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コンバイン1,2,3

ニンゲンは同じことを言われ続けると嫌になってしまう。いわゆる根負けという奴。

悪徳商人、悪徳上司がこのテクニックを使う。

ニンゲンは扁桃体が「嫌悪感」を感じた事象を取り除こうとする。仮にその事象が仕事のルーティンワークであるとすると実に厄介。嫌で気が乗らないからすごくシンプルですぐに終わるタスクなのに滅茶苦茶時間が掛かる。目の上のたんこぶは扁桃体に働きかける。実に厄介。目の上のたんこぶがなくなってもしばら後遺症が残る。医学用語でPTSDというもの。或いはフラッシュバックとか。

逆に楽しくて仕方がないことはメッチャ大変なことなのに凄いパワーで押し切れる。

それが穂高連峰縦走など。

先の目の上のたんこぶは誰でも起こり得るが代表的なのが親や教師や上司や先輩など口やかましい人。

ホントに嫌になっちゃう。例えば、すごくシンプルな申請書なのにキチガイみたいに上げ足を取りイチャモンを付けてくる上司がいるとするとPTSDになりその申請書作成が凄く心の重荷になるなど。

ダークトランキュリティの8枚目のアルバム『コンストラクト』の日本語版ボーナストラックに「Immemorial」という曲があり頭に靄が掛かっているようなイントロが、コンストラクトが発売された2013年よりも5年ほど前に頭が靄がかかり四谷界隈を徘徊した心象風景(音を含めた感覚)と酷似。そうなると記憶は曖昧になり2008年頃にこの「Immemorial」を聴いていたと錯覚をし始める。記憶のコンバインだろう。

息子の高校受験の頃も受験会場やら高校見学の送り迎えにも「Immemorial」を流したら息子は「この曲は映画バイオハザードで使われている」と述べた。さらに『ATOMA』からの1曲目「Encircled」もそのころヘビロテでだんだん時間軸が怪しくなってきた。やはり記憶のコンバインが発生している。

過去は膨大になると分けて繋ぐことが困難になりぐちゃぐちゃのカオスにもなる。認知症みたいなもので気持ち悪いが、もうぐちゃぐちゃになったら無理に抗わず、受け入れるべきかもしれない。うーむ「Atoma」もなかなか名曲じゃな。




「時間の正体」に気付いた。脳科学、哲学、物理学さまざまな角度から「時間」は考察されて

時間の矢は人間の錯覚と言われてる。時間は伸縮するし全方向に飛ぶ。
しかし左記は「時間」自体は存在する前提の理論だが、そもそも「時間が存在しない」とはいかなることか。

話を一旦「時間」から離れよう。

数学の概念でゼロとは極小値でどこまで行っても「0.000000000……1」でありそれでもゼロとみなして良いことなっている。

我々は水平な平面の上に暮らしていないから水平な平面紙はじつは細かくは水平ではない。それでも水平とみなす。それは斬り捨てて良い誤差だから。

時間も同様だ。人間が1日が経過したと実感するのは太陽が昇り沈むから。また僅かながら人間は老化し続けているから。

これがプシケのような鉱物の塊の彗星は1日では何も変化しない。つまりプシケにとって1日という時間は進んでいないに等しい。

結局はそれぞれのスケールで「時間という概念」を設けているが「それ」より遥かに巨大な存在・または不動な存在からしてみたらそれは「こじつけ」に過ぎない。人間にとって僅かすぎる「時間」(例えば0.0000000000000001秒はゼロと言っても差し支えない)

しかし、物凄く微細な物質にしてみれば「0.00000000000000000000000001秒も」重大な長さの「時間」やもしれない。
それぞれのスケールで「時間」と決めてるスケールは異なり、「それは便宜上【時間】と定めているにすぎず」量子力学の観点までいくと時間という普遍的なファクターはそもそも存在しないということとなる。 

それでも我々は感覚的に「時間は確かに存在している」。だから「時間が存在しない」と言われてもピンとこない。

時間が存在しない以上、伸縮するとか反転するとかタイムマシンとかも無意味。物理学では「物質は変化する」そして例えばビリヤードで玉を突き、各ボールが散りばめられたとき元に勝手に戻ることはまずない。まずないが、戻ることもある。つまり元に戻れば時間が元に戻ったということなのだ。つまり時間とは「物質の変化」でありその変化は不可逆的な場合が多いから「時間は矢のように過ぎて元に戻らないと錯覚しているに過ぎない。そして時間というもの自体は存在しない。

山行も「タイムを測るが」「それは地球の自転に対してどれだけ山行できたかに過ぎなくて」「時間は便宜上定めたものに過ぎず存在はしていない。」

でも存在していのに等しいから「存在していることにしている。」このことは山行すると「僅かにだが」どういうことか

実感する。


めんどくさいも科学した。億劫感の正体は脳のディスオーダーと嫌いなヤローなどの嫌悪感で扁桃体が嫌になっていると億劫感とめんどくさい感情となる。

それは生体反応、反射神経と捉えあまりやる気論、精神衛生論に持ち込まない方がよい。単純に行動を無心ですべきと、心に余裕があると余計なことを考えるから

余裕をなくして逆転の発想にて荒治療すべきマターだ。目をつむり片足で30秒立つと無心になり脳がすっきりする。

物を探すのを宝さがし、物を拾うのをスクワット、無為に見える単純作業もゲームと捉え、セカセカ時間に焦ることを止める。時間が迫る気が焦るは恐ろしい。

あらゆることは山行か?放物線カーブの放物線はまた円の見えるらしい。以上

億劫(面倒)とは義務感、急き立てられ感、そして圧により身体がこわばる物理的苦痛。呼吸も止まっている。

「時間急き立て」などに屈せず、自分のペースで堂々と歩けばこわばりは解ける。呼吸もゆったりに。

面倒の正体はそういう苦痛。

他人のグズに寛容でない人。自己中。そんな奴はいずれ自滅するからほっとけ。自分のペース。TO DO整理。順番付

他人のイライラに影響されない。イライラはその人のもの、ほっとけ。

書類作成は変に焦ったり急ぐから苦痛、億劫になるが、焦らず、音楽でも聴きながら楽しむ。

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