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鮎釣り師のひとり言

 ボクは高知県東部のU村という山村で生まれ育った。
 小学三年生の時に担任のF先生から「今晩泊まりに来なさい」と誘われた。F先生は新任で二十二、三才の美人だ。ボクは母に了解をもらいF先生の教員住宅に行った。
 二人でお菓子を食べてテレビを見ていたら、F先生が一緒にお風呂に入ろうと誘う。まだ幼いのにボクの下半身は熱くなって断った。お風呂から出た先生は、桜色の体にバスタオルを巻いて素足をむき出しだ。
 鏡台に向かうと「ちょっとこれ巻いて」とボクにウインクをする。
 ボクは言われるがままに先生の髪の毛に、渡されたスポンジ製の筒のようなモノをいくつも巻き付けた。全て巻き付け終わると、先生は頭にすっぽりとナイロン製の帽子のようなものをかぶり、「もう寝ましょう」とボクを布団に招き入れた。
「隙間ができるからくっつきなさい」と言われボクはすり寄った。先生は温く、と言うかむしろ熱かった。学校の事とかいろいろな話をするうち先生は怖い話を始めた。
 第一話は呪いの館だ。
 呪いの館の改築に大工らが取りかかった。親方がノコギリで柱を切る。ぎ~こぎ~こと親方が柱を切るうち弟子のひとりが親方の異変に気がついた。親方の動作がだんだん遅く、のろくなっていく。
話す先生の声がおどろおどろしくなる。
「呪いの館、のろいのやかた、のろいのぉ・やかた、のろいのぉ・おやかた、のろいのぉー親方」
 うっふっふ・・・・・・と、先生は自分が体を揺すって笑い始めた。ボクもつられて笑ったが、笑いながらシマッタと思った。さっきの話の途中で、怖がって先生に抱きつけばよかったと思った。
 すると、先生は第二話といって話を始めた。ボクはヨシ! 今度こそは、と思って話を聞いた。
 第二話は恐怖猫女だった。
 薄暗い夜の港で猫の顔をした女が立っていた。
 ヒェ~、とそこでボクは小さな声を上げて先生に抱きついた。ちょっとタイミングが早かったかなと思ったが、先生は当然のように抱き返してくれた。先生は柔らかく温かでミルクティーの匂いがする。先生はボクを抱いたまま話を続けた。
 だが、いくら待っても船は来ない。猫女は絞り出すような声で言ったのよ。
「恐怖猫女、きょうふねこおんな、きょうふ・ね・こぉんな、きょう・ふね・こんな、今日船来んなぁ」
 先生はボクを抱いたまま体をしゃくって笑った。ボクも先生の柔らかい胸に顔を埋めつけて笑った。そして、笑いながらいつの間にか眠ってしまった。遠い遠い日の記憶。ボクがまだ脱皮をしていないサナギの頃の話だ。
 痛い思い出もある。
 ハチの中で最も凶暴なスズメバチの巣が、近くの廃屋にあった。
 いつもの悪ガキ四人で、その巣に向かって石を投げては逃げ隠れしていた。徐々にバウムクーヘンが歪んだような模様が崩れ、スズメバチがいきり立った。何投目かの石がハチの巣の根元に命中し、タン、コロコロッとボクらの目の前に転がってきた。度胸のある奴が、わーっと言ってサッカーボールのように蹴り上げる。そして、一目散に逃げた。
 大人から、刺されたら死ぬと聞いていたボクらは必死で逃げた。あっ、とボクは何かに蹴躓いて転倒した。直後、恐るべき痛さが背中を襲った。三匹のスズメバチが針を刺したのだ。グギエ~、ボクは仰け反って悲鳴を上げた。
 友達らが、ワーッと言って棒を振り回しながら助けに戻ってくる。ボクは半泣きで、痛さをこらえて死ぬのだと突っ伏していた。誰かがワンワン泣きながらボクのシャツをめくる。
「早よう! アンモニアやっ」
 の後、背中に冷たいものが一斉に降り注いだ。
 えっ、とボクが首を回して見上げた光景は別の意味で怖かったが、命が助かるのならと甘受して堪えた。全員から「死ぬな~死ぬな~」と泣きむせんで小便をかけらたのだ。ボクは「ありがとう、ありがとう」と号泣した。
 物心つくまで、ボクはその小便で死ななかったと思っていたし、かけたみんなもボクの命を救ったのは、あの小便のアンモニアだと思っていた。
 あの頃はみんなアホだったけど、しょっぱい友情で固く結ばれていた。
 悪ガキ四人は、秋になると山村のはずれの谷に分け入ってアケビ取りもした。その日行った場所は穴場でたくさんのアケビがなっていた。ボクは歓喜し、細い木の枝に猿のようにのぼって手を伸ばした。しばらくするとなにやら下から声がする。
「おい、おまえらそのアケビ全部よこせ」
 コワイ上級生らだった。
 ボクらはせっかく採ったアケビを全部取り上げられた。おまけにさらに山奥に連れて行かれて、上級生らの指図でボクらがアケビを採らされた。くたくたになったボクらは、上級生らとともに食べきれないほどのアケビをもって車の通る道まで降りてきた。
 と、田舎では見かけぬ黒塗りの車の列がやってきた。ボクらの村の方に進んでいる。車列はほこりだらけのボクらの前で止まった。
 窓が開く。ボクらはゴクリと息をのんだ。中から花嫁姿のまつこおばさんが微笑んだ。ボクらは、上級生らとともにポカンと口を開けたまま固まってしまった。窓が閉まる。またゆっくりと車列が動き出す。最後尾の車の窓が開いて、薄ら禿げの親父の顔が突き出た。
「お客(宴会)が始まるきに、はよ帰ってこいっ!」
 静かな山道に怒声が鳴った。
「あ、あれおまんとこの嫁さんか」
 と上級生が振り向く。ボクはこっくりと頷いた。
「これもってかえっちゃれ」
 一番コワイ上級生が、ボクらから取り上げた鈴なりのアケビを差し出した。ボクはそれを自転車のかごに入れるとそっこう家に帰った。
 帰宅して風呂に入ると二階に上がった。手拍子で唄うおじさんや、赤ら顔でお銚子を傾ける近所のおばさんなど宴会は盛り上がっている。喧噪の中、ボクが新郎新婦の方に進むと大人たちが振り向いた。
「子供が、手に何を持っちょら」
 酔っぱらいのおじさんが声を張り上げる。ボクは、おしとやかにうつむいていた花嫁のまつこおばさんの前まで進んだ。
「これ、うまいきに食べて」
 と、ツルのついたアケビをグイッと差し出した。パッチリと割れた中に張り付いた白いアケビの実。その甘そうな実が鈴なりになってまつこおばさんの純白の花嫁衣装と重なる。
「おっ、アケビかぁ」
 誰かが声を上げると、ドーッと割れるような歓声と笑い声が起きた。まつこおばさんが顔を赤らめてうつむいく。
「アケビじゃアケビ~。ぱっちり割れちょるぞ。がはは」
 酔っぱらった親父が腹を抱えて転げている。がんばれよ~、と新郎の名を叫ぶおじさん。なんだろうこれは? アケビをあげただけなのに、なぜこれほどまでに大人たちに受けるのかが子供のボクにはわからなかった。
 うつむいたまつこおばさんも体を揺すって笑っていた。いや、ありがとうと小さく言った声が震えていたので、泣いているようにも思えた。
 ボクは悪いことをしたのかなと思ったが、みょうにみんながほめるので安堵した。その意味は、思秋期を過ぎた頃やっとわかった。
勉強もせずに遊んでばかりいても小学生は進級する。いつの間にか五年生になり、コワイ上級生を送り出す卒業式がやってきた。
 桃の花、匂う三月、おなごりはつきません。
 ボクの小学校では卒業式で六年生を送る言葉を、下級生が台詞をつないでやっていた。
 ボクの台詞は「おなごりはつきません」のところだった。練習の時ちゃんと聞いていなくて、どんなんやったっけ、と「おらげりはつきません」とか適当に言ったら、ブー教頭から「こらぁオナゴリ、ちゃんと言わんかぁ!」とドス声で叱られた。
 ボクはオナゴリと呼ばれ何度も練習させられた。「声が小さーい」と言われたので、快活に「おなごりはつきませーん」と大声でやったら「そんなに元気に言う言葉じゃなーい」とブー教頭がまた怒鳴る。ボクはブー教頭に恐る恐る聞いてみた。
「あのぉオナゴリってどんな意味ですか?」
 ブー教頭は目を剥いて「ええ、意味ぃ、ん~意味はなぁ・・・・・・おい、誰か教えたったれ」と周りにいた先生に振った。
 先生の1人が「えーと、別れは悲しいけど悲しそうに別れないことだよ」とか言って自分で首をかしげていた。子供のボクにはやっぱりよく分からなかったが、コワイ上級生がいなくなって嬉しいだけなのになんだと思った。
 翌年、ボクたちが送られる時、オナゴリに当たった下級生がブー教頭に同じようにいじりたおされていた。あんなの、小学生の使う言葉じゃない。そんなあの頃に、おなごりはつきましぇ~ん、だ。
 思春期の中学時代を楽しく過ごしたボクは、高知市内にある工業学校に進学した。全寮制の学校で、親元を離れての都会生活がボクを大人へと急速に脱皮させた。ある冬、ボクは風邪をひいて近くの病院に行った。美人だがきつい顔をした受付の女性がいる。
「どうされましたか」
 と受付嬢。
「風邪、ひきました」
 と咳き込むボク。
「じゃ、この紙に記入してください」
 と上目遣いのきつい目で、受付嬢が受診受付用紙を差し出す。ボクは震える手でそれを取ると記入を始めた。受付嬢の涼しい瞳がボクの手元をじっと見ている。うら若いボクの緊張は極度に達した。自分の名前すら間違えそうになるほどだ。
 何とか記入し終え、震える手で用紙を受付嬢に渡した。彼女は受け取った用紙を見るなり、口を押さえブーっと吹き出した。うろたえながら「な、なんすか?」と訊くと、彼女は声をしゃくりながら、あ・あんたこれ、「内」科の間違いでしょと用紙を突き返してきた。
 ボクはその用紙を手にとると目を落とした。そこには、科と印字された左側にボクのへたくそな字で「土木工学」と言う文字が踊っていた。
「あんた、どこの工業学校よ」
 と他の看護婦さんからも大笑いされ、ボクは隠れるようにトイレに駆け込んだ。
 工業学校を並の成績で卒業すると、和歌山に支店を持つ土木建設会社に就職した。
 和歌山は初めてであり、のっけから強烈な和歌山弁に驚かされた。
 ある日、職場のフェンスに暴走族風の車がつっこんだ。警察が来て「てきゃ、てきゃ」と現場検証をしている。敵ゃ、とはかなり暴走族と敵対してるんだなと思ったら「てきゃ」は彼と言う意味の三人称単数であった。和歌山の彼は敵味方関係なく「てきゃ」だったのである。
 仕事で現場監督に出ると、厳つい土木作業員が仕上がったコンクリートの壁を見て「美しい」とだみ声を上げる。仕事が終わって、汚れた長靴をタワシで洗ってもひげ面のおっさんらは「美しい」とだみ声を連発する。
 美しいの適応範囲が広く違和感を持ったが、これが最上級になると「がいに」が付く。「がいに、美しいやして~」と和服のママさんがカウンターの隅に置かれた花束をうっとり愛でるのを見て、最上級は微妙だなと思った。
 職場レクでおでんを作っていたら、空だきになるほど煮すぎてしまった。先輩が蓋を取って「あかな、こりゃあ、けつけつにもじけてしもうちゃあら」と水を足す。 
 ぜんぜんはデンデンと発音する。職場の女性が相手先に電話がつながらず「デンデン出ん」とぼやく。パチンコ屋で「どうや?」と訊いたら「デンデン」とそっけなく答える。この場合は「全然」でも「出ん出ん」でも話が通っているなと思った。
 銅像はドウドウだ。もし、堂々たる象の銅像があったら、ドウドウたるドウのドウドウとなる。
 居るをあると言う。これが一番驚いた。在宅の確認を「おとうさんあるか?」「ないわ」とやられる。まあいい、明日にでも粗大ゴミに出されそうな自分には和歌山弁で正解だなと思った。
 ただよく考えてみると、ボクの生まれ育った高知も方言はきつい。
 高知には「のうが悪い」と言う他県には絶対通じない言葉がある。意味は「具合が悪い、使い勝手が悪い」なのだが、こんな話がある。
高知のゴルフ場で、折れた傘の柄を持ちにくそうにして一緒にプレーしていた県外人に、「おまん、のうが悪いろ」と高知人が言った。
「君、その傘は使い勝手が悪いだろう」と言う意味だが「君、脳が悪いだろう」と県外人の耳にぐさりと刺さった。スコアの上がっていない県外人が、烈火のごとくマジ切れたという。
 高知県人は言葉を略さない。ちゃんと一つ一つのひらがなを押すように発音する。携帯をケータイとは言わない、ケイタイとしっかり発音する。兵隊をヘータイと言わないヘイタイと言う。近代になって、丁寧に発音する高知人は、政府から認められ国語の先生として東北地方などに赴いたといわれている。
 東北弁は「しかたがないでしょう」を「んがね」、「そうでしょう」を「だす」と言う。極寒だと悠長にしゃべってらんねえ。そんな気候が単語ならぬ短語を生み出したのだろう。情緒がすうっと染み入る東北弁をボクは好きだ。東北弁に限らずその土地どちの言葉があっていい。標準語など大きなお節介だ。
 なまじ言い方で持ち上げられた高知人は、胸を張って議論好きになったという。酒を片手に犬と猫のどちらが賢いか、を朝まで言い争う。内容は問題ではない。ありったけのボキャブラリーを出し尽くすことに意義がある。どんなに言い争っても前には太平洋、後ろには四国山脈しかない。とことん言い合える条件はそろっている。
 そんな高知県人の例に漏れず、いつしかボクも酒と議論が大好きになっていた。ただ、酒を飲み過ぎるきらいがあり、酔っぱらって相当へまなことをやった。
 就職した年に会社の初任者研修があり、最終日に懇親会をやったときのことだ。場所は神戸。宴は盛り上がり、一次会から二次会へと繁華街に繰り出した。初めてあったもの同士なのに、意気投合する輩は居るもので、四、五人のグループが形成され、さらに三次会へと流れていった。
 飲んで歌って時間も忘れ、慌てて阪神電車に駆け込んだ。和歌山まで帰らないと行けないのだが、大阪で終電に乗り遅れ泊まらざるを得なくなった。酔ったせいか視界がぼーっとしている。運良く直ぐにカプセルホテルを見つけた。
 受付の女性が、用紙に住所氏名を書いてくれと言う。酔ったせいか記入欄がどうしても見えない。書けないままモゾモゾしてると、受付の女性が「どこそこの○○さんですね」と、職場名や実名まで明るく言う。
「な、なんでオレのこと知っとんねん」と酔っぱらい口調で返したら、苦笑いで胸のところを見ている。なんだ? と顔をおろしたら研修の名札がそのままついていた なっ! 後の祭とはこのことだ。
 研修の名札を外すことを忘れてた。酔いがすっ飛んだ。のもつかの間、カプセルインと同時に白河夜船の高いびきだ。朝起きるとメガネがない。いくら探しても無いので阪神電車に電話した。ら、落とし物コーナーに上がっていた。
 昨夜、メガネ無しでも難波まで来てカプセルを見つけた眼力なのに、夜が明けたら目が見えずオロオロしながら手探りで梅田まで戻った。
 後日、その時飲みに行った仲間に「何で名札のこと教えてくれなかったんだよ」と言ったら、全員酩酊してその夜のことを覚えていなかった。こんな時は類は友を呼ばなくていい、と思った。
 あいつは酔うと何をやらかすかわからんぞ、と言う噂がたちまち広がった。ボクはそんな期待に不本意にも応え続けた。
 まだ、携帯電話が出始めた頃のことである。和歌山のスナック帰りにジャンパーを忘れたことに気がつき、ヨシッと運転手に見せるように大げさに携帯を取り出しママに連絡した。
「あーママ、ママ」と言ったら、ママは眠そうにウンといった後「どいたがぞね夜中に」と、いきなり土佐弁を返してきた。
 はて? ママさんって高知県出身やったっけ、と思った瞬間気がついた。声の主は自分の母に違いない。午前一時、短縮ダイヤルの押し間違い。スナックではなく実家につながっていた。
「間違いでしたか。いやー私もよくありましてねぇ」
 と運転手が笑う。
 ちっともフォローになってねえって。そんじょそこらの間違いじゃねえもの、とボクは顔面火だるまで口をとがらせた。
 翌日、母から電話で夜遊びが過ぎるとしこたま叱られ、そばにいた家内に笑い転げられた。恥ずかしげもなく田舎のおかあちゃんを「ママ」などと呼んだのは、後にも先にもこのとき限りだ。
 そんなことがあった後日、大阪の叔母と会う機会があり喫茶で話をしていたら、携帯電話の話題となり意外なことを訊かされた。
「そうそう、あんたいつやったかおばちゃんに酔うて電話かけてきたことがあったんやんか」
 と叔母の口元が緩む。
「え、なんかあったっけ」
 とボクは首をひねった。
「夜中の十二時頃に電話掛けてきてなぁ、ママさんママさんて言うんやんか」
 ゲッ、やな予感。
「ママさんちやうがな、大阪のおばちゃんやで言うてなぁ。それでもあんたママさんママさん言うて、なんべんおばさんやあっ言うてもきかへんねんも。あの間違い電話ホンマ笑ろたわ」
 あっはっは、と叔母は体を揺すった。
「そ、そんなことあったっけぇ~」
 とボクは大げさに首をかしげた。
「ほら、あんたかなり酔うてたから覚えてないんやろ」
 と、叔母はますます声を上げて笑う。
 ボクはなんとなく思いだしたのだが、忘れたふりをして愛想笑いに努めた。
 酔いすぎるとろくなことはない。うっかりしていると時には死ぬほど痛い目にもあう。
 神戸に出張した時ことだ。二日酔いでぼーっとシャワーを浴びていた。湯がちょっとぬるかったので、蛇口をチョイとひねってみた。
と、いきなりシャワーが熱湯に変わった。
 ワヂャ~と目を剥き、体をびちらせ湯船から脱出しようとした。ら、ジャンプ力が足らずつま先が湯船の縁に引っかかり、そこを支点に洋式便器に胸から激突した。息が止まり、丸裸で悶絶した。
 死ぬ時も生まれたままの姿だなんて、自分らしい最期だけどちょっと恥ずかしいぜ、と走馬燈のように思い出が脳裏を駆け抜けた。生んでくれてお母さんありがとう、と心の中で言ったら息がつながった。
 けたたましく電話のベルが鳴る。床に爪を立てて丸裸ではいずって受話器を取った。
「お客様、火災報知器が点灯してますが大丈夫ですか」
 とフロントからの心配そうな声。
「べ・ぇ~、ちょっど、じゃわーのゆげが、べやに・・・・・・」
 満身で声を絞り出し、なんとかやり過ごした。たぶんゾンビみたいに白目だけになっていたと思う。丸裸で布団に潜った。チェックアウトぎりぎりまであばら骨をさすって耐えた。
 帰り、フロントで「お客さま大丈夫でしたか」と再び聞かれたが「べ・ぇ~」としか答えられなかった。
 医者に直行したら、あばら骨にひびが入っていた。治るまで笑う度にあばらを押さえ、ヒーヒー悲鳴を上げた。
 そんなボクが鮎釣りを覚えたのは、徳島に転勤した三十台前半の頃だった。ボクは和歌山の女性と結婚をし、男の子を二人もうけごく普通の家庭生活を送っていた。住まいは徳島市の津田と言うところにある木造平屋の古い社宅だった。
 入居した数日後、夜中に犬の鳴き声がするので見たら、軒下で野良犬が子供を生んでいた。その数日後、今度は倉庫で猫が鳴くので見たら子猫が生まれていた。家族四人で夕食を食べていたら、家内が突然悲鳴を上げる。ボクらの周りを小ネズミが走り回っていた。
 ある日、買ってきたばかりのまんじゅうと食パンが忽然と消えていた。それが押し入れの中でかじられて発見された。ぼくはただごとではないと、ホームセンターに行き超音波式ネズミ撃退機を買ってきた。だが、全然効いた感じではない。コードが抜けてないか確かめに行ったら、コードがかじられて切断されていた。屋根裏は連日ネズミの運動会だ。子供は二人やんちゃな盛りで、ボクは賑やかでよかろう、とむしろこんな生活を楽しんでいた。
 共働きをしていたので、ボクが子供の迎えに保育園に行くことがあった。七夕が近く笹の葉に綺麗な飾り付けがしてあって、お迎えの奥さん方が談笑している。笹の葉の短冊には、子供が大きくなったときになりたいものを、子供から訊いて先生が書き留めてものが結ばれていた。ケーキ屋さん、野球選手、ウルトラマンなどと子供らしいことが書かれている。ボクは息子の短冊を探した。あった、と見つけて絶句した
「大きくなったら大きなネズミになりたい」
 と書かれてある 先生が苦笑しながら、何度聞いても大きなネズミになりたいと言ってきかなかったという。そばにいた奥さん方も大爆笑だ。ボクは赤面したまま背中を丸めて息子の手を引いた。
 それから一年たってまた同じ七夕の季節がやってきた。迎えに行ったボクに昨年のワンシーンが去来する。またなんか変なこと書いているんじゃないのか、と思っても見ないわけにはいかない。と、若い先生が寄ってきて「今年は良かったですよ」と笑顔で笹の中から息子の短冊を見せてくれた。
 そこには「大きくなったら大きなおさるになりたい」と書かれてあった。うぇ~、と声を上げるとそばにいた奥さん方がまた笑う。
 だが、よくよく考えてみると、一年でネズミから直立二足歩行のお猿さんにまで進化したのだ。この速度だったら来年はきっと人間になってるぞ、と頼もしく息子の手を引き、胸を張って保育園を後にした。ボクにとっては宝物のような想い出である。

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