耐震構造とメンタルの靭やかさ

8時40分頃の竹内結子の訃報はかなり衝撃的。

三浦春馬の件もありこの流れはコロナとの因果関係を早急に語るのは短絡的であろうが

育児ノイローゼや将来に対する漠然とした不安や鬱病が、コロナ以上に社会不安を背景に増加することに懸念を抱いていた専門家は多い。

そういった精神症例と完全主義の因果関係を自分に当てはめて問うと、10も若い頃はもっと神経質で気難しく完全主義で、鬱病予備群的性質を備えていたと思う。

完全主義の脆さは固い枝と「しなる」枝の違いで比喩されるように固い枝こそ完全主義者でおりポッキリ折れる。

メンタルの強さと気が強い性格も似て非なるもの。

気が強く豪快な性格は実は折れやすい枝に等しい。

竹内結子のことを何も知らないで邪推で折れやすい固い枝と比喩するのは実に失礼だからしたくないが、その可能性もあるのかも知れない。

自身は自死希望感こそ経験したことはないが体調と心の限界で目眩や吐き気思考低下、愁訴等を感じたことはある。
その時、そして、克服する過程で感じたのは、そういう精神状態に陥るのは防波堤を越えた波によるものなのでメンタルの強さ弱さとはほとんど関係がない。

そういった状況になった際も折れないで凌ぐ耐久性、ストレス耐性こそがメンタルの強さと感じる。

但し、ある限界値を超えた場合はそういったメンタルの強さでも克服出来ないことも知っている。

狭間で、土俵際で残るのはしなやかさが物を言う。

耐震構造も地震の揺れに合わせて動かす構造を利用しており、

ゴムのようなしなやかさこそ身につけたい(強化したい能力である)

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