Comfort

先日、指導者は対象の成長を阻害しない事に力を尽くす他ない、

と個人的に解釈したつぶやきを見たのだが、

賛同すると思った。


一昨日くらいに対象に、来年の抱負を集計してみたのだが、

十人十色まではいかないが三者三様といった感じであったが、

自らの与えている影響について、一考するに至った。

対面でのやり取りも含めて、自分が織り成しているもので、規定していないか心配になった。

無論、こちらの問いは自分(指導者)が把握している、持ち合わせている知識等でしか作る事が出来ないが、

対象の反応が、自分の範疇に収まっている事は良くないと思う。

浸透という意味合いでは良いとは思うし、それはタイミングによってその反応が出て然るべき、若しくは出てなければ一考の余地といったものだと思う。

PDCAというサイクルを回す様に、様々な過程を踏んで、体力は向上していくと思うが、自分という枠組み、必要だと思っている枠組みによって、対象の持つエネルギーを過度に集中させていないだろうか心配なのである。

もちろん、作る枠組みは必要だし、アップデートはしていくのだが、全てを行う事、ましてや2人以上を相手にしているので物理的に不可能であるし、やるべきではない(?)と思っている。

なので自走という事になるし、暴挙に走れば自分が伝えた事以上の事をやれよ、という事だと思うのだが、、

かといって枠組みを外す事は、一つ段階を落とす事になる。と思ったが、

そこからが対象の素養に関わる、と思ったので、自分がいる意味を考えた場合やるべきでは無いと、今は思う。怖いのかもしれない。

スケールの大きい、とは言わないが余白を感じさせる事が必要なのか、まだわからないがこらは2023年の課題とする。

、、浸透はしていると思うのでヨシ!

まぁ、浸透が洗脳という良くない言葉に近づいていないかどうかビクビクしてる小心者なのだろうと薄々な、2022の暮れであった。

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