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マインドワンダリング

2回目 の太郎山登山(1/26)(※1回目は1/12) 初回は裏参道(北東側斜面:道は裏の方がひろくなだらか、そして距離も2/3。しかし日の当たりが悪く雪の残りはこっちの方が多い。) 2回目は表参道(登り口は土も見えていたり楽勝な様子であったが真ん中くらいの鳥居の辺りからなかなか急斜面かつ距離が想像以上に長い) 下りは頂上を16時少し手前で後にしたため17:28の日没に間に合わすのは容易ながら17時前に下山しないと動物の活動の危機もあり
下りは滑走するようにrunning気味の下山。これがLEGに凄まじい負荷がかかり超久しぶりの翌日バキバキの筋肉痛。2日後の昨日までびっこ引いてました(笑) 帰りは必死なためマインドワンダリングする余裕もなかったが、登りはゆらりとした気分につきマインドワンダリングした。  生島ヒロシが28(金)に紹介していた「お釈迦様の言葉で過去をクヨクヨ振り返らず、未来を憂い過ぎず、ただ今日を精一杯生きる」 という発言が私の座右の【不将不迎】(ふしょうふげい:おくらず、むかえず)意味は上の生島ヒロシの引用と全く一緒。 この不将不迎を奇しくも太郎山の登りで脳裏に浮かんだ。登ってきた後ろを振り返らず、頂上はまだかなと焦らず、ただその一歩一歩を噛み締め、その場の景観や音声を楽しむ。過去や未来は現在に過剰に眺めないことをマインドワンダリングしたわけです。  それと銀河鉄道の夜でカンパネルラが天上にいく直前にジョバンニにも聞こえるように呟いた言葉 「お母さまは僕を許してくださるだろうか。きっと許してくださると想ふ。本当に良いことをするのが一番の幸せだから」 という宮沢賢治特有のキリスト教思想も交えた発言もマインドワンダリングした。 まさにその通り。人間はエゴイズムの塊である一方、集団で生きる生き物。なので集団の構成員に良いことをしたら自身も幸せという。  実に教訓めいた2題だが、グリム童話やイソップ童話も様々な寓話を用いそういった思想を説く。 真実は一つではないとはいえ自然の摂理に極力逆らわないことが平安の礎ではあろう。  あわせて散らかるメカニズム。 それは1つついた嘘が雪だるま式に大きくなるのと似ている。すこしの散らかりが、ヤル気をなくさせどんどん 散らかりが拡大する(エントロピーの増大)。エントロピーは自然の摂理だからそこに身をゆだねるのも手だが 自然とはじつは理路整然としておらず、カオスがデフォルト。カオスになれちゃえばそれもまた乙っだが、 綺麗好きな人はカオスじゃない方が心地いい。これもまた人間の摂理。なので少しのちらかりの目も小さいうちに摘むべき。 これは登山のマインドワンダリングでではなく今朝に発想した。(過去何度も発想し、同趣旨のエッセイも数度書いた記憶もあるが)

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