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適職

職とは

形声。耳と、音符戠(シヨク)とから成る。耳に聞いて知り覚える意を表す。転じて「つかさ」の意に用いる。

出典; 角川新字源 改訂新版

律令制下の役所の名を指すことも。「中宮職」など

日本的な会社における仕事の割振りはメンバーシップ制度と呼ばれ「その人がもつ可能性も含めたヒト」で採用され、その時々の適職を会社が判断し職をメンバーに与える。

一方、アメリカ的職業スタイルはジョブ制度といい、ジョブ(職務)が決まっており、それに適った人材が「その職務を私実行出来ます」と応募し企業はその適性を見極めて採用する。

ジョブ制度の場合は企業と個人のミッションの合意に基づく契約で成り立っており、日本のサラリーマンでいうような「会社への愚痴」「上司への愚痴」はあり得ない。

メンバーシップ制度に慣れた日本人からすると、いわゆる隣の芝生は青く見える的にジョブ制度は羨ましくみえるかも知れないが、勿論ジョブ制度はそんなに甘いものではなく、年功序列や温情人事は一切なく、実績だけで評価され報酬も決まり、ミッションが数度に渡り不履行であれば容赦なく解雇される。まぁその非情度合いは企業によっても千差万別でメンバーシップ寄りのジョブ制度の企業もあろうし、前にも同様の趣旨のエッセイにも記述したようにハイブリッド型という悪く言えば中途半端な体制を敷く企業も日本では生れる始めている。

企業の採用や人事についてはかくのごとく古今東西でスタイルは異なるがどんなスタイルであっても仕事をする個人にとって適職という概念はいつもついて回る

自分に合った仕事とは例えば身体能力が著しく優れていればアスリートとなりそれを職業とする場合や凄く弁舌が先天的に巧みである場合、アナウンサーや弁護士、落語家など語りをメイン業務に就くことがある。

しかし、特に日本的なメンバーシップ制度の場合はまずは様々なポテンシャルを秘めた人材を会社が教育しその才能を開花させ、本人も就職前には適職とも思わなかった職務で才能に花を咲かせるケースもある。

これが日本的なメンバーシップ制度のメリットである。

20歳前などの若者では上記のようなアスリートの例など極端に能力が浮き彫りになる例を除き、得てして自分が適職と思っていことがそうでもなく、向いていないと思っていることで将来成功するなど、枚挙に暇が無い

だから日本はメンバーシップ制度の企業が従来は大半であり、モラトリアムといって職に就くまでの準備期間と称してフラフラしている期間も海外に比べて長い。

最近はどうだか、実態は知らないが大学はレジャーランドと言われ過半数の学生が社会勉強と称して遊びやアルバイトを本業以上に力を入れていた。
それは大学のブランドが就職や就職後の学閥などでものをいっていたから。

なので難関大学に入るまではひとによっては中学受験から、高校受験、大学受験の競争を勝ち抜く努力をしてきたから、せめて大学の4年間や2年間はゆったり、自由を満喫したいという、またそれでも良いよという社会の風潮により、基本的に楽に流れる動物である人間は過半数がそういう過ごし方をしている(いた)。

このように評論家風に語る私自身も典型的な上記パターンの小学校〜大学までの歩みを進んだ。まさに阿部礼司(アベレージ)である。

なのでモラトリアムとかメンバーシップ制度とか適職とはなんぞやという議論は実体験として自分ごととして語れる。

私の現職(というより就職して25年近くを同じ会社でほぼ同じ職責を担ってきている)は、自己紹介に書いているようにコンサルティング業をとある大手企業に属して行なっている。

コンサルタントという響きからは人に物を教える先生の要素が大きいように聞こえるが、いわゆる営業マンの要素も何割か内包しており、営業成績も問われる(問われていた)業務である。

私は学生のとき学歴を武器に家庭教師や塾の講師もしており、人にものを教えるのは適職と思いその仕事、その企業に志願。就職した。勿論、その企業には人事部、総務部、企画部、財務部などのいわゆる裏方の部署もあり、就職後の適性ではそれら部署に配属される可能性もあったのでメンバーシップ制度に相違ないが私はジョブ制度的に捉えそのコンサル部門をずっと続けたい意思を示し続けた。

しかし、前述の通り、純粋なコンサルだけでなく、むしろ営業成績を問われる営業マンの側面が強かったから、本来私が志していた仕事とは異なっていた。
ゆえに壁や挫折は人並みか人並み以上にしてきている。

例えば学生のときサークルでも幹事長をやったり、お調子者のように全体を盛り上げるような人物は営業マン向きであると思う。

私は飲みでスパークすることはあれど、総合的には前面に出るキャラではなくズンズン突進するタイプではなかったから、典型的な営業向けの性格ではなかった。

勿論、営業要素も強い仕事をやってきた今では、そんな典型的なキャラだけが営業に不可欠な要素ではないことは実感している、
ある意味で月並みな話だが、むしろシャイだったり、無口なくらいが営業では押しつけがましさがなく好感度が高くうまくいくことも無きにしもあらず。

とはいえやはりティピカルな人の懐に潜り込むような愛嬌とか、可愛がられるキャラが上手く行きやすいことも間違いではない。

私は単純な人見知りというわけでないが、かといって初対面からすぐに打ち解けるタイプではなかったので、決して有利な性格ではなかった。

なので、素の性格で上手く立ち回る奴らよりは苦労や葛藤は間違いなく大きかったが、そんな不向きな性格も経験を積み克服し、今では喋り過ぎる程お喋りになり、立ち回りの良さはあの大学時代のサークルのお調子者達を超えるノリで勝負できる域に。

とはいえ、それが適職に必要な要素かと言うとそうでもないが、道を極める過程でそういったティピカルな営業マン要素も高まっていった次第である。

そもそもが営業要素よりコンサル要素を求めた職であったのが、いつの間にか営業テクニックが磨かれその分野にも楽しみを見出すようにさえなった。

とはいえ本筋のコンサル要素が世の中の変化で俄にここ数年で比率が高まり自然と本来望む職環境が訪れている。

そうなるともはや何が自分にとっての適職なのか?分からなくなってくる。そもそもの自分の性格や傾向が環境に応じて変化しており、入社時とは性格も大分変化している

つまり、これは数学の証明ではないが、適職などというものははじめから存在しないことの証明となるのである。

月並みな締めだがメンバーシップ型職環境においては与えられたミッションをこなす度に元の適性というものはどんどん変化し職務に合わせて順応していく。その意味では、職業を志す若者は決めつけで自分の可能性の幅を自ら狭めない方が良いのかも知れない。

この歳になると実体験として上記のような教訓を実感
を込めて語ることができるようになる。

以上 

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