『学校では教えてくれない』というフレーズの怖さ…
この記事はあくまでも個人的な見解に過ぎず、賛否両論があると思いますし、「深読みし過ぎだ!」と言われたらそれで終わりです。しかし、私の最近の違和感の一つでもあるので、綴らせてください。
私は、『学校では教えてくれない〇〇』というフレーズにすごくもやもやしています。その理由として、以下のものが挙げられる。
①学校教育のなかで子供の教育をすべて押し付けているように聞こえる。 ②学校で働く教員など教育関係者、文部科学省など学校教育に携わる人に責任を押し付けているように聞こえる。 ③そのフレーズだけが印象強くて、なぜそれが必要なのか、その教育をすることによって得られる成果はどのようなものがあるのか、そもそもなぜこれまでその教育がなされてこなかったのか、なぜその教育を必要だと考えているのかの考えが薄かったり見えてこないことが多い。また、類似したことを主張している人でも、そのような主張の糸は食い違っていたり、真逆なことを言っていたりしてよくわからない。 ④『自分が困ったから』という経験則で主張している人も多く、科学的な根拠や調査結果に則ってないことも数多い。教育は、人と人のふれあい、関係性の中で行われるものであり、経験から学んだりするものも多い。ただし、そこだけに委ねるのは危険なように感じる。 ⑤ ①②と類似するが、子どもの教育は周囲の大人が力を合わせて行うものであり、社会・地域全体で取り組むべきはずのものが、今の学校教育のブラックという風潮に乗って自由奔放に行っている人も多いように感じる。また、そのフレーズを本のタイトルなどにしたものがとても売れたり評判になったりすることも私は問題意識を持っている。 ⑥日々刻々と必要とされる教育の内容や形が変化していく中で、学校教育に新しいものを詰め込んでいくことに何か意味はあるのかと個人的に感じる。精選する機会も必要なのではないか。
私は以上の6点の理由を挙げた。皆さんはいかがだろうか。
人々がフラットな関係で対話を通して、考えを深めたりより問題・課題を改善する機会を持ったりしながら、ボトムアップでより良くする選択を取りたい。
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