ガチグロくんの回想 4

先輩達がいなくなった寮では自分が一番年期の長い寮生となった。
家庭学校では寮で一番年期の長いものが上になるという風習が当時あった。
そこでもちろん一番年期の長い私が一番上になるのだが実際私がその立場の代は特別私が一番上ということはなく私に敬語を使うものもほとんどいなかった。
私は敬語を使われるのがとても苦手であのような上の者にはなんでも優先、敬う、などということが嘘っぱちでありこの世の中の悪習だとさえ思う。
時間をかける必要があるが上の者であろうが下の者であろうがどちらも敬い合い冗談を言い合えるそんな関係がいいと私は思っているので当時も現在もそうしている。

そうしていくうちに私自身の退所の日が迫っていた。
胸の内には高校へ通いたいと思っていた。
学校へ行って将来に生かしたかった。
だが実際は私にお金を使いたくないと言われその頃にはどうせ行かないんだろうなら職人になれという話になり退所後は就職することになった。

退所日までの間ワクワクした気持ちと不安が入り混じりソワソワする日々が続いた。

そうして退所の日そこには当時の親が迎えにきていた。
寮の人間へ挨拶をして私は2度目の社会へ旅立った。
出てきたその日酒を飲み久しぶりのタバコを吸ってヤニクラを起こしながら妹と遊んでいた記憶がある。
そして鉄骨鳶の道具を揃えて初仕事に備えていた。
初仕事までの間フラフラ地元の仲間や友達に挨拶したりしていた。
当時の親はクズ中のクズなのでここではあまり書くこともない。

初仕事が始まり毎日殴られながら仕事を覚えようと必死であった。

理不尽には慣れている。遠軽家庭学校でもそうだった。
ただ耐えられないのは私が職人になろうとする義父の存在であった。
生活のため私は出張のため2万円だけ残し残りは全て生活費に回していた。
それでも私への待遇は変わらない。別にそれはいい。変えろというのは私のわがままでしかない。
ただ人間扱いくらいはしてほしかった。

そうして15歳の夜中私は仕事も何もかも捨てて二千円とタバコを握りしめ逃亡した。

私の身内にはその後私が捕まるまで私の消息を知るものはいなかった。

続きは次回、、、👊

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