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モンゴルへ

2024年2月末に行われた御猟野乃杜牧場での甲冑装束騎乗会。スタッフとして参加したあとの打ち上げで、ふとイベント主催者のNさんが生ビールのジョッキを傾けながら
「夏にモンゴルに行くんですけど、ご一緒にどうですか」
とお誘いをいただいた。

私は馬に乗りはじめてちょうど4年目である。
そもそも馬に乗りはじめたのも、子供の頃から大好きな日本の歴史上の連中がどんな馬に乗って日本の馬具の上でどんな身体の動きをしていて、どんな空気を吸いながら、どんな風景を眺めていたていたのかを知りたいというのが動機だ。純真に馬に乗りたいと思ったわけではないので上達も遅い。そしてどんくさい。
だが子供の頃から歴史が好きなように、生き物も同じくらい好きだったので少しばかり乗れるようになると楽しくて仕方がなくなり、40を過ぎたというのに毎週のように馬に乗って遊んでいる。馬上中年だ。未だ過ぎていない。

ただ私は和種馬にしか乗ったことがない。
たまに会社のボランティア活動の関係で茨木のホースセラピー牧場の中間種の子を運動させがてら乗ってはいるが、いつも乗っているのは御猟野乃杜牧場と紅葉台木曽馬牧場にいる身内のような和種馬ばかりだ。
その程度の経験値で外国の馬に乗れるのだろうか。瞬間的にそんな不安が脳裏をよぎったが、蒙古馬は和種馬にサイズや気性も近いという。言葉の壁はなんとかなるだろう。

次にモンゴルについて考えてみた。
モンゴルといえばやはりチンギス・ハーンがまず思い浮かぶ。これは井上靖の小説の影響が大きい。元朝秘史や東方見聞録も小説の影響でちょっとだけ高校の図書館で読んだような記憶もある。
私の知る義経のうち数人は蒙古へ渡っている。無論荒唐無稽な俗説だが年末時代劇などで衣川の館のあと義経が生きていると単純に嬉しかった。
あとは匈奴、韃靼、突厥、柔然などといわれる人々や部族の名前。モンゴルとは離れるが渤海、金、女真族などのかつて沿海州に存在した国や民族。司馬遼太郎の随筆などの影響でこれらのよくわからない単語も自然と連想される。京都の島原に石碑だけが残る鴻臚館などもそこに行くだけで大陸を思い起こしてしまう。
海音寺潮五郎や白石一郎の元寇に関する小説も散々読んだし、たしか東博で蒙古襲来絵詞も飽きるまで眺めた。アンゴルモアという漫画も現在進行形で読んでいる。
忘れていたが子供の頃からいままでモンゴル(的なもの)を夢想していたのだ。
なによりも鉄の道という見えない道が古代から中世初期にかけてモンゴル高原の遥か西から日本へと繋がっている。馬に乗るのが楽しく感じる自分の血にも、ほんのわずかながら繋がっているのかもしれない。

最後は草原と星空の風景を想像していた。牧場の諸先輩方はやはりモンゴルへの騎馬旅行経験者が多く皆一様に
「最高だよ」
という。
せっかく少しは馬に乗れるようになったのだから馬上でそんな風景を楽しんでみたい。
玄奘の旅した天山山脈やイシククル湖へ馬で旅したいという思いもあるが、キルギスやウイグルへ行くのは来年以降の楽しみにしていてもいいだろう。

頭のなかが満天のお星さまだらけになったところで、ご一緒させていただきますとお伝えした。
Nさんがちょうどジョッキを空けたくらいだったように思う。
帰宅後すぐに本棚から司馬遼太郎のエッセイなどをひっぱり出した。

続く(たぶん)


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