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素人が考える国際政治学の“イズム” 〈第二章 リアリズムは最も“イズム”化した“イズム”かⅠ〉

疑念の『危機の二十年』解説

 筆者が学部ゼミ在籍中、課題文献として読んだ国際政治学の著作のなかに、E・H・カー(1892~1982、国際政治学・ロシア史)の著した『危機の二十年(The Twenty Years' Crisis)』(1939初版)があった。ゼミを担当していたB教授は、同著に感銘を受けたと学生に語り、内容が複雑なことに加えて教授本人の思い入れもあったのか、同著の解説には比較的長い時間が費やされた。
 しかし、振り返ってみると、B教授の解説はとても十分と言えるものではなかった。教授の解説では、『危機の二十年』は、「政治指導者らがいくら理想主義を追求しても、結局、国際政治では“力”がものを言う」という、ありきたりな議論を補強するもののようにしか聞こえなかった。
 たちが悪いことに、教授は「国際政治構造はアナーキーのため、国家は“自助”を試みる」というリアリストの前提認識をハイライトする一方で、“危機の二十年”と形容された両大戦間期の時代背景や、カーが当時、英国の対独宥和政策を支持していた事実には全くと言っていいほど言及しなかった
                 
 あのような解説は、カーが対独宥和を批判し、チャーチルよろしく、ナチ体制下ドイツとの対決を主張したかのような印象を与えたことだろう。また、B教授がカーによる対独宥和支持に触れなかったことで、教授は未邦訳の初版について多くを知らないのではないか、という疑問が芽生えたことは言うまでもない。
 B教授の『危機の二十年』に対する姿勢は、結果的にせよ、専ら冷戦期の米国で発展したリアリストの議論を思考様式の中心に据え、それを補強できる何かを現実主義の古典から拝借しようという、なかなかに不穏当なものであったと筆者は思っている。本記事では、カーが『危機の二十年』のなかで行った議論を中心に、国際政治学における現実主義の視点がどのような時代背景のなかで生まれ、何を強調したかったかを考察していきたい。

現実主義を生み出した“危機の二十年”

 筆者が、国際政治学の“イズム”を敬遠してなお、示唆に富んでいると考える“現実主義者”らに共通する主張とは、「国際政治は(軍事力などの)“力”で動く」ということ以上に、「人間は“力”(権力)への意志をもっており、国際政治を理解するうえで、そのことを見落としてはならない」ということだろう。そして、彼らがそう主張をするからには、当時、“力”への意志を「見落とした」国際政治の議論が多く見られたに違いない。

 カーが“危機の二十年”と名づけた両大戦間期は、高校世界史で教えられているように、第一次世界大戦の惨禍を教訓として、ヴェルサイユ体制やワシントン体制に代表される国際秩序が構築され、それらに不満を抱えた現状変更勢力の行動(日本による満州事変[1931]、イタリアによるアビシニア侵攻[1935~1936]、ドイツによるアンシュルス、ズデーテンラント割譲[1938]など)によって蝕まれていった時代である。
 では、カーは『危機の二十年』のなかで、そうした現状変更勢力の専横に触れて「現実主義と云ふは“力には力”と云ふ事と見付けたり!」と唱えたか? 否、である。カーによる論駁の矛先は専ら、両大戦間期の国際秩序を構築・擁護してきた“理想主義者ユートピアン”/現状維持勢力のほうに向けられた。カーの考えでは、彼ら現状維持勢力こそ、自らがもつ“力”への意志を見落としたまま、国際政治に参画してきたからである。

 『危機の二十年』の特筆点としてしばしば挙げられる事柄に、カーによる“利益調和説”の批判があろう。利益調和説とは、「(合理的な)個人が自らの利益を最大化するための行動を採れば、それら個人の総体の利益と調和する」という考え方である。これを国際政治に当てはめるならば、「(合理的な)各国が自らの利益を最大化するための行動を採れば、世界全体の利益と調和する」となろう。第一次世界大戦に勝利したとはいえ、空前の惨事を繰り返さないための新たな国際秩序を模索していた欧米の知識人らは、国際政治にも“見えざる手”が作用する余地はあると考えたようである*
 カーはこの発想を手厳しく批判した。各国の利益は、各国が意識的に調整しなければ調和などしないのである。彼にしてみれば、本来は各国による利害調整の場であるべき国際連盟は、戦争を違法とする連盟規約により、現状変更勢力を一方的に疎外したにすぎなかっただろう。利益調和説を暗黙の前提とする国際秩序のあり方は、第一次世界大戦の戦勝国として権益獲得における優位を占め続けたにも関わらず、あとから同様の機会を追求する諸国を「利益調和を乱すならず者国家」と糾弾するという、現状維持勢力の自己欺瞞にお墨つきを与えたことになる。すなわち、ユートピアを標榜する現状維持勢力は、自らがもつ“力”への意志を見落としていたのである。

 そして、一方的な現状変更行動が横行し、国際連盟が各国の利益調整機構として機能する見通しの立てれられない両大戦間期の終盤において、カーが現状維持勢力と現状変更勢力による利害調整の実践方法として期待を寄せたのが、後世では悪名高い対独宥和政策であった。それは、この“危機の二十年”のあいだ、世界戦争を防ぐために形成されたはずの国際秩序が、利益調和説にあぐらをかき、能動的な利害調整によって新たな戦争の火種を除去できなかったことの“ツケ”として受け止められたことだろう。
 なお、この当時、現状変更勢力の専横に武力で対峙することを唱導していたのは(カーが指すところの)ユートピアンのほうであった。ユートピアンのなかでは、国際連盟加盟国が集団安全保障の論理にもとづいて現状変更国に軍事的な制裁を加えるべきとする意見や、英帝国こそ自由主義諸国を専制から守るるべだとする意見が挙がっていた。しかし、カーには、国際秩序の公平さについての問題を棚に上げた挙げ句の武力行使は、それこそ現実から目を背ける行為に映っただろう**

 これまで論じてきたように、カーの『危機の二十年』とは、「国際政治は“力”で動く」というにべもない主張ではなく、「国際政治において“力”への意志を見落としてはならない」という、慮深い問題提起を行ったものである。無論、対独宥和を促す姿勢が一部の国の主体性を無視しているという批判などもあることから、カーの議論を無批判に受容することは避けるべきだろう。とはいえ、利益調和説にもとづくユートピア的国際秩序が広く信奉されていた両大戦間期において、そのユートピア像の内側に隠された“力”への意志を晒してみせたカーの議論は、同時代的に重要な意義をもっていたのである。
 次回記事では、カーのほかに現実主義者として認知されている学識者らが、本記事で紹介した議論とどのような共通点を有していたかを考察し、さらには、その系譜から一部“イズム”化を伴ったリアリズムがいかにして登場したかを筆者なりに・・・・・論じていきたい。

*本記事で用いた利益調和説や“見えざる手”の説明は、アダム・スミス(1723~1790、哲学・経済学)が本来、『国富論(An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations)』(1776初版)のなかで意図したことというよりは、後世での再解釈を経て、市場至上主義の議論として受容されるようになったあとのものとしてお読みいただきたい。

**筆者には、ロシアによるウクライナ侵攻(と、それを受けた欧米による対ウクライナ支援)に関して、ミアシャイマーをはじめとするリアリストが、この小節で紹介したものと類似した議論を展開しているように感じられる。この点については、べつの機会にさらなる考察を試みたい。

(Ⅱへ続く)

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