一回諦める。

 ※ご覧の記事は、ネガティブな表現が多く含まれます。ただ、これは、この体験に対する私の解釈だけの一面に過ぎず、必ずしも周囲の人間が100%悪い訳でもないので、そこはご了承ください。

 現実より、理想を夢見る事より、理想を、今、現実で少しずつできるようになることを取り組む事が、好きになってきました。

 動けるより、動けないのが辛いというより、僕にできない事を今楽しむ余裕がないんです。できるようになりたいが、少し芽生えていると言うのか。

小さい頃は、想像する事が好きで、
仮面ライダーの変身ベルトを付けて赤いボタンをポチッと押して。待機音に合わせてベルトの枠の中に電車のパスを通したら、本当に、「野上良太郎が変身した後の電王になっている」みたいな。
ウルトラマンメビウスの変身アイテムを腕に取り付けて、「メビウス!」と叫んで、ビーズの様な、はめこまれている丸い球を回したり。

とにかく、変身した後を想像して、おもちゃを持って、変身シーンの真似をして、実際になっている。という気持ちでお家の中で遊んでいたり。

...…そんな事をしていた幼少期&少年期。
そんな保育園生の私も、あっという間に。そして、長い月日を経て21歳になり。20歳の8月には一日バイト。20歳の10月には派遣と称して仕事の体験を積みたいと思い、やってみても、始めてみて一か月目は鬱の兆候みたいな症状も現れるわ、もう最後の3カ月目の前にも鬱の兆候(2回目)みたいな症状も現れるわ。

他者を通して自分を知りたいが為にやってみた仕事が、実際はなんの価値も感じないどころか、どこか自己犠牲な所を感じたり。

すごく、感情という重荷を、文字通り痛感した20歳の経験でした。

戻ってきてからは、九州から遠く離れた神奈川にて、良くも悪くも3カ月の仕事期間もあったせいか。

ただ、「なんで、3カ月なのに、今でも強烈に覚えてる程の鬱のような感覚が合ったのかが分からない。ただし、自分の記憶をあまりあてにはできないげど、一番近い記憶で言うと、小学4年の頃、僕は市が行っている青年会ボランティア?みたいな活動の、他校から人が集まってバスで送迎があるのに乗って、何が原因かは分かんない。けど、僕の過去の解釈の中で、周りの人が信用も信頼もできなくなった過去がある。それから、僕は小学2年の頃に、強く死にたいと思って、頭を打ち付けたりとか、本当にそうかは分かんないよ? ただ感覚としてしか残ってないよ?だから一概に信用できるとは限らないよ?」みたいなのはある。

ま、とにかくこれだけは言えるのは、
僕は小学生の頃も、中学生の頃も、疲れました。
先生にも疲れましたし、他校の人間にも疲れたし、同級生にも疲れました。

高校にもなって、同級生から離れられる~! なんて思っても、
やっぱ県外に行かないと駄目ですね。
その子たちの目的、目標もある事を加味して、さすがに感情事に尽きると、もうどんどん、キリがないので、バックグラウンド処理して、
自分の目の前を取り組む。みたいな。

学びたいものだけを学ぶ事に、視野が狭まり過ぎる事も考えたかもしれない。まあなんだ。とりあえず、人間関係を少しずつ学んでいこうじゃないか。

……僕が浅はかだった。人間関係に対して歩み寄った僕がバカだった。
みたいな事も起こる訳です。

やっぱり、僕自身、不安を感じ取りやすいのかな。なんて思ったり。

1人になってみました。

すると、今度は周りに向いてたモノを、自分自身に一心に降りかかってくる感じが、身を包んだんです。

これには僕もビックリ。そこで、よくよく自分の事を、眺めてみると、

①「あれ? こいつ、やけに不安を感じやすいな」

②「自分の執着に気づいて、治すか、方向性を整えてあげるか、ほんの少しずつだけど、できる事でもがいてるのか」

③「自分の心を知る為に、心理学にも、脳科学にも… えっ?基本情報技術にプログラミング!?!? ……哲学を使ってきたのか! ゲーム理論! なるほど、 数学か……数学の本も買ったの!? 実際やってみた!? 公式集は思ったより面白かった? よかったぁー! お気に入りは? ……ベイズ統計の入門書を買うぐらい、確率・統計にハマった!? へぇー!」

④「ラノベとか漫画好きなんだ! ……自分の想像を表現するために、文章力を磨きたい!? 文章表現の基本とかを学び始めた? なんかマニアックなところ行くね~……  なるほど! 今持っているラノベの文章を実際に鉛筆と紙で書きだして、表現技法を先ずは目で追って、実際にそれを、自分で想像した場面をその技法を使って書き出してみよう! みたいな?……紙で書きだしてみた? お、いいね。技法は何となくわかったな? よし。それじゃあ次は、自分で想像した場面をその技法を使って書き出してみよう!……やってないじゃんね。なんでしない?」

みたいな。そんな事を自分1人でやってました。うん。
疲れた。

20歳の2月。なので、2024年の2月。 youtubeで自己理解プログラムなるチャンネルを見つけた。丁度修行期間だね。

ちなみに、この修行期の目標立てとかは、現地調達。
通常の仕事・生活面の配備関係・さらに修行の目的に沿って、紙とペンで、その時その時の自己の心情を書き綴ったり(ノートは現在保管中&閲覧中)等々。中々におもろい事もしました。

……本当に他人との交流が苦手なのかな? なんて思ったり。

他人のお話は好きですよ? それこそ、
「何に重きを置いて、話を進行されてるのか」とか聞き耳立てますし。
「ちょっとそれは専門医でもないのに、一端の人間が語れる領域じゃなくない?」とか思う事も職場でもザラにありますし。
※大事(説明責任系に関わる問題とか)であれば流石に怒ります。

「甘い話だとかそれ以前に、その行為・課題の責任を最終的に被るのは誰か」という視点から、僕の場合は怒る選択をとります。

なんていうんだろう。

適当である部分と、真正面から正直に言う部分を比率的に言うと、
(   7   :     3   )

というより。

本当に大事にしたいものは、紛れもない「あなた」自身でしか分からないから。それを、その「あなた」自身で取り返しがつかなくなる前に、それを。「あなた」自身がしっかり把握して、持てる手伝い。やるかやんないかの選択はあなたが持ってるし。私が言わずとも「あなた」が本当に必要としている。私がギリギリ手を取れる援助なら、私は「あなた」の手首を掴んで、自分にできる限りの事は真剣に取り組みさせて頂きます。その代わり、「あなた」は「あなた」の今取れる舵だけに最大限に集中してください。私はそんな「あなた」の人手として、「あなた」がみた私という役割として伝えた通りに動きます。

これなら。真正面から正直に言っちゃうかな。って感じ。
嫌われ役を買ってでも。……精神的なモノって大変ですからね。とりわけ感情事を相手に取りますので。

だから、お互いの「伝え方」・「捉え方」・「聞く勇気」が必要だったりするんですけど。

ハッキリ言うと、家庭内も社会の一環ですからね。

この言葉をどういう風に捉えるかは、自分という言葉に中てる事ができる人それぞれの課題。だったりするのですが、まあ……

私も、「あなた」もそうですが、1つの繋がり。そして、1つが繋がり続ける社会っていう環境のために、基準を持つことのそもそもを体験して、考えて欲しい。っていうのが、いまのじーぺんの課題です。

基準が無ければ社会はどうなっているんだろうね。
何のために基準って産まれて、何のために、基準という言葉の中に、
「健康」「経済活動」etc...…といった文字が、記される世の中になったんだろうね。

私、無知だからこそ、知りたいんですよね。
ということで、社会学の本を買って、基礎に触れよう。なんてこともしていたり。

だって働いても、「働く」ってなんだろうなんて考える世の中でもあるのですから。そりゃあ気にならない事もないですよね。

という事で、一回諦めて、僕のそのままを観察することにしました。

なにか、質問だったり、こんなところを嫌に感じた。なんてこともあれば。
是非コメントに書いてください。

待ってます。

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