私と光栄ゲームパラダイス④
1993年に光栄(現コーエーテクモ)から刊行された『光栄ゲームパラダイス』は、バラエティに富んだ読者の投稿作品が集う、好事家達の社交場であった。
カオスな誌面から発せられる熱に当てられた私は、その輪に加わるべく作品の投稿に初チャレンジ。結果は足掛け1年と1ヶ月に渡りイラストや文章投稿を送り続けて、なんとか文章投稿が2通だけ採用。
嬉しさと同時に、100通を超える投稿の結果2通の採用という結果を受けて、我が実力の限界を見た気がした。
でも折角なので、あと1度だけ、未だ採用された事のないイラストが誌面を飾ったら筆を置こうと考え、再度作品を投稿した。
次号VOL.9を、やはり発売日に購入。ドキドキしながらページをめくる。
あ!
載ってた!
しかも念願のイラストが!
30年近く経った今目の当たりにすると、そもそもこれを「イラスト」と名乗って良いのか甚だ疑問ではあるが、我が手を離れた創作物が、編集部にチョイスされ、スキャニング、編集を経て誌面を飾った事は、当時10代の高校男児の胸を撃ち抜くのには、十分に過ぎる事件であった。
あ、味をしめて、もう一回だけ送ってみようかな…。
というわけで次のVOL.10。
本屋のレジに持って行くのに中々勇気が必要な表紙デザインもなんのその、きっちり購入してページをペラペラ。
なんと!また載ってた!しかもイラストと文章がひとつずつ!
しかし、改めてなんというクオリティだろうか…
作品を仕上げた直後は渾身の手応えを感じてドヤっていたはず、というか、自分なりに「最高」と思えない作品は、そもそも投稿しようと思わない。
だがしかし、ポストに投函してから書籍が発売されるまで約2ヶ月。冷静になった頭と心で改めて再会してみると、あれれ、こんなだったっけ!?
と同時に、こう思ったのも覚えている。
「…何かつかんだかも」
若さとは、青さとはつくづく恐ろしいものであるな。
まず、自分で思ってたよりかは才能がない事は、この1年と数ヶ月で理解した。前述の2作品についても同様の思い。
だけど載った。
では、なぜ載ったのか。
膨大な量の投稿が所狭しと並ぶ誌面上に、キラリ輝く自分の作品をじっと眺めていると、うっすらその理由が見えて来た。(気がした)
その分析が的外れかどうか、確認がてら、もう一度だけ作品を投稿してみようかな。
ちょうど『光栄ゲームパラダイス』はこのVol.10で完結となり、次回からは名を『歴史パラダイス』に改めて、より歴史ファン向けのシフトになる模様。ページも増えそうだし、チャンスではある。
さて、顛末はいかに。
(つづく)
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