牛の先祖ボス

1985年に猫の登場人物で印象的なアニメーション映画、『銀河鉄道の夜』が上映された。中1の夏に見たが、ストーリーは意味不明に感じた記憶がある。

その後、地上波で放映されビデオテープに録画し何度も見たが、原作をかなり忠実に台詞回しまで再現していることに気付いた。

プリオシン海岸のシーンは一番好きなシーンである。水晶で出来た砂を手に掬い、カムパネルラが水晶の中に小さな火が燃えているという表現も秀逸だが、

海岸の先でボスと呼ばれる牛の先祖を発掘をする部隊の監督者であり学者の以下のセリフは極めて印象的

以下、宮澤賢治著『銀河鉄道の夜』より引用

「いや、証明するに要いるんだ。ぼくらからみると、ここは厚い立派な地層で、百二十万年ぐらい前にできたという証拠しょうこもいろいろあがるけれども、ぼくらとちがったやつからみてもやっぱりこんな地層に見えるかどうか、あるいは風か水やがらんとした空かに見えやしないかということなのだ。わかったかい。けれども、おいおい。そこもスコープではいけない。そのすぐ下に肋骨ろっこつが埋もれてる筈はずじゃないか。」
以上、引用終了

風か水やがらんとした空にみえやしないか?の部分は3次元の我々の外側(高次元)の存在からみたら見えかたが違うということ。

原作とアニメーション映画の違いは映画ではプリオシン海岸を望遠でフェイドアウトする最後のカットで海岸そのものが巨大な牛(牛の先祖ボス)の化石だったという落ちは、こういうことをやるとチープになりがちなのだがならないところが凄い。むしろボーッと見てると巨大な牛であることに気付かなかったりするレベルのさりげなさ。
原作にはそう言った描写自体はない。

人間の体内にも無数な細菌やウイルスが暮らしていて彼らが見る世界と宿主である人間の見るミクロの世界は当然、見えかたは異なる。

風呂浴槽のお湯がユニバースだとして、そこに無数の銀河が存在していれば浴槽のお湯の外の世界は存在することを我々は知っている。

現在我々が銀河や宇宙という空間も拡張し続けているとはいえ、浴槽の外に喩えられる世界は存在するかも知れない。

割とよく言われる考え方だが、映画『インターステラー』などに照らし合わせると興味深い。

インターステラーの5次元の世界、キューブリックの『2001年 宇宙の旅(原作:アーサーCクラーク)』で終盤にボーマン船長がブラックホールかワームホールのようなものを通り抜けてスターチャイルドになる前のサイケデリックな映像のシーンなどが近い世界観を描いている気がする。

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