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センチメンタルジャーニー

タイトルは聖子ちゃん、いや違ったヒロミの奥さん伊代の若い頃のアイドルソングか。

先に発表した随筆「夏の終わりのシンフォニー」ではずいぶんとセンチメンタルなもののあはれを表現していたが、

自称ポエトは一歩間違えると痛い人になり勝ちである。しかし、この情感を表現するのは詩や短歌にとどまらず、広く文学の本質であろう。

という受験現代文に頻出しそうな文学論を月並みに述べてみます。

前置きは以上で、夏は情緒の季節、勿論、春夏秋冬それぞれに情緒はありますが、夏は色々と変化が激しいからその変化と比例し、感情もまた激しく揺さぶられますね。

小生の小学生の頃、当時もラジオ体操はあって、東京だから夏休みは大体7月20日頃~8月31日で50日近くあったのだがラジオ体操は最初の10日間や2週間程度だったと記憶する。スタンプをもらって皆勤賞のモチベーションを高めるのであるが。
ラジオ体操といえばラジオ体操の楽曲群。最初のラジオ体操の歌はポジティブの権化。歌詞は「新しい朝が来た。希望の朝だ。」から始まる。最近、草刈正雄がなんかのCMで歌詞を詩の朗読風に引用していたが。

そして何より体操のBGMはピアノを使ったクラシックミュージックだが、小生は第一より第二のBGMが好きだ。出たしの20秒くらいと捻る運動のときの妖艶な怪しい旋律に戦慄する。

小学校3年頃はこの曲が聴きたくて行っていたくらいだが。

最近もここ半年はウォーキングを続けていてスマホでイヤホン上でラジオ体操聴きながら歩く。

第二の楽曲はまさにセンチメンタルジャーニーだ。

この楽曲も第一同様に海外の作曲家によるペンかと思ったら、ネットで調べるとなんと日本人のペンによるものらしい。素晴らしい、流石は日本人の情感に訴えるのは日本人が得意といったところか。

話を変えます。小生が小学校中学年の頃、国立科学博物館in上野で中国の恐竜展があり、母親に妹、弟と連れられて訪問した記憶がある。中国の恐竜のインパクトもさることながら、当時の科学博物館のクラシカルな建築様式や、通常展示が入館してすぐにアロサウルスの骨格標本から始まり、各種動物の標本、確かサイなどもいた。海亀とかも。あっいやこれは記憶だから事実と間違ってるかも知れません。
また、ゼロ戦やロケットなどもあり、すごくインパクトがあり、柔軟な脳であった 7、8歳頃のセンチメンタル記憶に焼き付けていた。

大学生の頃、人体展があり、科学博物館に再度訪れたことがあり、10年以上前だったのだが幼少のセンチメンタル記憶は鮮明で、ノスタルジックななんともいえない情緒を感じた。

あまりにももののあはれを感じたので人体展以外でも、二、三回は大学時代にリピートして訪れたのだが、まず建物の明治か大正の頃の荘厳な建築にすごく興を覚えた。また、食堂では決まってミートソーススパゲッティを頼んだのだが、ちょっと高めながら食堂というよりレストラン寄りで美味だったのを記憶する。

近頃は住まいが東京からは遠いので久しく、いや30年近く行っていないが、ネットで調べると科学博物館は建て替えや展示も大幅にリニューアルしたとあるので、当時の姿はもう存在せず、撮影物くらいでしか確認出来ないかも知れないがそもそも展示内撮影不可だっただろうから、多くは画像や動画など映像も残っていないのだろう。

幻になり、記憶の中でしか存在しないこともまさにセンチメンタルの極みである。

今回意図的にセンチメンタルという語を多用したが、情緒や情感という言葉より薄っぺらく軽いのは伊代ちゃんには申し訳ないが、カタカナ言葉特有の軽薄さが醸し出す効果か?

以上

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