考えてる作品の方が少ないのだ。と声を大にして発信していきたい。

もしかしたら別記事で掘り下げるかも。

シャニマスにおいて好きだったのは「シャニPという男が好きになれたから」「シャニPとアイドルとのドラマがとても良かったから」というのはシャニアニに対して心が惹かれない要素のひとつとしてカウントできる。



話は戻るが、好きが故に「惜しい」から「折角のアニメという機会を勿体ない」と思うからこそ厳しいと思われても正直な気持ちを記す。

2期が決まった時

「これでストレイライトやノクチルは原作に忠実に描いたら、1期のほぼダイジェストで終わった4ユニットには全く興味が無かった制作陣が作った、ってことにならないか?」

とか、もはや2期が原作通りに軌道修正して成功してもそれはそれで掘り下げの無かった (少なかった) 初期4ユニットのファンに失礼になるんじゃないかとか考えるくらいには、取り返しのつかない状況のような危機感は個人的に抱くところ。


■ごめんやっぱ収まらないので加筆

個人的に何も業界のことを知らない身ながら、どうしてこのシャニアニという作品がこのような作風になったのか、結果から逆算して考えてみようと思う。


まずこの作品は
「①個人ではなくユニットを描く」
「②W.I.N.G.をやる」
「③アニメ化一発目に相応しいデビュー曲を推す」
「④終盤2話を使ってライブシーンを詰め込む (特に実際の声優さんによる初期ライブを思い起こす作りにする)」
などが決め打ちとして存在したのだと推察する。


①について、は30%くらいが正解だった。ユニットを全面に売り出してるのがシャニかMである以上間違ってはいない。

しかし間違えてはいけないのが「アイドル (王) とユニット (国) があるところに人 (ファン) が住む」のではなく

「人 (ファン) が応援したいと思う王 (アイドル) が応援されて選ばれ、そこにユニット (国) が形作られていく」のだ。

つまり応援してあげたいという想い無くば応援や支持は有り得ない、ということであり、「個々人の掘り下げ」は必定だったと言える。

②において、W.I.N.G.はメインのアイドルにサポートアイドルを4〜5人据えて挑むというゲームシステムの関係上、ユニットで行うオーディションという設定はあるものの

その本筋は「アイドル個々人とプロデューサーが二人三脚で挑む始まりのドラマ」である。

であれば正解は、「そもそもW.I.N.G.はアニメで取り扱わない。」

乃至は「櫻木真乃が、変わりたい自分という夢を叶える為にプロデューサーと二人三脚で挑む。」というのが綺麗な選択であったと思う。


先述の通り、W.I.N.G.で「どんなアイドルになりたいか」を二人三脚で歩んで行ったシナリオは多い。

であれば、このW.I.N.G.を取り扱う・取り扱わないの時点で「ユニットの殻を破り櫻木真乃を輝かせる」or「ユニットものを貫くためにW.I.N.G.は描かない」などの選択が正しいと言える。

まあ、最大の問題はこのW.I.N.G.が準備だけ描いて、結果がダイジェストで終わったのでそもそも「W.I.N.G.の名前出すだけで実質やってないじゃん」という、ハッキリ言って尺の無駄で終わったことが問題なのだが……

③において、これは恐らく④に帰結するための決め事なのかもしれないが、シャニマスにはすでに各ユニット両手で収まらないほどの楽曲がある。

中にはアニメのオープニングテーマやエンディングテーマにピッタリな楽曲もある。

先述した際には、放クラのヒーローショーシナリオに際して使われるべきなのは「放課後の学生を歌った楽曲よりも、ヒーローを彷彿とさせる楽曲をやった方がいいのではないか」と記した。

これもある種「デビュー曲縛りでやる」と決め打ちしてしまったことの弊害であるように感じる。


百歩譲って統一感を出すためにそれは良しとしよう。では5話でヒカリのdestinationがインスト含めて3回も流れた現象はどうだろうか。

この際ハッキリ言わせてもらおう。「バカの学習AIにでも選曲させたのか??」としか言えない。

シャニマスにはインスト曲を纏めたアルバムが出ていることも承知している。けれど本当に売り出さなければならない楽曲はそれだったのか?

「インストアルバムの楽曲が劇中で使われた。これで晴れて原作通りの劇中楽曲になったインストアルバムの売上が上がる!」以外の何にメリットがあるのか。

アイドルの様々な一面を別サイドから歌った他の楽曲をエンディングテーマに据えて売り出す方が優先度が高いのではないか。

これが「デビュー曲縛りでやる」を決め打ちにしたことの弊害である。

④において、これが恐らく企画会議において序盤に決め打ちされたシナリオ構成の1つではないかと素人ながらに推察する。

「初期ライブの空気感を味わってほしい・思い出してほしい。」これ自体はシャニマスでなければ70点は与えていただろうが個人的には30点だ。


20点ずつ減点した2つの要因のうちの一つは「シャニアニまでにシャニマスを履修し始めた新規は既にストレイライトやノクチルくらいまで、ゲームで進めていて、もうデビューとかの次元には居ない。」という発想が抜けていたり

そもそも実際のアイドルや声優においても、デビューから追うのは普通や当たり前ではなく、何かのきっかけで「後追いで好きになること」の方が当然であり、必ずしもデビュー時の空気感を知っている必要は無いことである。

もう1つの減点は、初期のライブを彷彿とさせるのであれば「メディアミックスとして初期ライブをYouTubeで期間限定公開する」などの施策が打てる。

しかしながらシャニマスは初期ライブを公開できない理由が一つある。

それは初期のライブに「アイドルものを演じておきながら、床(とこ)事情が晒され、それが更に浮気だった。ということが表沙汰に晒されて消えていった国宝級のバカ社会人声優がシャニマスに居たために映像が使えない。」ということである。

それもアニメ放映より数年も前の出来事だったため、もし実際のライブとリンクさせるのであれば、しかるべきライブ映像を見直し、そちらとメディアミックス展開をするべきだったと個人的には思う。

したがって「オリジナル展開のライブにするか、希水しおさん加入後のライブ、つまりメディアミックスし易いライブ映像を参考にした作品にする」のが最適解だろうと感じる。

しかし今回の企画段階でこれらのことが既に決め打ちされており、しかも決め打ちされる前にこういった予測が一切立てられないままバカの学習AIのように進行してしまったことが今回の「個々人のドラマも無い」「シーンにあった曲ではなく、初期曲縛りの」「声優が馬鹿をしたせいで苦い思い出を彷彿とさせるライブを思い起こされる」ことを引き起こしたと思われる。

そして、キャラクター各々にも推し活に耐えうるキャラクターにする為の課題があったように思う。


まず真乃は先述の通り「どんな自分に、どんなアイドルになりたいのか」を語って〆なければならない。

灯織は「口下手で誤解させてしまったことをシャニPに相談するシーン」があるだけで唐突感は減ったように思う。

めぐるは「灯織と共に真乃が横にいてほしい」と伝える役目が。

恋鐘は「料理上手な一面」「プロデューサーとの信頼関係」が。

摩美々と咲耶にはそれぞれ「アンティーカという居場所の大切さ」を。

結華には「ユニットでいる時の表向きのムードメーカーさ」を。

霧子には「ユニットに依存しないからこその守る立場」を。

果穂には「ヒーローが好き、ではなく、心の支えであること」を。

樹里ちゃんには「ユニット内での常識人ポジション」を。(過去を描くのはユニット単位では厳しいので)

智代子は「チョコアイドルになる理由と友の想い」が。

夏葉には「様々な苦悩を肯定して余りあるポジティブシンキング」が。

凛世と甘奈には「プロデューサーを想うシーン」と「和服」が。

甜花ちゃんには「逆境ほど立ち上がる根性」が。

千雪さんには「様々なことに挑戦しようと果敢な部分」が。

全く描写が足りていないので、2期か30年後くらいのリメイクで描いてくれる愛のあるスタッフさんに作ってもらいたいと思う。


シャニマスを本当に愛してやまないスタッフにアニメを作ってほしい気持ちでいっぱい。

そう例えばライブ中に投げキッスする千雪さん (正確には芝崎典子さん) のオマージュをしちゃうくらいの愛情が詰まった作品が最低でも30年後くらいにはできるといいな、と思う。

ライブ最高!

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