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街中の亡霊[散文]

「あのね、きょうもね、たくさんのくろいかげを見たよ」

あのこは、そう言って話し始めた。
「黒い影?」
「うん、まっくろだから、おめめもおはなもくちびるも見えないんだよ」
「……のっぺらぼうってことかなあ?」
「のっぺらぼうってなあに?」
「目と鼻と口がなくて、顔が平たいおばけのことだよ。体はみんなと変わらないから、後ろから見たらただの人間にしか見えないおばけ」
「……ちょっとちがうかも。だってそのかげはぜーんぶがまっくろなんだよ。かおだけじゃなくて、からだもだよ。そこまでにんげんっぽく見えなかったよ! でもほんとは、おかおもあるはずなんだよ。だって、かたちはぼくたちとおなじだったもん。きっと、まっくろだから見えなくなっちゃってるだけなんだ……。だから、くろいかげ、ってぼくはよんでるの」

「そっかあ。その影はなにをしてるの?」
「ただあるいてるだけだよ。」
「歩いてるだけ?」
「うん!みーんなむこうがわからあるいてきててね、あっちのほうにいくんだよ」
「皆同じ方向に歩いていくの?踊ったりジャンプしたり走ったりとかしないの?」
「そんなことしないよ!ただあるいてるの。むこうからあっちっかわにいくんだよ。それだけやってるの」
「う〜ん、そっか。その影たちとおはなししてみた?」
「はなしかけてみたけどね、こっちむいてくれなかったよ。そのときはちょっとかなしかったけど、しょうがないよ……」
「どうして仕方ないって思ったの?」
「だっておみみもおくちもないんだもん。ぼくのこえがきこえてないんだよ。きこえてたとしてもね、おくちがないからこたえられないんだよ」
「ああ、確かにそうかもねえ。でもほんとうは、彼らだってお話したいのかも。だから口が見えるようになったら、いっぱいお喋りしてくれるようになるかもよ。……ね、それまではさ、頑張って話しかけてみたら?返事がなくてもさ」
「……うん、それならぼく、もうすこしがんばってみるね」

世界がしんと静まり返った深夜に、あのことそんな対話をしたな、そういえば。
太陽に痛いほど照らされている街中を歩きながら、ふと思い出していた。いつのまにか大通りに出ていて、歩道橋が目に入った。なんとはなしに階段を上って通路の真ん中で立ち止まる。見下ろすとたくさんの車と人が行き交うのが目に映る。

あ、わかった。あのこが言っていたのは、この光景なんだ。みんな同じ見た目で、無表情かつ足早に歩き去っていく。誰も彼もお互いを気に留めない。話し声は無くて、ただ車と信号機の音と人波のかすかなさざめきだけが響く街。
誰もが発声できない、目は見られない。当然、触れ合うこともない。陽光が炙り出してしまった違和感を覆い隠すように、黒に染まっていく人影たち。きっと、誰とも交じり合えない。
じっと眺めていると、自分自身も「くろいかげ」になってやがて溶け消えてしまう気がした。なんだか恐ろしくなって、さっと歩き出す。
歩道橋は降りてしまおう。細い路地裏で、ビルを盾にして日差しから逃れたい。

……大丈夫、わたしは確かにここに存在し、言葉を持ってる。思考はこの胸の内にある。まだ、消えてなんかいない。見えない「何か」に押しつぶされてたまるか。
ああ、生きている。わたしは、人、なんだ。


2020/9/29 プチ改稿