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明治の雑誌・本の版画から

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明治の雑誌・本には木版画や石版画が掲載されています。 版画も印刷なのですが、味のあるものがけっこうあります。 オリジナルの図版を使って、版画の魅力を紹介していきます。
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#絵画

浅井忠 編輯『中等教育彩画初歩 第四編』(下)

 (上)は下記リンクで。  さて、(下)では、人物画と風景画を紹介しよう。 1 人物(その1)  第参図は少女像。  「例言」に四編収録の絵は、「着色ヲ施シテ後ニ黒画ヲ絵クモノ」とあるので、この絵を手本として絵を描く生徒は、まず画用紙に水彩で色を入れる。その際、人物の形、輪郭は正確に描く必要がある。この作業はけっこうむずかしいのではないか。    他の事例を見ていると、やはり着色時に正確に輪郭を意識しているように見うけられる。  実際の指導事例を見つけないと、そのあたり

浅井忠 編輯『中等教育彩画初歩 第四編』(上)

 さて、明治の早い時期に画家の浅井忠と彫刻師の木村徳太郎、摺師の松井三次郎が組んで、西洋画の木版化を試み、それが中学校用の絵画の教科書であることがわかっていた。   このほど、その教科書『中等教育彩画初歩』の第四編を古書として入手することができたので、その内容について図版を入れて紹介したい。 1 期待と失望  一日一回、《日本の古本屋》のサイトで検索し続けていると、ある日、第四編が見つかった。  価格は手が届くものであり、さっそく注文した。  明治29年といえば、189

ミュシャをまねる 『新古文林』明治38年7月号の表紙画

 このマガジンの更新は久しぶりだが、今回は、明治期の画像表現と模倣の問題について取り上げてみたい。  図版は、明治の文芸雑誌『新古文林』第1巻第3号(明治38年7月、近時画報社)の表紙画である。  印刷は多色石版である。  作者は目次によると石川寅治。   石川寅治(1875−1964)は、小山正太郎の不同舎で学び、明治34年に太平洋画会を結成した。帝展の審査員、東京高師の講師をつとめ、手堅い画風で知られる。    一見して、アルフォンス・ミュシャ(1860−1939)の

付録の絵葉書

雑誌のおまけ     今回は、雑誌付録の絵葉書の石版印刷について紹介してみよう。 前にも書いたけれど、日露戦争(1904〜1905年)の時期に絵葉書ブームがあり、多くの絵葉書販売業者ができて、さまざまな絵葉書が販売された。  それだけでなく、雑誌に絵葉書がおまけとして綴じ込みでついている場合も多かった。付録の絵葉書がとりはずされずに残っていることは少ない。読者たちは、絵葉書を壁に貼って鑑賞し、また、ファン同士の通信に使うことが多かったためである。それで絵葉書の残っている雑誌

黒に黒を重ねる:『方寸』の石版《りんごの花》

雑誌『方寸』  『方寸』という雑誌がある。1907年5月に創刊され、1911年7月まで35冊を刊行した。創刊時の同人は太平洋画会系の画家、石井柏亭、森田恒友、山本鼎の3人であった。  刊行2年目から倉田白羊、小杉未醒、3年目から織田一磨、坂本繁二郎が加わった。  創刊時の同人3人はヨーロッパの『ユーゲント』や『ココリコ』を手本にして、エッセイや詩に豊富な図版を挿入した雑誌を目指した。同人たちは木版や石版にジンク版などさまざまな版式を試み、「文画併載」(小野忠重)の雑誌を安価