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2022.8.25 憧れてた あの店を 予約したよ

天満橋駅で降りるのは°C-ute現場や中島さんの舞台を見に行っていたとき以来。大阪城を観光するのは未就学児だったとき以来。昔来たときは両親祖父母と一緒で、近くから天守閣を見上げた記憶はあっても、中に入った記憶はない。今回久しぶりに内部に入ると、めちゃくちゃ近代建築で、城の面影は清々しいほど皆無で、そりゃ記憶に残らへんわと腑に落ちた。そもそも、内堀の門あたりでお金を取られると思っていたけど、天守閣以外は無料開放されていて、チャリで爆走している人なんかもいた。
なにより、大阪城の豊臣秀吉信仰ぶりには圧倒された。豊国神社や秀吉手植えの樟などがあり、解説板によると明治維新で秀吉再興の機運になったらしい(反徳川ということ?)。今の天守閣は昭和天皇即位記念に関一が計画して建てられたというのも、なかなか面白い。天皇秀吉チームと徳川の対立が際立つ。秀頼淀殿自刃の地に記念碑が建てられていたけど、これは1997年のもの。それまではなかったと思うと、豊臣顕彰に衰退の象徴は不要とされていたのだろうか。
天守閣内の展示で気になったのは、秀吉が大陸征服のために名護屋城を拠点とするも、そこで能にどはまりしたというエピソード。自分の功績を題材にした能を作って自分がシテをしていたらしく、秀吉がかなりやばいやつだったことが分かる。
http://hizen-nagoya.jp/nou_cha_ishigaki/
徳川時代からある石垣の巨石は存在感が強く、よくもこんな石を見つけて運んできたなと感心する。一番大きい石は蛸石と呼ばれる。蛸石といい蛸松といい、大阪の人にとっては蛸は美称なのかしら。なんでもすぐに蛸に例えたがる。だから名物がたこ焼きなのかな。知らんけど。大阪城の目玉と言っても過言でない石垣はほとんど徳川時代のものなので、ますます徳川が不憫に思われる。
城内には、第四師団司令部をはじめとする近代軍事施設の名残もある。ひずんだ石垣、機銃掃射の弾痕、国防館跡などのかつての軍事施設の跡地を観測。大阪城ホールがあるところは大阪陸軍造兵廠本館があったらしい。大阪砲兵工廠化学分析場は廃虚になっており、このままだと解体するしかなくなりそう。門とか塀も残っているのだから整備して活用できないのかな。よっぽど内部が傷んでいるのかもしれない。この建築の設計者である置塩章の名前は初めて知った。
北村西望の世界連邦平和祈念像(1973)も見つけた。北村は長崎の平和祈念像の作者。なぜここに建てられたんだろうか。世界大戦の戦跡だから?大坂夏の陣の戦跡だから?
本当は京橋の慰霊碑も見に行きたかったけど、時間切れで今回は諦めた。お昼はダッシュで食べた。かすみやの牛すじ唐揚げカレー定食700円、おいしかった。

京阪で移動し、中之島美術館にて岡本太郎展を見た。年齢層高めの客層と思いきや、ギャル風の女性がじっくり鑑賞しているのが意外だった。何がきっかけで来場したんだろうか。
岡本のドローイングはあまり好きじゃないけど『明日の神話』は良い。立体作品は、岡本太郎記念館や川崎市岡本太郎美術館と比べると、どうしても物足りなく感じた。岡本が民俗学に興味を持ちフィールドワークのようなことを行っていたことや、丹下や坂倉といった建築家との関係について言及があったのはよかった。
コレクション展の白眉は大和ハウスの原寸大モデルハウス。建築展でもないのに、これが展示室内にどんと置かれているのが面白い。SHARPの社名の由来がシャーペンであることも学んだ。

下着屋に用事があったので、散歩しつつ南下。
1964年に埋め立てられた西横堀川の上を歩く。橋の跡がぽつぽつ残っており、なかなか楽しい。アメリカ村の歴史とか京町堀川とか、興味がどんどん広がっていく。四ツ橋を経て長堀川跡(長堀通)を東に向かう。クリスタ長堀って、もしかして、せっかく川を埋め立てところを再度掘削したんだろうか。それも調べなきゃ。心斎橋にも橋の名残りがあることに今更気がついた。今まで恐ろしいほど何も見えてなかった。
道頓堀に着いた頃には随分日が落ちており、今のネオンに昔のネオンの面影がにじむ。ニューライトでセイロンライス600円が気になって注文したら、自由軒のカレーの液体多め版のようなものが出てきた。おまえもカレーなんかい。お昼に続いてカレーかい。でも確かにセイロンはインドやし、しょうがない。
戎橋の下は不良少年少女の溜まり場になっていた。
太左衛門橋を南側から渡って宗右衛門町へ。めちゃくちゃテンション上がる。島之内だ!
標識を見ると今の太左衛門橋は1958年竣工で、架設委員の委員長は大和屋の阪口祐三郎。さすが大和屋。その他は知らない名前が並ぶ。顧問の次田虎雄について検索すると、1956年に3か月だけ大阪市会副議長を勤めていた政治家らしい。
相合橋のたもとにある食満南北の句碑(1961)「盛り場を むかしに戻す はしひとつ」にめっちゃ共感した。これは相合橋でなく太左衛門橋についての歌らしい。句碑建立発起人には中村鴈治郎、片岡仁左衛門といった歌舞伎役者の名前が並び、筆頭者の白井信太郎は白井松次郎・大谷竹次郎兄弟の末弟らしく、松竹色が強い橋だということが分かる。
今回ミナミを徘徊して思ったのは、標識や碑の前にチャリが停められていたり、ルンペンの寝床になっていたりして、文章がとても読みづらかった。一生懸命見ようとする私が不審者みたいだった。
雰囲気のある相合橋筋商店街を通り、法善寺横丁へ。夫婦善哉を食べてみたかったけど、ひとりなのでやめておいた。

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