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ココロ裏腹

SNS疲れとは?
SNSはコミュニケーションだからもらったメッセージに
リターンを返さないといけないと義務感を感じるように
なるとなんか重くなっちゃう。でも付き合いがあるから
止められない。

SNS疲れとはそんなものかと捉えていた。

noteはSNSか?ブログサイトか?そのいずれでもなく
noteという新しいジャンルか?

その解釈は人それぞれと言ってしまえばそれまでだが、
noteという新しいジャンルが正解だろう。

仮にこれをSNSだとすると、作品に対するコメントは付くが
他のSNSより圧倒的にコメントは少ないと思う。

その作品をフォロワーさんとやり取りをする以上に美術館のようにただ作品を展示することが主題である。
勿論、美術館でもそれを鑑賞し、作者と観客が作品を巡り会話することもあろうが、黙って鑑賞するシーンの方が圧倒的に多い

noteは美術館や博物館と捉えることはいい得て妙である。

ではnoteがブログかを問う前に改めてブログとはなにか?
WEB上にスタイルフリーで文章や写真を投稿するサイト。その意味ではSNSと殆ど変わらない。ブログは2000年代初頭に生まれて、SNSが出る前のオンラインの同人誌であった。

SNSがほぼ取って代わり、まずはmixiがフィーバーしてmixiは当初は日記オンリーだが、ツィッターが台頭すると対抗するように日記だけでなく呟きも生まれる。
mixiは交わることを主題としていたから友達の訪問数(足あと)を競ったものです。別のnoteの投稿(154)にも書いたが、mixiの足あととnoteのpvはよく似ている。
しかしmixiは圧倒的にコメントが多かった。コメントがつかないことはまずない雰囲気。というかそういう風に不文律が出来上がっていた。コメント頂いたらコメント返しも礼儀であった,noteのすきに相当するいいねもあったが、コメントもほぼ付けるのが礼儀であった。対してはnoteは(これは私の感覚かも知れないが)圧倒的にmixiよりかはコメントが少ない

SNS疲れの正体は、元来ストレス発散でやっているのに実生活と同様に人付き合いが過剰に生まれて別のストレスになると言うもの。

noteはそれを避けるよう計算してか、過剰にコメントがつかない文化が構築されている。それは快適だろう。
全く交流がなければウェブ上に作品を公開する意味は半減するが、程々の心地よさがnoteにはある

では、noteはブログか?の答えは既にブログと呼ばれた形式やサイトはSNSに取って代わられたので2020年現代でnoteはブログか?という問いは愚問となると答えるのが正解。

ゆえにnoteはブログでもないし、SNSとも若干異なり、
先に表現したようにweb上の美術館、博物館、はたまた展覧会の会場という新しいジャンルと呼ぶのが最も適切かと思う

おそらく「noteはSNSか?」でググれば似たような意見にヒットしそうだが、それらを見て答えたら、私の考えが他者の意見に駆逐されるため、全く参考資料なしに私見でここまで書いた。

ではnoteはSNS疲れのような物はないかと言うと、

美術館には観賞者が来るから、作品がそれら観賞者に何かテーマを訴えたとき、その公約を守るべく作者にプレッシャーが生まれる。

例えば毎日作品を創作するとか、
〇〇作品まで頑張るとか、

私はそういう自己プレッシャーを掛けると義務感が生じて作品を生み出すのが楽しくなくなるのでそういう外に向けた、突き詰めて自分に対してのマニフェストは一切立てなかった

だからこそ嬉嬉として自由に作品を創造してきたので、従来の疲れもなければ公約プレッシャー疲れもないはずだ。

しかしそんな私でも疲れてきている。

確かに私は創作作品数とそのペースにはこだわってきたが、
それが目的ではなく、あくまでも創作意欲に従い自然体で創作し、結果としての数値を眺めることに感興を覚えていたに過ぎない。

なのに疲れるのは何故か?

アウトプットは頭が整理されスッキリするからストレス発散になっている。しかし別の種類のストレスが発生しているのである。
それは何かと言うと、アルコール依存症やゲーム依存症のように創作依存症的な罠にハマっている

アウトプットは心地良いからどんどんしたくなる。
またその数やペースに多い方にも少ない方にも制約をかけていないから自由で束縛がない意味ではノーストレスなのだが

心地よいがためにそれに依存すると別のネチャッとしたストレスが生まれる。

心地よいから離れなれなくなり、それが心に重荷となる。

突き詰めると私の疲れはそんなところだ。

よってそれが分かっていたから、新作を凍結する期間を設けることにした。

前もこのnoteにおける創作活動と実生活の労働とを類似しているものと対比してみたのだが、確かにそれらは非常によく似ている。9日連休をとってよくわかったのは、実生活でも大きなプレッシャーやストレスはないはずなのにジワジワと蓄積されたストレス疲れがかなり確認されていたことだ

これと先に挙げたnote疲れはよく似ている。

だからnoteにも連休を与えるべきと考えた。

note制作は楽しいから、依存気味の私は3日と言わず2日で凍結を終了しかねない。

それでは夏休みを取ろうとして通常の土日連休だけにしたのと同じでまるで意味がない。よって最低5日。はたまた、その休息が心地良ければ9日とか14日とかにも成り得る。しかし15日以上は流石に続かないと思う。禁断症状が出てしまいそれを我慢するのが新たなストレスとなる気がする。

とまぁここまでセルフアナライシスと仮説を立てた上でnote上のヴァカンスを取ろうと思う。

これは呟きではなく作品だから、残りはあと5作品となった。

この自己分析系の作品制作は個人的には大好きである。

※ちなみに作品凍結中はnoteに公開しないでやはり極秘に作品を制作してそれを溜めておいて後で小出しに発表するというインチキもしない。それは禁煙中に隠れてコッソリ吸うのとにていて、
本人にとって何の意味もなくなってしまうからである。

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