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ハンデは成長エンジン

エッセイタイトル【ハンデはガソリン】

人には得手不得手ガアル。
 
それは当然だ。扁桃体が「とある行為」に苦手意識(トラウマやアレルギーとも表現される) とその行為が苦手になる。  例えば家電製品のマニュアルをサクサク読めるか、どんなに読んでも頭に入っていかないかの差 はこの苦手意識が連関し、先天的な能力とは必ずしも比例しない。  私は物を探すのは苦手、上の理論でいくと扁桃体がネガティブな感情をもってしまい 冷静にものを探せないことが多い。  そんなタイプ(トラウマ)を持つものは2つ対処法があって物を探さなくていいように 徹底的にルーティンで使うものの正場所を決めて使ったらすぐにそこに片づけること。 もう1つはものが出てこなくても気にしないこと。それでなくとも代替になるものは 多く、そのものにこだわらないこと。  私はこのトラウマのシンドロームの深みにはまらないようどちらも実践してきた。 しかしその対処法も行き過ぎると弊害(副作用)が発生する。  前者なら潔癖すぎる(完全主義的過ぎる)とその片づけることに過剰に時間を費やしたり なにより精神をすり減らす。マインドが疲弊すると片づけることが一気に嫌になってしまい
逆に片づけが全然出来ないひとになる。 このトラップには私は多数嵌った。 典型的な片づけ出来ないひとのメカニズムですね(完璧主義すぎて放棄しちゃうこと)  後者は柔軟な考えというと聞こえが良いが、臨機応変も過ぎると単なるズボラな人になりかねない。 これも私は嵌った。  その2つのメカニズムから結構部屋とか車とかひいては頭の中が取っ散らかることが多い。
本質はきちんときちんとしたい人なのに皮肉な結果を呼ぶことに。
 
現代は自閉症スペクトラム障害やADHD、アスペルガー症候群など発達障害に関する研究も進み なんでもかんでもそういったシンドロームに帰結されがち。 それが個人にとって良い結果を得る場合と逆効果な場合がある。
 
そういう研究は「人間はかくあるべき」という理想への完全主義的アプローチであり、上記の私の例の ように副作用はかならず生じる。  それはそうとして把握した上でシンドロームやそこまでいかない心のひずみはネガティブ要素に捉えられる 場合がほとんどだが、必ずしもそうではない。  ハンデは亀仙人が子供のころの悟空やクリリンに背をわせた亀の甲羅のように(あるいは巨人の星の 一徹が息子飛雄馬に装着させた大リーグボール養成ギブスのように)人を成長させる。  たとえば目が少し不自由なひとは学校教育の習得が平均の人より劣ることもあるが、そのハンデが亀仙人 の甲羅のようになり、ひとより荷重かけて鍛えているから、例えば手術で目がよく見るようになったとき 凄まじい習得の追い上げをして、なんと大学教授にまでなる例とか。  物を探すのが苦手な私のシンドロームも、原因がトラウマであり、決して認知症的な問題で苦手でない 場合、トラウマを取り除いたとき(例えば探すのは宝探しゲームみたいで楽しいなぁなど)マインドシフト出来て そのトラウマが大リーグボール養成ギブスとなっていた分、ギブスを外したらとんでもない豪速球を投げられる ケース。  思えば私は高校受験も大学受験もそれなりのトライアンフを勝ち得ているし、ビジネスライフも紆余曲折は あれど、SO FAR, SO GOODであるのは常になにか甲羅を背負いそれを勝負時に脱ぎ捨てる戦法を無意識に 、ときに意識しておこなってきたからだ。  今日はハンデは成長エンジンの燃料(ガソリン)という話を私の実体験を交え紹介させていただきました。  以上

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