太田三郎の絵葉書 女性教員
1 松聲堂の絵葉書
今回は、絵葉書専門商店発行の絵葉書を紹介しよう。
宛名面の最下段に「日本橋区通二丁目松聲堂発行」と印刷されている。松聲堂は、絵葉書を販売していた専門店である。
上京者のガイドブックである『東京案内』(森集画堂編、明治42年6月)の「東京名物案内」の章に次のような松聲堂の紹介が出ている。
松聲堂は美術出版から絵葉書発行に乗り出したことがわかる。
さて、絵葉書は子どもたちを引率する女性教員を描いている。太田の絵葉書には、きわめて尋常な対象を描きながらどこか不思議な感覚があらわれることがあり、これもそうした1枚であろう。「女性教員」というのは仮に付けた題名である。
少しスレがあって残念であるが、多色石版で付録絵葉書にはない厚いインクののりである。
密集して歩く子どもたちが、丁寧な分色によって表現され、画面に奥行きが出ている。
拡大すると、顔や服の重ね刷りのさまや、インクの厚みがはっきり確認できる。
この絵葉書は、図録などに収録されることが多い。たとえば、『ボストン美術館 ローダー・コレクション 美しき日本の絵はがき展』図録(2004年、日本経済新聞社)では、「第4章 アール・ヌーヴォー」に取り上げられている。
もう1枚、海をバックに絵を描く女性を描いた太田三郎作の絵葉書と並べられ、「日本の新しい女性像を主題に取り上げたセットのうちの2枚。 長方形のスペー
スに収められたイメージ、 人物のスタイル、 落ち着いた色調などが共通してい
る。」という解説が付されている。女性教員、女性画家が「新しい女性像」を示すということだろうか。
アール・ヌーヴォーの章に取り上げられたのは、太い輪郭線がミュシャの様式を示すものであるからだ。
2 通信文を読む
消印は明治39年9月27日に牛込、9月28日に静岡となっている。東京の牛込区の発信人の下宿から、静岡市の知人に宛てたものである。
今回は、判読できない箇所を、いつも指摘してくださるある方に事前に読んでいただいた。おかげで意味が通るようになった。
「みよしの丸」は三吉野丸のことで、日露戦争時に病院船として活躍したが、戦後は満州と日本をつなぐ航路に就航していた。
雑誌『教育界』第5巻第10号(明治39年8月、明治教育社)の「内国彙報」覧には「満州修学旅行団」という記事が掲載されていて、第4回に三吉野丸が使われたことが記されている。
発信者は静岡から上京して牛込区に下宿している学生。名宛人は静岡在住で、三吉野丸にかかわる仕事をしていたのだろうか。
「幸ニ」は「幸と」と読んだほうがわかりやすいが、「幸にして」のような副詞的な使い方があるので、うまく運ぶように「成功を祈る」という意味にとることにした。
「悦恐」は「恐悦」の転倒だろう。「恐悦」について『日本国語大辞典 第二版』は、「目上の人の喜ばしい出来事を、自分も喜ぶという気持を表わす語」という意味の項目をたてている。三吉野丸のことがうまく運べば、発信人もうれしいという気持ちを示しているのだろう。発信人は学生であるが、名宛人は先輩ですでに社会人である可能性が高い。
通信文というのは、発信人と受取人にとっては既知のことでも、第三者には具体的にどういうことを言っているのかわかりがたい場合がままある。
「少しは察して頂戴」というのは、発信人が静岡を離れて東京で勉学していることのつらさをわかってほしいということだろう。
「其代り察しは大変いゝのだよ」というのは、名宛人がたぶん絵葉書を喜ぶだろうということを察して、たまには絵葉書を送りますということなのだろう。
【編集履歴】
2023/08/13 誤字訂正 雑誌『教育会』→ 雑誌『教育界』
*ご一読くださりありがとうございました。
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