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風流、審美眼

時折、私はAIと人間の共存、はたまたAIがシンギュラリティ(技術的特異点)を境に人間を支配するのでは?というキャシャーンやターミネーターなどSFの世界観に対する不安を述べているが、

既に深刻なテーマですよね。話の信憑性の高さは保証出来ませんが、南アフリカで戦闘ロボットに自動制御付AIを搭載したら暴走して科学者を抹殺してしまったという事件やAI同志を会話させると変な自我が芽生えて危険という話も動画でみたことも。何度も言いますがそのことの信憑性は保証しかねますが。

まぁただ人間は何十年も前からそのことの危険性に気付き警鐘も鳴らし、対策も講じてるだろうからAIが人間を支配する事態にはならず、共存していけるとは信じる。楽観的かも知れませんが。

共存していく上で人間がしばらくは優位な分野は細かな心の機微や美の概念をデータではなく感じる機能ではなかろうか、このことも折りに触れて述べてきている。

確かにAIは膨大なデータの中から風流とか自然美のような物も判定して提供することは出来るかも知れない。いや既にそれくらいの能力は持っていよう。
しかし、それはAi自体が風流さや美しさ感じているわけではなさそうだ。それを感ずるに等しい機能も持たせれば持たせられるのかも知れない。
しかし、それは生命を人工で作ることは危険で倫理で禁じているように、AIにそこまでの機能(感情らしきもの)を持たせるのは危険で倫理委員会は持たせないであろう。

仮にマッドサイエンティストが極秘にそういった実験を繰り返し、恐るべきAIが脱走して人間と風流や審美眼の勝負を行っても少なくとも2100年までは人間は負けることはないと信じる。

その意味で私は月尾嘉男先生の生き残る職業の講義も参考にして
風流さや美を共感し表現するスキルの向上を高めることが生き残る近道と信じている。

故にnoteでも風流に関する記述を折りに触れて発表し、訓練を積んでいる次第である。

昔から詩人や画家や音楽家はその道のプロフェッショナルであるが。今更そこを目指すつもりはない。小説家やエッセイストは興味はあるが。

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