2023.12.22

京都芸術大学まで、タデウシュ・カントル『死の教室』上映 & 関口時正さんのミニレクチャーを観に行った。
映画版の演劇、めちゃくちゃ好みで面白かったのに、途中でどうしようもなくお腹を下して離席してしまった。こんなことあんまりないから、ちょっと堪えた。閉塞感のあるポーランドの地下ギャラリーで繰り広げられる不条理劇。観客は画面向かって右にいるのかな。たまに地下ギャラリー以外のシーンが挿入される。意味のない言葉や、身体の分身のような人形。言葉が意味から遊離して音になり、身体から身体が剥がされる。延々と続く物故者名の読み上げは、意味の分からないお経を聞くような儀式的な経験で、なぜか胸に迫るものがあった。

関口さんのレクチャーは、私が浅学のため要所要所しか掴めなかったけど、新しく知ることが多くて有意義だった。以下メモ↓
ヴィトカツィの戯曲からの引用
プロメテウスの肝臓、クレオパトラの鼻、アキレスの踵
針の耳にラクダを通す
語形変化 擬似言語
11/1万聖節 11/2万霊節 
物故者として読み上げられるのは農民の名前だけ(-イチや-スキで終わるのは士族や貴族の名前)
干し葡萄とアーモンド

能の研究をされている方からのコメントが興味深かった。映像におけるカントルの立ち位置と能におけるツレとの類似性や、人形が能面のように多弁であることを指摘され、カントルがそんな感性を持っていることに驚いたとおっしゃっていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?