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コンプライアンスの根底。人を殺したらいけない最大の理由

昨年の大ヒットドラマ『あなたの番です』(通称あな番)の第1話の冒頭で竹中直人がストーリーテラーを担当し、
「人を殺してはいけない理由って何ですか?道徳心ですか?倫理感ですか?それは違うと思います。一番の理由は捕まりたくないからでしょう。」といわゆるブッチャケ論をストレートに述べていた。

これは法律主に刑法の根幹の問題だろう。

社会を形成する人間という生き物は本能に従い、殺害本能のままに行動していたら、お互いに常に恐怖とストレスに苛まれるから、法を作り、お互いを牽制、監視し、やられたら嫌なことをしない、させないルールを作っている。それは倫理や道徳という綺麗な言い方ともっとストレートな本音は罰せされたくない、という最大の動機があって初めて奇麗事ののようなフレーズに高まる。

殺人のような重い罪でなくとも、学校や、会社にはルールがある。
校則、社則というものです。

これを守るべきという道徳的な意識は持つ人が過半数だから組織の秩序は守られるわけだが中には守らなくても支障がないというか、そんな些末なルールに何の意味があるのかというものもある。

例えば学校に靴下の色は白か黒、又はグレーを基調としたダーク系のものに限るとか。

会社の経費精算の流れてでレシートを提出すれば済むのにわざわざ申請書とそれ以外にも管理台帳に記入せよとか。

靴下の方は何色を履こうと個人の自由でしょ。流石にショッキングピンクはなくても、ブラウンのチェック柄で、何の問題があるの?

経費精算の方は申請書さえ出せば事足りるでしょ。そんな生産性が悪く合理的でない管理台帳なんて意味ないよね?

など。

仮に学校も会社も上記のようなルールがあれどそんなにうるさく管理されてないのに守る人が多い理由は

ルールは守るべき、という立派な意識の他に

今はチェックされてないけど抜き打ちでチェックされたらヤバいからという本音の両方がありましょう。

竹中直人は前者より後者の意識が大きいのではと断定していました。

私もその通りだと思います。極端な性悪説を唱えるつもりはないが、かと言って性善説一辺倒ではないのは確かだ。

では上記例のような一見非合理なルールを守る。守らせる意義とは何だろうか?

これは選挙のようなもので自分だけという個人に焦点を当てたら、守っても守らなくても大勢に影響がないルールもある。

全体論でいけば全員が自分だけは良いを通していたらやはり無秩序を誘発する。

また、大した問題でなくともそれを破り出したら蟻の一穴の如く、ことごとく大事なルールも無秩序へと発展するのを恐れるから、

管理者は守らせることに腐心し、従事者は組織で仲間外れにされたくない、または会社なら出世に係るから、ルールを遵守する。

コンプライアンス(法令遵守)の思想ですね。

度を越した取り締まりは私の代表エッセイの同調圧力で記したように組織に硬直化を招くから緩すぎず、厳しすぎない適度なマネジメントが望ましい。

コンプライアンスはこのご時世、一般にも知られる用語となったが、その根底にはやはり、捕まりたくない、罰せされたくない、出世に響く、内申書に響くなどがあるのは間違いないと思う。

その辺りをカッコつけて建前論しか述べない人は胡散臭いと思う。

※私は法学部卒ではないのですが、法学を学んだ人には基本的な話かも知れません。

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