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言語化能力

が、欲しい。

ずーっと考えてる。
どうやったら言語化できるのか、この感情を。モヤモヤを。悔しさを。絶望を。愛しさを。慈しみを。揺さぶられたこころを。

人と理路整然と話がしたいんだけどな。

思考が全部とっ散らかって収集つかねえのがいけないんだな。


読書感想文と言語化能力

言語化能力についてずーっと考えてたら、学生時代におれが読書感想文が死ぬほど嫌いで苦手で苦痛で逃避できるならば逃避したかった、ということを思い出した。

本は大好きで、いまのおれを形作ってるのは7割くらいは本って言ってもいいくらい本が好きなんだけど、でも読書感想文は書けなかった。マジで苦しかった。こんな課題出すんじゃねえよクソッタレって毎回思ってた。

あの、こころに何かデカイ物体が直撃したみたいな揺さぶられ感は、読書体験でしか得られない所もあって。おれは確実に、その体験に情緒や想像力を育ててもらったし、1人の人間として地に足つけて生きる為の思考能力も養ってもらった。

でも、そうやって得られたものをうまく言語化できない。論理的に段階を踏んで、人に伝えることが難しい。というか、その方法がわからない。

だから読書感想文が大の苦手だったのだと、今頃気付いたのだ(いや本当に遅すぎる)。


余談だが。

日本の国語教育(いや義務教育全般)に対して、おれは色々思うことあるし言いたいこともあるから、読書感想文とか語り出したら1記事どころか3記事くらい書けてしまう。ので、ここでは「読書感想文システムはシステムとしてまじで酷い」みたいな文句は、これ以上は言わないけれども。

ま、例によって例の如く、言語化するのには時間かかるから、そもそも今はまだ言えないんだけどな。