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西村熊吉「洋画の印刷」を読む①

 今回は番外編になるが、摺師西村熊吉の談話記事「洋画の印刷」(『趣味』第3巻第2号、明治41年2月1日、易風社)を紹介したいと思う。雑誌『趣味』は復刻版もあり、国立国会図書館から複写を取り寄せて一読したところ、たいへん興味深い内容であった。
 記事は、摺師がどのように西洋絵画の木版画化に対応したかについて語っており、手持ちの木版画の図版を添え、簡単な注釈を付けて紹介すれば、木版画に関心を抱く人々に寄与するものがあり、また筆者の学びともなると考えた。

 長くなりそうなので、分載することにした。

摺師西村熊吉の経歴

 上記記事のほかに、西村熊吉には、「摺師熊吉昔噺」西村熊吉談/本澤浩二郎筆記」(『浮世絵芸術』第2巻3号、1933年3月1日)、「摺師熊吉昔噺 其二」西村熊吉談/本澤浩二郎筆記(『浮世絵芸術』第2巻4号、1933年4月1日)という談話記事がある。
 この談話記事をもとに、西村熊吉と小林清親のかかわりについて記されたWeb上で公開されているすぐれた文章がある。
 ARTISTIANというサイトで公開されている「摺師が明かした小林清親の光線画制作秘話」という記事である。

 画家と摺師の関係について学ぶところの多い記事であるが、談話記事「摺師熊吉昔噺」をもとに、西村熊吉の出発点について記されているので、その部分を引用したい。

熊吉は文久元年(1861)、芝浜松町四丁目(現在の東京都港区浜松町二丁目または芝大門二丁目)で生まれた。兄の西村栄五郎を師匠とし、10歳にも満たない明治元年(1868)には摺りを教わり始めたという。熊吉という摺師が他にもいたからか「甚熊」と称していた。

「摺師が明かした小林清親の光線画制作秘話」
http://artistian.net/kiyochika_suri/#i-2

 伝統的な錦絵の摺師として修業を積み、西村熊吉は多くの絵師・画家とともに仕事をすることで、摺りの技法を深めていった。
 明治10年には、独立した摺場をもつようになったという。

談話記事「洋画の印刷」について

 談話記事「洋画の印刷」(『趣味』第3巻第2号、明治41年2月1日、易風社)は、西洋画を木版画で表現する際の問題にしぼった内容となっている。
 
 談話記事というのは、記者あるいは編集者が取材対象者から聞き書きをして記事をまとめたものである。
 「洋画の印刷」は△記号をつけた短い段落で構成されている。
 いくつかの段落ごとに簡単な注釈を付けながら、読んでいくことにしたい。

洋画への対応に備えよと説く富岡永洗

 まず、最初に洋画の印刷にとりかかるきっかけについて語っている。

△印刷業にたづさはりましてからは、かれこれ三十年にもなりますが西洋画の印刷を始めましたのはつい近頃からです。まだ永洗さんが存命せられた時分に一度伺ひましたがこれからは日本画でも大分洋画がいつて来るからその方の事もよく研究して置かなければいけないと話されましたのでもつともの事と存じまして其方そのはうの事も心掛けるやうにしてみました。

 「永洗さん」というのは、挿絵や美人画で活躍した画家富岡永洗とみおかえいせん(1864−1905)のこと。
 永洗は西村に向かって、日本画の世界にも洋画が入ってくるのでよく研究しておくようにと話したというのである。
 西村は永洗と組んで多くの口絵の摺りを担当したことがある。
 口絵とは、書物の本文の前に置かれる作品内容を紹介する絵のことである。登場人物が中心となる。

富岡永洗作、西村熊吉摺の口絵

 近代文学と口絵の関係については、春陽堂書店のWebマガジンに常木佳奈氏の「近代木版口絵と春陽堂」の連載があり、詳しく紹介されている。特に、3,4,5回が実際の制作過程に触れていて参考になる。

 さいわい手持ちの資料に、永洗作で西村が摺りを担当した口絵があるので紹介したい。

 村井弦斎『桜の御所』上巻(明治27年12月、春陽堂)の口絵で、図版は、後に『小説挿絵集 月の巻』(明治31年1月、春陽堂)に収められたものである。
 この本は口絵だけをまとめた本である。
 口絵は菊判の本の見開きのサイズであることが多く、折り込まれるので、折り目が付くことを避けられない。折らずに木版画を提示するという動機が、こうした口絵集の刊行の背後にはあったのだろう。
 奥付には、印刷者として西村熊吉の名が大きく記されている。

『小説挿絵集 月の巻』(明治31年1月、春陽堂) 奥付
『小説挿絵集 月の巻』(明治31年1月、春陽堂)
村井弦斎『桜の御所』上巻 口絵 富岡永洗画

 『桜の御所』は、相州新井の城主の子三浦荒次郎と隣国金沢の城主楽岩寺氏の娘小桜姫をめぐる戦と恋の物語である。『都新聞』に連載されて人気を博した。
 三浦氏と楽岩寺氏が争い、さながら『ロミオとジュリエット』の趣がある。伊勢長氏(後の北条早雲)の侵攻によって一時両氏は連合し、荒次郎と小桜姫の婚姻話が起こるが、長氏の策略によってまた離間することとなる。
 口絵は、前編三十九の「山中の庵(世を忍ばん)」の、荒次郎が新井城を去って雌伏するため厚木に向かうところで狼の群れに襲われてことごとく切り捨てる場面を描いている。枠内の女性は、遠方から荒次郎を思う小桜姫。枠内に人物を描くのは、地の場面とは空間を異にするということを表している。

 木版口絵は、先に紹介した常木佳奈氏の記事でも指摘されているとおり、伝統的な錦絵とほぼ同じ技法によっている。

 小桜姫の髪の表現と、狼の毛並みの表現について拡大図を示しておこう。

小桜姫の髪 拡大図
狼の頭部 拡大図

 精細な表現には感嘆するほかないが、こうした伝統的な技法では、西洋画の木版化に対応することができなかったのである。(つづく)


*ご一読くださりありがとうございました。



 

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