見出し画像

口伝(くでん)論(2)ーきつねに騙される力

(『ESD研究』2013年2月 通巻9号 東京農工大学農学部環境教育学研究室・水資源計画学研究室・共生教育研究室、所収) 写真=K.Koyama

 かつて日本人は「キツネに騙される」と思い込んでいた。内山節は1965年を境に日本人はキツネに騙されなくなったと述べている(内山、2007)。確かに日本人にとってキツネは「ある程度そのしぐさなどに感情移入することが可能で、同時に人間とはかなりちがった能力を有している」不思議な動物の最たるものであったといえる。キツネには特別な能力があり、これを神として祀った稲荷神社も多くある。他方で「キツネ憑き」と呼ばれる、人が何らかの理由でキツネに取り憑かれる(憑依)とも感じてきた。こうしたキツネがもつ能力、より正確にはキツネがもつと日本人が感じる能力を「キツネに騙される力」と呼びたい。しかし、これは決して非科学的で不合理なものであるとは限らない。

1 迷信としてのキツネ憑き(井上円了、1904年)

 いまから100年ほど前、哲学者・井上円了(現・東洋大学創立者)は「妖怪学博士」という別名をもち、科学的・批判的な思考によって多くの迷信が根拠のないものであると民衆に説いていた。1904年に刊行された『迷信解』も、当時の文部省が教科書として編纂した『国定小学校修身書』における迷信に関する記述を補完する目的をもって書かれている。尋常小学校第4年級用第15課に「迷信を避けよ」、高等小学校第2年級用第6課に「迷信」が設けられており、前者では以下の8項目について論じられていた。

(一)狐狸などの人をたぶらかし、または人につくということのなきこと。(二)天狗というもののなきこと。(三)祟というもののなきこと。(四)怪しげなる加持祈祷をなすものを信ぜぬこと。(五)まじない、水神等の効(しるし)の信頼すべからざること。(六)卜筮、御籤、人相、家相、鬼門、方位、九星、墨色等を信ぜぬこと。(七)縁起、日がら等にかかわることのあしきこと。(八)その他、すべてこれらに類するものを信ぜぬこと。

 しかし、児童によりわかりやすく説明するために、井上は次の11項目に整理し直して論じている。ここでは「キツネに騙される力」に関係する項目が、キツネが人を騙す(もしくは災いをなす)と思われている現象と、キツネ憑き(憑依)とに分けられていることに注目したい。

第一、狐狸のこと 付 人孤(にんこ)、犬神(いぬがみ)のこと。第二、狐惑(こわく)、狐憑(きつねつ)きのこと。第三、天狗のこと。第四、幽霊および祟(たたり)のこと 付 死霊(しりょう)、生霊(いきりょう)のこと。第五、加持祈祷のこと。第六、マジナイ、神水(じんすい)および守り札のこと。第七、卜筮(ぼくぜい)、御籤(みくじ)のこと。第八、人相、家相および墨色(すみいろ)のこと。第九、鬼門、方位のこと。第十、日柄、縁起のこと。第十一、怪火(かいか)、怪音および異物のこと、等。

 井上の特徴は、人びとが信じる迷信や神秘的な現象を「妖怪」と見なして、科学的・合理的に分類・説明しようとしていることにある。

妖怪の種類に四とおりあることを述べねばならぬ。その第一は、人為的妖怪すなわち偽怪(ぎかい)にして、人の偽造したるものをいい、第二は、偶然的妖怪すなわち誤怪(ごかい)にして、偶然誤りて、妖怪にあらざるものを妖怪と認めたるものをいうのである。この二者は古今の妖怪談中最も多く加わりおるに相違なきも、その実、妖怪にあらざるものなれば、これを合して虚怪(きょかい)と名づく。つぎに第三は、自然的妖怪すなわち仮怪(かかい)にして、妖怪はすなわち妖怪なるも、天地自然の道理によりて起こりたるものなれば、物理学あるいは心理学の道理に照らして説明しうるものである。すでに説明しおわれば、妖怪にあらざることが分かる。ゆえに、これを仮怪と名づく。これに物理的妖怪、心理的妖怪の二種がある。狐火(きつねび)のごときは物理的妖怪にして、幽霊のごときは心理的妖怪というべきものである。第四の妖怪は、天地自然の道理をもって説明し得べからざるものにして、真の不思議と称すべきものなれば、これを超理的妖怪すなわち真怪(しんかい)と名づく。…この仮怪と真怪とは真実の妖怪とすることができるから、これを合して実怪(じっかい)と名づくる次第である。

 つまり、人びとがもっとも信じやすい人為的にしかけられた現象(偽怪)や偶然起こる現象(誤怪)を「虚怪」であると断じているものの、科学的に説明しうる現象(仮怪)と当時の科学では説明しえない現象(真怪)を「実怪」と認めて、根拠のあるもの(科学の対象となるもの)と考えているのである。「キツネに騙される」という現象にも人が騙す行為(偽怪)や人による見間違い(誤怪)が含まれているものの、狐火のような物理的現象やキツネ憑きのような心理的現象(憑依)を科学的な現象として認めることになる。

 キツネが人を騙す、もしくは人に憑くと信じられる現象を科学的に分析しようと考える人びとは多くなく、学校教育において「迷信」として片付けられたと思われる。教育界で否定されつつも、日本の民衆はより素朴な形でキツネに関わる不思議な現象に強く惹かれ、キツネを信仰の対象とし続けてきたのであろう。こうした民衆の意識はその後も長く維持され、高度経済成長期に至って急速に失われたといわれている。

2 日本人はなぜキツネに騙されなくなったのか(内山節、2007年)

 在野の哲学者として独自の世界をもつ内山節は、豊富なフィールドワークの経験からある不思議な事実を証言する。

キツネにだまされたという話は山のようにあるにもかかわらず、1965年、つまり昭和40年頃を境にして、新しく発生しなくなってしまうのである。それも、どこの地域に行っても、である。(p.11)

私(内山)が話を聞いてきた経験では、そう断言してもよいほどに1965年という年は、大きな画期になっている。(p.34)

 そもそも「キツネに騙される」とはどういうことなのだろうか。内山は日本人の精神世界の「古層」にある霊的な世界に注目する。村々に暮らし続けてきた民衆の精神世界、霊的な世界にはキツネと人間との深い関わりが存在すると見ている。内山は人がキツネに騙された(騙される)という話を4つのパターンに分け、人々がいまよりももっと多くの生命を山の世界に感じて、そこに神を見ていたと指摘する。

Ⅰ キツネに弁当をとられる(キツネは自然の変化や人間の行動をよく知っている) Ⅱ キツネに荷台の魚をとられる(かつては人々の世界のなかに、キツネがたえず介入し、キツネの介入を感じながら暮らしていた) Ⅲ 人間に姿を変えたキツネが人をだます Ⅳ キツネに釣った魚をとられ続ける(この場所では、人をだますキツネが出ることがわかっていても、それでもだます) 人間たちがキツネにだまされていた時代には、だますわけではないが、人々はいまよりももっと多くの生命を山の世界に感じていた。(p.29)

神が降臨し宿ったのではなく、自然の生命それ自体が神であり、その「生命」が岩や水、山として現れているのである。(p.30)

 それにしても、なぜ1965年なのだろうか。かつてキツネに騙されてきた人々、またはキツネに騙されたという話を語り継いできた人々は、1965年以降に騙されなくなった理由(わけ)をどう考えているのであろうか。内山は当事者である村の人々に問うている。

このような「事実」を知ったとき、私は「なぜ1965年以降、人はキツネにだまされなくなったと思うか」という質問をするようになった。…そうすると「私はこう思うんだが」というような「答え」が返ってくる。(p.34)

答えのなかで一番多かったのは、高度成長期の人間の変化を指摘するもの(p.35)

人々は自然の価値も、それに経済的価値があるかどうかで判断するようになった。…かつて…人々は経済とは違う尺度でさまざまなものを見、非経済的なものに包まれて自分たちは生命を維持しているという感覚をもっていた。(p.38)

そういう感覚が、高度成長によって衰退していった。(p.38)

人間がキツネにだまされなくなった理由として、「科学の時代」における人間の変化をあげる人々もいる。(p.39)

科学的に説明のつかないことを「迷信」「まやかし」として否定する戦後の精神風土をつくりだした。(p.41)

人々が語る第3の説は、情報、コミュニケーションの変化を問題にする。1960年代に入るとこの分野ではふたつの大きな変化があった。ひとつは電話、第2はテレビの普及である。さらにもうひとつ、漫画雑誌をふくむ週刊誌などの増加を加えておいてもよい。(p.43)

村に暮らす者たちの大事な情報源として自然がある。…農民はたえず自然から情報を受け取り、それを活かしながら暮らしている。(p.44)

テレビの普及は、口語体の情報であるにもかかわらず人々から「読み取る」という操作を消し去らせ、与えられた情報を事実として受け取りその感想のみを感じるという、情報に新しい作法を生みだした。(p.46)

1960年代に入ると、自然からの情報を読むという行為も衰退しはじめたのである。(p.47)

そのことがコミュニケーションのかたちを変え、キツネと人間のあいだに成立していた「伝統的」なコミュニケーションを喪失させた(p.47)

進学率が高まったことにその原因をみようとする人々もいる。確かに1960年代に入ると日本の高校、大学への進学率は高まり、その動きは農山村でもひろがった。(p.48)

進学率の向上とともにおこった村人の精神世界の変化。それがキツネと人間のあいだに成立していた非合理的なコミュニケーションを不可能にしていった…。必ず「正解」があるような教育を人々が求めるようになったとき、「正解」も「誤り」もなく成立していた「知」が弱体化していったのである。(p.51)

死生観の変化を原因としてあげる人々もいる。…伝統的な社会では、個人の生と死を自然やそれと結ばれた神仏の世界、村の共同体が包んでいたのである。(p.51)

かつての日本の人々は、自然に包まれ、共同体に包まれて存在している自己を感じていた。…自然や共同体に包まれて成立した「場」のことを風土と呼ぶならば、自己とはたえず風土とコミュニケイトするなかに成立するものだったのである。(p.54)

人間たちの自然観の変化を重視する人たちもいる。…かつての日本では自然はジネンと発音されていた。(p.56)

人々の伝統的な意識では、このようにジネンもシゼンも人間の外にある客体ではなく、いつかは人間が手に入れたい、そしていつかは手に入る世界としてとらえられていた。(p.58)

シゼンのなかにジネンをみなくなったとき、そして自分たちの帰りたい「祈り」の世界をみなくなったとき、自然と人間の関係は変容した。(p.59)

少数意見としてキツネの側が変わったという説があった。(p.60)

人間をだますキツネは普通のキツネではなく、齢を重ねて霊力を身につけた老獪なキツネだったとある人は言う。…この老ギツネが暮らせなくなっていく森の変化が戦後にあり、1965年頃になると元気な若いキツネしか暮らせない森に日本の森は変わっていた、という。(p.60)

 つまり、内山は、1965年を境に日本人がキツネに騙されなくなった理由を六点に整理しているのである。日本人は、高度経済成長期に (1)「非経済的なものに包まれて自分たちは生命を維持しているという感覚」を失ってしまった。(2)科学的に説明のつかないことを「迷信」「まやかし」として否定するようになってしまった。(3)電話とテレビの普及によって自然からの情報を読むという行為が衰退しはじめた。(4)高校・大学への進学率が上昇して「正解」も「誤り」もなく成立していた「知」が弱体化していった。(5)個人の生と死を自然やそれと結ばれた神仏の世界、村の共同体が包んでいた伝統的な「ジネン」の感覚を失った。(6)日本各地で伐採と植林が行われて「齢を重ねて霊力を身につけた老獪なキツネ」が暮らせなくなった。

 日本人は高度経済成長を経て「経済的な豊かさ」を手に入れたことで、自然とともにあるという「豊かな感性」を失ってしまったとみることができる。まさに「人間たちがキツネにだまされていた時代には、人々はいまよりももっと多くの生命を山の世界に感じていた」(内山)のである。

3 「きつねつき」という現象(高橋紳吾、1993年)

 かつて井上円了が、キツネが人を騙す現象とキツネ憑き(憑依)を分けていたように、人が自然に感じていた一体感や生命とは別の次元で「きつねつき」を考える必要がある。精神科医の高橋紳吾は、いまでも「事実としてキツネツキが存在する」と断言する。それは憑依(何者かにとり憑かれた状態)がなんらかの原因のもとに出現する「症状」であり、一般に擬人化されやすい動物が憑依しやすいからである。人とキツネとの生活世界における実際の接触が減ったとはいえ、精神的・文化的な意味において日本人とキツネとの接点が大きい以上、「身近な」野生動物としてのキツネは日本人に憑依しやすいといえる。しかも、憑依には罪の意識から「祟り」というネガティブな感情を生みだしやすく、ツキモノを落とす者(霊能者や祈祷師)の存在がツキモノ現象を伝承・伝播させるという人や社会のあり方に大きく依拠した現象である。また、「何が憑くのか」という問題にも興味深いものがある。

憑くものは、ケモノ(キツネ、ネコなど)と霊(死霊、生霊、祖先霊など)とに大別される。つまり、命があるもの、ないし命があったもの。…憑依の主題に器物が選ばれることはありえない。モノが憑くということは一般にはありえない。…憑依するのはヒトに似た有機体で、しかも自律行動する脳をもった動物、ないし、そうであったもの(死んだ動物)ということになる。しかもその動物が擬人化されやすく、怨みとか祟りの主題に民俗的になじんだものであれば憑依の条件の半分がそろうことになる。あとの半分は個人の素因的な条件である。その条件とは、…憑依を信じる文化圏に生存し、その信念を受けつぎ、憑依以外の方法では葛藤を処理する技術を身につけていないということである。(p.26)

 日本人は生命のないもの(器物等)にも長い時間が経てば「妖怪(バケモノ)」になる可能性を認めながら、人に憑依できるものは生き物に限られ、原始的であり過ぎても人に近過ぎてもいけないと考えられているのである。その意味でキツネは、もっとも憑依しやすい主体(取り憑く側)としてうってつけの条件をもっていたのであろう。

人が動物に感じる不思議というのは、ある程度そのしぐさなどに感情移入することが可能で、同時に人間とはかなりちがった能力を有していると感じられる場合のようである。キツネはそういう意味で不思議動物の最たるものであった。…キツネに化かされるというのは、人になんらかの弱み(欲望)があるからで、無邪気な子どもや悟りきった老人がひっかかることはない。…日本でキツネが神秘性をもったのは、里と山とをすばしこく走って、自由に往来するからだろうと言われている。「山」は日本ではかつては異界の象徴だった。(p.27)

 キツネに限らず動物が人に憑依する「動物憑依」という現象(症状)は、東アジアに特異なもののようである。たとえば、オオカミ男は憑依ではなく、霊魂が動物に宿るというアニミズムの一種であり、「眠っている人間から離れた魂が人を殺すオオカミに変身(もしくは受肉)する」ものと考えられている。「人狼症」という変身妄想の一種も、野獣になってしまうという恐怖であって野獣が人に取り憑くことではない。ところが、「異類婚姻譚」と呼ばれる人と動物とが結ばれる民話が語り継がれてきた東アジア文化圏に動物憑依が共通に見られるとも指摘されている。このように憑依は、すぐれて文化的・社会的な条件に規定されたものと見ることができる。日本では憑依するものの幅がきわめて広く、神から祖先霊を経て動物にいたるまで「人に益をおよぼすものから害をおよぼすものまで」さまざまであるものの、つねに社会に公認されない負の体系、一種の社会悪という側面も持ち続けてきた。

4 キツネモチの意味(吉田禎吾、1999年)

この「キツネにだまされる」という感性は、日本の農村における共同体の役割を考えるうえで大切なもう一つの事実も明らかにしている。「きつね憑き」(憑依)と呼ばれる症状(symptom)やキツネを祀る稲荷神社も、そうした感性の一つである。ところが、日本では「人に憑く可能性を生まれながらにして持っている筋」(キツネモチの家)があると理解され、「病気、わざわい、不幸の説明に役立ち、村の規範や秩序を維持させてきた」という事実もあるのである。ある意味では、ムラの貧困者や成り上がり者に対して「憑きもの持ち」の家とレッテルをはって差別することで、祟る=祟られるという関係をもたらさない心理的抑制によってムラの秩序が維持されたのである。こうした人とキツネとの関係を媒介とした「狐憑きと憑きもの筋の関係」は、共同体が生み出していた「つながり」がもつ2つの側面、協力・支援と支配・統制が分かちがたく結びついているという共同体の自治の二面性をも明らかにしているのである。

ところが、日本では「人に憑く可能性を生まれながらにして持っている筋」(キツネモチの家)があると理解され、「病気、わざわい、不幸の説明に役立ち、村の規範や秩序を維持させてきた」という事実もあるのである。ある意味では、ムラの貧困者や成り上がり者に対して「憑きもの持ち」の家とレッテルをはって差別することで、祟る=祟られるという関係をもたらさない心理的抑制によってムラの秩序が維持されたのである。…こうした人とキツネとの関係を媒介とした「狐憑きと憑きもの筋の関係」は、共同体が生み出していた「つながり」がもつ2つの側面、協力・支援と支配・統制が分かちがたく結びついているという共同体のパラドクスをも明らかにしているのである。戦後日本の農村は、近代化とともに農村社会の封建性をどう克服するかが大きな課題となっていた。

こうして日本人は、高度経済成長によって共同体を解体することでムラの民主化を完成させた反面、山や海、川や湖・沼・潟などの自然との一体感や独自の生命感を失ったとみることができる。これを「キツネに騙される力」と呼び、失われた<ローカルな知>の一つの形と考えたい。この力は決して非科学的で不合理なものであるとは限らない。いまでも生活のすべてを経済的(市場的)な関係に委ねているわけではなく、科学的方法の特性である二元論や要素還元主義だけでは解明しきれない領域は多くある。また、自然との関わりを回復したいと思い、ジネン(自然)の中で「生かされている」と考える人も少なくない。つまり、「キツネにだまされる力」を全く失ったのではなく、その能力に意義を見出して、その感覚を研ぎすまそうと努力していないのではないか。かつてはふつうに理解できた自然とのつながりやその向こうにいる人びととのつながりも、キツネに騙される「豊かな感性」を失ったことによって、意識的に教え、伝えなければならないものになった。

<引用・参考文献>

内山節『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』講談社現代新書、2007年

高橋紳吾『きつねつきの科学』講談社ブルーバックス、1993年

松村潔『日本人はなぜ狐を信仰するのか』講談社現代新書、2006年

吉田禎吾『日本の憑きもの』中公新書、1972年

吉田禎吾『 日本の憑きもの』中公新書、1999年

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?