執念なのか「分身ロボットOriHime」

最近、TVでやたら吉藤健太郎物語りをみる。分身コミュニケーションロボットOriHime。
吉藤健太郎は折り紙ばかり作っていた不登校時代を経て、奈良県立王寺工業高校から香川高専情報工学科、そして早稲田大学へ。孤独からの癒しを求めて研究開発に没頭する。そこで初めてOriHimeの原型を作って意気揚々と早稲田の教授にそのロボットを見せに行った。すると教授はよく出来ている、アートとしてはAだけど、研究としてはダメでFだと言われてがっかりした、ということらしい。大学なのでわかなくもないが、吉藤がどういう考えで作ったのか理解して欲しかったというか、教授は理解出来なかったのだろう。悲しい話だ。まあ私でもそうだったかも知れないので偉そうなことは言えないが。それから彼は大学から離れ卒業もせず、開発に埋没する。象徴的なことだ。まるでジョブス再来かと思わせる。思いが強く、大学など糞食らえってのもいい。
かたや彼は2012年に結城明姫との素晴らしい出会いがあり、彼女に勧められてオリィ研究所を起業する。近年に無いいい話だ。
先日も呟いたが、「教育でジョブスを育てるという言説に違和感を持つ」と言ったことはこういうことなのだ。強い思いが人を作り出会いを生むということだ。敢えて言うが教育は何も出来ない。それどころか人を潰しかねない。(言い過ぎかな)

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