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AIと情緒(もののあはれ)

AIが人間の能力を上回るシンギュラリティ

その地点まで行かなくとも人間が行っている多くの仕事は機械が取って代わると言われている。このことの是非は差し当たり置いておいて

人間が勝てる仕事は人情を武器にする営業や教育
また繊細な情緒を扱うアートの世界と言われている。

ネオデライト運動の項で書きましたが

情緒とは、脳内で処理しているものだけでなく、

暑い寒いや痛い、痒いなどの皮膚感覚。
また、匂い香り、微妙な音、などの五感。
また、第六感と呼ばれる5感の複合的感覚から過去の経験値から未来予測する感覚、それらは、生身の身体を持つ、人間や生物の強み。眠いとかの感覚も含めて

しかし、それら感覚をデータ化し、AIに憶えさせたときに、情緒に近いものを機械が情緒に近似値のものを持つことは理論的には可能であると思う。

既に喜怒哀楽など代表的な感情を機械が読み取る、また類似した感情に近いものを持たせる研究は進んでいるという。
ただし、喜怒哀楽というのは凄く大雑把に人間の感情をカテゴライズしたものに過ぎず、情緒というのは大脳だけでなく、身体全体で感じる感覚を含めた生体反応を包括したものであるとすると、あまりにも膨大なデータを獲得しなくては生体レベルには辿り着けないのでは?シンギュラリティと呼ばれる地点ではAIはそこには達しないであろう。

そもそも機械を作った人間がそこまでの感覚を機械には与えないのではなかろうか、それこそ、人間の強みを奪われることにわざわざする意味はないであろう。

それを考えると単純な感情よりももっと細分化し、生体がもつ反応の複合的情緒を活かした仕事、やはりアート(文筆業含む)はシンギュラリティ前後でも武器となろう。

夏の終わり、秋の初めに情緒に訴える作品を私が量産したのはそのトレーニングと言える。

それこそ、血の通った、モノのあはれを扱った文章は将棋や囲碁のようにはAIも簡単には行かず、まだまだ、軍配は人間に上がるであろう。前述の通り、超えるような機能を与えてはならないであろうし。

音楽の例で言えば、ゲイリームーアの原曲を本田美奈子がカバーしたThe cross 愛の十字架やチェリッシュの千羽鶴などは機械がどんなにそれらを模倣しても、生身の人間の作るそれを超えることはあり得ないと信じる。
それくらい前述の2曲は心にグッとくる。

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