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素人が考える国際政治学の“イズム” 〈第一章 国際政治学は血も涙もないのかⅠ〉

“3つのモデル”と“3つのイメージ”

 筆者は学部生の頃、とある国際政治学の講義の期末試験で、どのような文脈の下においてか失念したものの、グレアム・アリソン(1940~、政策決定論・核戦略論)の“3つのモデル”とケネス・ウォルツ(1924~2013、国際政治学)の“3つのイメージ”を同一視するかのような答案を提出した。講義の成績評語は「C(可)」であった。この事柄が直接の原因であるかどうか、今となっては確かめることが難しいが、担当のA教授は、筆者が両者を漫然と混同したことを見逃さなかったのかもしれない。A教授については、後々、あらためて言及しようと思っている。

 アリソンが『決定の本質(Essence of Decision)』(1971初版)のなかで提示した対外政策決定の3つのモデルと、ウォルツが『人間・国家・戦争(Man, the State, and War)』(1959初版)のなかで提示した国際政治の3つのイメージは、ときどき、研究者のあいだにおいてさえ混用されているように見受けられる。
 両者の要点を簡単にまとめておきたい。『決定の本質』は、キューバ・ミサイル危機(1962)を事例として、国家の対外政策決定が、⑴国家が選び出した最も好ましい選択肢であるとする合理的行為者モデル、⑵国家内部の各行政組織がそれぞれの手順に従って機械的に行ったものであるとする組織過程モデル、⑶各行政組織の長らが互いの利害をすり合わせて導き出したものであるとする官僚政治モデル、を提示している。また、『人間・国家・戦争』は、戦争の原因が、⑴人間の特質や行動に由来するとする第1イメージ、⑵政治体制などの国内政治要因に由来するとする第2イメージ、⑶国際政治の構造に由来するとする第3イメージ、を提示している。
 そして、当時の筆者は安易にも、官僚政治モデルが第1イメージ、組織過程モデルが第2イメージ、合理的行為者モデルが第3イメージに対応するのだと考えたのである。本記事では、主にウォルツらが提示した国際政治学の視点がどのようなものかについて、対外政策決定論との比較を通じて考察していきたい。

対外政策決定論の視点と国際政治学の視点

 たしかに、異なる分析の階層レベルに着目し、各レベル特有の要因に焦点を当てて、政治的なアウトプットに対して説明を加えるという点では、3つのモデルと3つのイメージは類似の方法論にもとづく分析枠組みだろう。では、何が両者を分かつのか。

 まず、官僚政治モデルと第1イメージを比較してみたい。どちらも個人のレベルに着目したものであるが、官僚政治モデルは専ら、行政機関の長である個人が、自国内の競争相手、すなわち他機関の長らと対峙する様子を描き出す。これが、官僚政治モデルが“政府内政治モデル”とも呼ばれる所以だろう。これに対し、第1イメージが描き出す政治指導者としての個人は、自らをとり囲む様々な事柄と対峙しうる。その個人の対外認識、権力基盤、果ては性格などを切り口として、他国との戦争原因の説明が試みられるのである。
 組織過程モデルと第2イメージはどうか。組織過程モデルの視点は一国の国内政治領域で完結するが、第2イメージはそうではない。第2イメージは、二国間の政治体制における非対称性(民主主義/非民主主義)が戦争を引き起こすという分析を提示できるからである。それはもはや、一国の国内政治領域で完結する分析ではあるまい。
 合理的行為者モデルは、国家をひとりの人間のような、一体感ある行為者アクターに見立てており、それは、国際政治学が国家を基本的な単位として扱う際の態度と類似しているという印象を与えるかもしれない。しかし、やはりそれは第3イメージが想定する分析のレベルと対応しない。畢竟、合理的行為者モデルも、ある国家が、自身の外部に対して何をなすかを決定する過程を説明するものであるが、第3イメージは、少なくとも一対の国家、またはその連合体どうしが、互いの意図を疑うことを余儀なくされる、国際政治の構造が原因で戦争になることを説明するものだからである。

 すなわち、『決定の本質』は、ある国家の一人称的な視点を提供しているのに対し、『人間・国家・戦争』は、ある国家どうしの行動を外部から観察するような、三人称的な視点を提供しているといえる。これ(と、国際政治学の講義で「C」をつけられた苦い経験)を踏まえたうえで、一国内で完結する政治過程分析にウォルツの3つのイメージを使用した考察を目にすると、筆者は、そのような用法において、ウォルツが想定する分析の射程スコープはどう留意されているのかと考えてしまうのである。ウォルツの立場を借りるならば、国際政治学は、国家どうしが相互作用を行っている世界を俯瞰する視点を提供する必要があるだろう。

 無論、この違いは分析のレベルに優劣をつけるものではない。ウォルツ自身が、"International politics is not foreign policy"と題した論文(1996)のなかで、自著『国際政治の理論(Theory of International Politics)』(1979初版)で提示した理論は、国際政治構造の下で国家がとりうる一般的な行動について説明するものであり、全ての対外政策の帰結を説明するものではないことを認めている。それら個別的な事例について考察を加えるためには、対外政策決定論や政治外交史といった分野の視点が必要なのである。次回記事では、この事柄に関連して、国際政治学の視点にどのような限界があるかを筆者なりに・・・・・論じていきたい。

(Ⅱへ続く)


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