ガチグロくんの回想 2

私にとって学校とは辛くありながらも直接的な身の危険が少ない安全な場所でした。
ただ私は人と同じことをするのがどうしても納得のいかない性分でありいつも他から逸脱した生活を送っていました。
なので問題は毎日起こり怒られた記憶しかありません。
自分の学校は私の時代にしては体罰が多く毎日先生に叩かれ授業のほとんどは廊下に立たされていました(笑)
私はそれでいいと今でも思っています。
今の学校が甘ったれているだけです笑(なんだかすみません💦)私の得意な授業の科目は図工、家庭科、でした。算数などはやる気にもなれなかったです😅
小学校で楽しかったことといえば遠足でした。
特に隣町まで山道を歩いて行く遠足や森林公園へ行ってカエルや虫を取るのが楽しくてしょうがなかったです。
私は他の子達のようにゲームなどのおもちゃを持っていなかったのでみんなと遊ぶことはせずいつも虫を取ったり落ちてるものだけで弓矢や槍を作って走り回っていました。
特に貯木場へ入って行って倉庫裏の廃棄するタイヤを池の中に投げ入れるという遊びが私の中で大流行していました。
何度か倉庫のおじさんに見つかり怒鳴られ逃げまわったり、、、😅

毎週水曜日には役所の図書館が開放されていたのでそこへ行って図鑑や本を図書館が閉まるまで読んでいました。

なので私には私の世代の流行がほとんどわかりません。
私はその方が楽しく生きれている気がします😆

私の人生での最初で最後の修学旅行は小学校6年生に帯広方面へ2泊3日で行ったことでした。
修学旅行での思い出は一つしかありません。
それは同室の友達に賭けポーカーを教えて自分が勝つように仕向けてボロ儲けした事です😅
それがバレて後日とんでも無く先生から怒られたので他の記憶がほとんど飛んでしまいました笑

そして中学校へ、、、
中学校は1年生と2年生の初めしか行っていないのであまり思い出がありません。
中学校に入ると私は荒れに荒れました。
家に居ても辛くいじめられ上のようなささやかな楽しみで忍んでいた私はどんどん捻れた人間へと育っていました。楽しくなんて考えれず常に俺はは死ねるんだいつでも死んでいい俺は別にいなくても誰も困らないそんなふうに無責任は考えばかりでした。
周りはみんなと楽しそうにしている家族と楽しそうにしている。
でも俺はどうだ?俺は朝教室へ入るとみんながシーンとする逃げられる話しかけても無視されるおはようもない家へ帰るとストレスの吐口にされ油断も隙も許されない。とにかく怖いただただ怖い何が起こるかわからない。今日俺は何を失うのだろうか?そんなことばかり頭に浮かんでいました。
そして中学生に上がりなんだか学ランを着た自分が強くなった気がしていました。
もう負けたくない。何にも負けたくない。負けを人に見せたくない。みんな俺の敵だ!
そう思い入学式の当日からわざと肩をぶつけて
ケンカを売り先生の言うことを全面的に無視しました。
私の住んでいる地域の中学生で1番噂されている人へ一人でケンカを売りにいきそこでお前根性あるなと言われまた自分は強いんだなんだってやってやる!

そう思いました。
とにかく悪い事がしたいのでは無くそうしないと自分はまた弱い自分のまま食われる身分のままだと思いました。
ただの悪ガキからただの善悪のつかない最悪なケダモノになってしまっていました。
そのうちお金が必要になり平気でお世話になった人の家へ仲間と空き巣に入ったり弱い立場の人から奪ったり暴力をしたり今まで私の中で抑えられていた世の中への憎悪が爆発した日々でした。

そんな事を長く繰り返していれるわけがありません。当然何度も警察のお世話にもなります。
その度に仲間のお母さんたちが色目を使ったりなんだりしてくれて何故か自分でも分からず解放されてきました。
それでも自分がやったことの精算は身を持ってしなくてはなりません。
中学2年生の夏遠軽家庭学校へと送られます(汗)


続きは次回、、、👊

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