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謹賀新年(新年初の雑感)

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

とはいえ年が改まり何かが大きく変わる訳ではない

ことウイルスが季節祭事を理解し、お正月くらいは活動をゆっくりととはならない。
また年の瀬や謹賀新年の風情を理解し、「あっ、めでてぇなぁ〜、人間と仲良く」とはならん。

人間の活動はいわゆるお正月気分で気が緩み、ついつい大人数で会食したり、混雑する初詣は避けても結局は初売りの混雑に参加しちゃったり、大晦日の昨日の東京の1300人超えや全国で4000人超えの感染者というのは

ウイルスの活動が全く変わらない(むしろ変異種も入り込み感染確率を高めている)のに対して

人間の活動が「ウイルスさん、どうぞどうぞウエルカム」と言わんばかりの行動をとっていたら、そりゃ感染が爆発的に拡大するのは必然であろう。

昨日は新潟県のスキー場に仕事の調査で赴き、その混雑ぶりにGO TOの停止は何の抑止力にはならないことを痛感した。

とはいえウィンタースポーツは例えば、混んでいるレストランを避けたり、トイレは仕方なくてもきちんと手洗いやマスクなど予防は普段通りすれば、他のレジャーに比すれば感染リスクはないのかも知れないが、その非日常感でタガが緩み、予防行為を怠りスキー場でのクラスターなど出た日には目も当てられない。

なんにせよ、私は混んでいる時期の初詣は、もともと、ここ20年以上行かないし、スキー場も空いている時期や場所を狙ってきた
コロナ前から元々が密を避ける行動パターンが出来ている(そんな混むとこになんでわざわざ行くの?派であった)。

そんなものには今の自粛養成は何の苦でもなく、むしろ、全体が自分の行動パターンに近づいたと感ずるほど。

手洗いや消毒意識もそんなに変わっておらず、デフォルトが神経質なため、トイレなどで手洗いとドアノブなどに直接触らない(紙などを使い紙もすぐに捨てる)などをもともとやっていたので、ちと潔癖症気味な性質と行動にやっと世間が近づいてきた感がある。

なので世間一般にいう、コロナ禍でストレスが溜まるという感覚は、私にはないに等しい

酒を飲みワイワイやるのは好きだが、じゃあないからフラストレーションが溜まるかというと、シラフでも、またオンラインでも同じ発散が出来るから、ガス抜きも十分に出来ている。

このコロナ禍というのは死者も多数出ているから、むしろ今が楽しいなどと言うのは不謹慎にあたり、もちろんそれをわざわざ大声で言わないが、

しかし、過剰に悲観することがなく、適正な行動を取り、そこにストレスを溜めず、ウイルスとの共生の中にも、喜びや安らぎを感じることは罪なことではない。

私だけ立派だ、なんて新年早々にマウントを取るつもりもなく、
私の思想を押し付ける【同調圧力】はかけたくない。

「そんなつもり」がなくとも受け手には「そういうことでしょ」と解釈されてしまうので本当に厄介ではある。

菅義偉氏もそんな気持ちで「誤解を与えたことには真摯に反省する」みたいな誤解という言葉を用いて世間から反感と呆れを買ったのは記憶に新しい。

彼の場合は「自分はそんなつもりはない」なのでも、やはり立場もあるし、迎合、忖度とは言わないが、もう少し上手な謝罪の仕方があったであろう。

私は昨年2月以降に外食の回数は5本の指に収まる。というより記憶ではちょうど5回であり、そのうち4回は1人での外食、たった1回だけ弟と二人で個室で会食しただけ。

飲酒の伴う外食(いわゆる飲み会)はゼロである。

こういう人がそれなりに多いから飲食店や居酒屋さんは厳しいのは確かだが、志村けん氏のように「俺が飲みに行かなければ、常連の飲み屋さんが可愛そうだから」というお人好しの行為で命を落とすのはバカバカしい。

まだそんな議論が始まる前の志村氏の悲劇だから志村氏の行為を非難するつもりは毛頭ないが、

なんなら私は床屋すら昨年2月から一度も行かずセルフカッティングである。

2020年中にこの場でもそのことには言及した。

飲み屋さんなど、廃業に追い込まれた人はあまりにも突然のウイルス禍によるもので予測も準備も出来なかっただろうから気の毒で、ひとによっては人生が終わったという激しい絶望を感じていましょう。

しかし、この産業構造の変化は仮にコロナが発生せずとも、常に少しづつ進むものだ。

特にAIの発展で、税理士や弁護士や外科医などの花形の職業もいずれ職を機械に取られて失うという説はかなり前からあった。

なので不運な人はどうしても出てしまうが、その変化に順応していくしかない。

それを見越したとき、情緒とか風情を伝えるスキルを磨くことは必要なスキルと捉えて、ここnoteでもその訓練を私は沢山してきている。

これら年明けの雑感は、2020年中に思索しアウトプットしてきたことばかりだ。

ゆえに年が改まっても何かが大きく変わるわけではないと述べたことに帰結するのである。

新年元旦からやや長文かつ、理屈っぽい話で失礼しました。

以上

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