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AL−MAUJ

中森明菜、花の82年組のアウトサイダーと言われる。

「女性新人アイドルの当たり年」には「80年組」と「82年組」である。

1980年にデビューの「80年組」は、松田聖子、河合奈保子、岩崎良美、柏原芳恵、三原じゅん子と。1982年デビューの「82年組」は、小泉今日子、松本伊代(厳密には前年10月デビュー)、早見優、堀ちえみ、石川秀美と、そして中森明菜。
※ちなみに菊池桃子は83年デビューで惜しい。だったら松本伊代も違うだろという声もありそうてすが。。。

タレントとして成功しているのは80年組の松田聖子と82年組の小泉今日子と言われる。両者は世渡り上手であり、恋愛、結婚、そして離婚も卒なくこなし、干されることなく、一級品のタレントとして君臨する。

中森明菜は異色中の異色だ。
ゆえに花の82年組のアウトサイダーとも言われる。

しかし、これら豪華な面々の中で歌手として最も成功したのは明菜である。例えば聖子やキョンキョンも歌手としても十分に成功しているが、歌唱力が明菜は別次元に高く、日本レコード大賞2年連続大賞受賞の快挙は他を圧倒する実績である。それは運が良かったというより、然るべき実力を持ち名曲を世に放ち続けた結果である。

明菜は山口百恵に憧れ、歌唱スタイルや曲調が山口百恵に酷似している部分がある。

デビュー曲のスローモーションこそ、アイドル然とした可愛いらしい歌い方をしているが、
その次のシングルであり、まず歌手としてブレイクした少女Aからは歌い方が山口百恵のようにキリッとした当時の言葉でいうツッパリの香りがするスタイルに早々に移っている。

あっ少女Aのあとのセカンド・ラブも少し可愛いらしい声色だ。
とはいえ曲調は思いっきりマイナースケールの明るさの欠片もないムード。

先に述べた日本レコード大賞大賞受賞は
1985年のミ・アモーレ
1986年のDESIRE−情熱−
の2曲。
間違いなくそこが頂点でその後もヒット曲を出す(後述します)が、
1989年の近藤真彦との破局、自殺未遂騒動を起点として凄まじい転落を遂げる。とはいえその後も随所で良い曲を出してはいるが(これも後述する)

その85年、86年の前にも素晴らしい歌唱、素晴らしい楽曲に恵まれ、もはやアイドルでなくシンガーとして他の追従を許さない程。その様をTHE BEATLESに喩えるのは若干大袈裟ながら、それに近いインパクトを日本歌謡史の中ではもっていた。

上記4曲を除く初期の名曲(シングル)を挙げると
禁区
北ウイング
サザンウインド
十戒(1984)
飾りじゃないのよ涙は
SAND BEIGE−砂漠へ−
SOLITUDE
ジプシークィーン
Fin
TANGO NOIR
難破船
AL−MAUJ(アルマージ)
I MISSED "THE SHOCk"
となる。ここまでが1988年までの発表

そしてその後1989年の大事件を経て明らかにトーンダウンするが二人静-「天河伝説殺人事件」より-や水に挿した花などもまぁ良い曲だが、なんかもはや演歌のような(悪いわけではない)落ち着いた歌唱になり、レコード大賞大賞受賞の頃のオーラは失われている。

それは仕方ないことだろう。
そもそも明菜の目的は山口百恵のように歌手としてやり切ったら(十分やり切ったと言って良い成果である。)
電撃引退して結婚することであったが、ジャニーズ事務所やマスコミに裏切られ、その夢も破れたのだから。

そして89年の鬱鬱の手前ながら、難破船とAL-MAUJは既に鬱っぽさ満載の曲調で明菜も既に鬱に入っていたと言って過言ではない。DESIRE以降の曲はジプシークィーン含めてそんな予兆は既にあったが。

聴く側もメンタルが弱っているときにその2曲を聴くと鬱が加速する。しかし不思議とその2曲はそんなときでと聴きたくなる魅力に溢れている。

私も4,5年前にやや仕事の人間関係の悩みなど精神的に不調を感じていた時にAL-MAUJにハマったことがあった。ついでにTANGO NOIRも似たよう効果がある。

心地よさと鬱感が強まることも感じてしばらく聴くのを封印したが
ここ数年は精神も安定しており、AL-MAUJを聴いても鬱っぽくなることはなくなっている。

AL-MAUJはリトマス試験紙かも知れない。精神安定判定の。



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