イスラエルとパレスチナで何が起こっているか調べました。

こんにちは。2023年10月7日のパレスチナの民族原理主義ハマースによる先生攻撃から、中東は戦争状態となっていることはみなさん知っていることかと思います。日本でも停戦を呼びかけるデモや、SNS上では署名活動が行われています。

多くの人が悩んでいることが、戦争をやめてもらいたいが、自分がどのようなアクションを起こしていいかわからない、ということだと思います。有事の状態時、どちらかが悪いかをニュースの情報だけで私たち市民に判断することはできません。親米国家である日本のニュース番組はおおいに情報コントロール下にあることは誰もが知っていることです。だからといってエビデンスの不明な情報をシェアした先にあることは、震災時やコロナ禍のときにわたしたちは経験しています。

わたしたち自身は、現実を生活をしていかなければなりません。真実を追い求めインターネット上の倫理コードのない情報を調べ続けることは困難ですし、自らのキャパシティを考えて、ケアしつつ社会の問題とも向き合わなければいけない。

かねてから言われていることですが、現在は高度情報化社会により、市民はあらゆる社会の問題と接続された状態になっています。そのためオピニオン的な方々は、意見の表明や行動を求められる場面を、わたしは何度か見ています。

2023年は東京大震災発生から100年です。多くのメディアが100年前の出来事を繰り返さないよう、忘れてはいけない過去として、特集報道を行いました。しかしわたしは現在のあらゆる異常性に触れてきて、過去というものは「忘れてはいけない」ものというアウトプットではなく、現在正常に行われているあらゆる「普通のこと」の「異常性」を暴くための「比較」するための情報として、過去をアウトプットするべきだと感じました。

どの時代にも誤った判断が行われる理由は無知によるものです。歴史を知ることで、自分にできることが近づくのではないか、とわたしは考えました。

例えばイスラエル問題、および人類の問題として2000年以上続く、ユダヤ教およびユダヤ人迫害、これを身近な問題に置き換えると反韓感情などがあります。そういった感情は政治、宗教などで利用、コントロールされてきたことを歴史が示しています。

それをもっと身近な問題に置き換えると、例えば「おかえり、こっち側の集い」という深夜番組。

人間関係が苦手な人々が、その生きづらさをお互いにケアしあう番組なのですが、最近「こっち側」つまり人間関係が苦手な側の対局にいる、人間関係がうまく何事も卒なくこなし、澁谷や恵比寿あたりで遊ぶ人々を大雑把に「あちら側」と番組内で呼び、軽くヘイトなどを行うのです。わたしは人を示すことばとして「あちら側」など使うことには反対です。

こういった議論は「考えすぎ」や「テレビは規制だらけで面白くなくなった」というテンプレートな返答が予想できます。しかし現実にアメリカでは「インセル」と呼ばれる人々が事件を起こし社会問題化した過去もあります。わたしはこういった些細な出来事にこそ、歴史の過ちの種があるのだと思っています。

だから一部ののお笑い芸人のように「規制だらけ」という理由で、あらゆる問題を過剰なクレーム社会に原因を求めるのではなく、その原因はなんなのか、社会が健全な対話の場であることが、わたしたちにできることだと思います。わたしの届く範囲の身体で社会へコミットする、本当にそうするしかないのだと思います。

ということでイスラエルとパレスチナ、ユダヤ人とシオン運動の歴史について調べてみました。

オンライン署名で即時停戦を求めましょう!


・10月7日にイスラム組織ハマスによるイスラエルへの大規模攻撃が起こった。それはもちろん、その日突然起こったわけではない。それに対して、イスラエル軍はパレスチナへロケット弾を発射し攻撃を行った。この問題を理解するには、イスラエルとパレスチナの歴史を理解する必要がある。

・紛争の場所は中国とアフリカの間、ヨーロッパ圏の少し下の地域、いわゆる中東と呼ばれるところで起こっている。

https://himatsubushi23.com/journey5/

・この地区は昔からパレスチナと呼ばれており、エルサレムにはユダヤ教、キリスト教、イスラム教、それぞれの聖地がある。

・1948年にイスラエルというユダヤ人の国家ができるのだが、ユダヤ人について説明する必要があるだろう。

・ユダヤ教は、世界でもっとも古い宗教のひとつ。ユダヤ教から生まれたキリスト教が独自の宗教として発展し、ヨーロッパに広まっていった。

・紀元前、つまり西暦前ローマ帝国の支配のもと、ユダヤ人は世界各地へ離散した。

・その後西暦1000年までの間に、キリスト教徒たちはユダヤ人たちが信仰を受け入れなかった罪と罰が存在するという教義を広めました。

・ユダヤ人はキリスト教におけるイエスの神性を受け入れない拒絶により、10世紀と11世紀には少数派宗教の支持者になり、嫌悪の対象とされ、中世以降のヨーロッパで忌み嫌われるようになりました。

キリスト教を冒とくしたという理由で燃やされるユダヤ人(14世紀のドイツ)https://yukashikisekai.com/?p=97081

・ときは19世紀、世界各地に離散していたユダヤ人が、パレスチナへの帰還をめざして民族国家建設のためのシオン運動が勃発しました。

・1917年、運動を行うシオニストたちは、パレスチナ建国の保障を、第一次世界大戦中にパレスチナを統治していたイギリスから引き出し、イギリス委任統治領となりユダヤ人入植を推し進めました。

・このイギリスの動きは、第一次世界大戦の最中、各勢力を味方に引き入れるため様々な協定を結んだ「三昧舌外交」に起因する。

・1930年代、ドイツでナチ党が政権を握り大規模なユダヤ人迫害が始まりました。

・第一次世界大戦に敗戦したドイツは巨額の賠償金の支払いを命じられ経済的に混乱、1929年の世界恐慌によって失業者が町中に溢れていました。

・そのような社会不安を背景にしてアドルフ・ヒトラーのナチ党は「ユダヤ人が不幸の原因」と叫び人々の憎しみを煽ることで始まりました。

・そのような背景もあり、パレスチナへのユダヤ人入植は拍車がかかりました。

・入植ユダヤ人が増加するに従い、アラブ人との摩擦が強まっていった。アラブ人はイギリスに対して入植の制限を求めた。

・イギリスはアラブとユダヤの板挟みに合うこととなり、戦間期のパレスチナではユダヤ人・アラブ人・英軍がたびたび衝突する事態となっていたため、イギリスは1937年、パレスチナ分割案を提案した。

・この案でユダヤ国家が北部パレスチナの約20%の土地を与えられ、中部・南部を中心とした残りの80%はアラブ側に与えられることとなっていた。

・この案をユダヤ側は受け入れたがアラブ側は拒否し、パレスチナの建国は持ち越された。

・イギリス委任統治終了後の1947年、国連でパレスチナにユダヤ人、パレスチナ人双方に主権を与えるという国連パレスチナ分割決議が行われた。

・この分割案は1937年のイギリス王立調査団案に比べはるかにユダヤ人に有利になり、ユダヤ人国家はパレスチナの56%、アラブ人国家はパレスチナの43%を占めることとなっていた。

・ユダヤ人側の領土の方が大きいのは、第二次世界大戦後も続々と流入の続くユダヤ人難民を収容する意図も込められていた。

・ユダヤ人側の大部分はこの決議を歓迎し受け入れを表明したものの、アラブ人側はこの国連決議を不合理なものとして反発し、ほとんどの組織が受け入れ反対を表明した。

・これ以降ユダヤ人とアラブ人双方の間で、武力衝突が頻発することとなった。イギリスの委任統治領政府はもはや無力なものとなり、パレスチナは事実上の内戦状態となっていった。

・1948年、イギリスによるパレスチナ統治終了の日に、ユダヤ人はイスラエル建国を宣言したが、翌日には、分割に反対する周辺アラブ諸国がパレスチナへ侵攻し、第一次中東戦争が勃発した。

・エジプト、サウジアラビア、イラク、トランスヨルダン、シリア、レバノン(約15万以上の兵力)がイスラエル(3万弱の兵力)を包囲する形で進軍したが、アラブ諸国各国間の連携がうまくいかず、イスラエル優位となり、1949年6月、双方が国連の停戦勧告を受け入れた。

・イスラエル側は念願の独立国家の建国に成功し、国連分割決議よりもはるかに広い領土を確保した。しかし肝心のユダヤ教の聖地である嘆きの壁を含むエルサレム旧市街はイスラム教国に渡り、ユダヤ教徒は聖地への出入りが不可能になってしまった。

・アラブ側もイスラエルの建国を許し、人口比に比べわずかな領土しか確保することができなかったため、イスラエルに対する敵意を募らせた。

・終戦後も両勢力の敵対は全く収まらず、以後21世紀に入っても続く対立の原型はこの時期に形作られた。

・第三次中東戦争ではイスラエルは空軍基地に先制攻撃を行ない、ユダヤ教の聖地を含む東エルサレムを占領、エルサレム旧市街(東エルサレム)の支配権もイスラエルが獲得した。

・エルサレムはすべてイスラエル領となった。ただしこの併合も国際社会からは認められず、後の論争の火種となった。

・1973年、エジブトがイスラエルに先制攻撃、アラブ各国はこの戦いを有利に展開するため原油価格を70%引き上げ、イスラエルを援助するアメリカとオランダへの石油の禁輸が決定し、日本でも第一次オイルショックが発生した。

・第四次中東戦争以後、イスラエルとアラブ国家との本格的な武力衝突は起きず、イスラエルの敵対勢力は、アラブ国家から非政府運動組織であるパレスチナ解放機構などへと移行し、正規軍同士の戦いから対ゲリラ・テロ戦争へと変化していった。

・2017年、ドナルド・トランプ米大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認定、2019年にはゴラン高原におけるイスラエルの主権を認める文書に署名を行った。

・和平の仲介役を務めてきたアメリカの中東政策を大きくイスラエル寄りに方針転換しており、パレスチナ側やイスラム教徒の反発を招いている。

・2020年にはアメリカの仲介でバーレーン、アラブ首長国連邦(UAE)、スーダン、モロッコが相次いでイスラエルとの国交正常化を合意、これに反発したハマースとイスラエルの軍事衝突が発生している。

・2023年10月7日、パレスチナのガザ地区を支配するイスラム原理主義ハマース(ハマス)によるイスラエルへの攻撃によって勃発した。なおパレスチナ自治政府は対イスラエル奇襲には関与をしておらず非難を表明している。

・ユダヤ系の人々が一律にイスラエルの建国やシオニズムを支持していた訳ではなく、ユダヤ教の最右派はイスラエルの建国に関して旧約聖書の「汝、殺すなかれ、盗むなかれ」に違反しているとし「メシアが現れるまで建国は待つべきだ。」という立場をとっている。

・また「ユダヤ人はイスラエルの残虐行為を糾弾する」と主張するデモや「イスラエルをパレスチナへ返還すべきである」として反シオニズム活動を行っている。

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・紀元前から古代のユダヤ人迫害
https://encyclopedia.ushmm.org/content/ja/article/antisemitism-in-history-from-the-early-church-to-1400

・ドイツナチ党によるユダヤ人迫害
https://www.npokokoro.com/why

・シオニズムとは
https://kotobank.jp/word/%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0-72275

・中東戦争
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%B1%E6%88%A6%E4%BA%89

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