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「軽率に絶望する」性質。

最近気づいた。世間というか人間の社会体制にめっちゃくちゃ絶望して割と心の底から「溶け消えて己の存在を無くしてしまいたい」って思う時期が、周期的にやってきているのだ、と。

この周期的に絶望する感じを、己で勝手に「軽率に絶望する」と名付けたわけだが。この軽率な絶望の厄介なところは、絶望している時は真剣に絶望していて、その気持ちは打ち消したり無かったことになどできぬホンモノという点だ。


今だから笑って話せるけど、ある時期に日常生活を送るのに支障をきたすレベルで、深く絶望したことがあった。
その時はもうほんとに何を見ても何を読んでも何を考えても、思考がダークサイドに落ちていくから、まっっっったく光が見えなかった。希望が見えなかった。(注:今は立ち直ってます!)
で、その時期から約1年後くらいにまあまあ同程度に絶望したときに気付いたのである。

「……あ、これ割と周期的に来てんな」って。

そこからは、月単位とか曜日単位とかで細かく堕ちて浮上してを繰り返している。

堕ちているときは真剣に堕ちているので、その時の昏さは紛れもなく本物だ。本当に消えたいと思ってるし、生きるのがしんどいって思っている、その時点では。すなわち、大袈裟に表現していたり、周囲に構ってもらうために起こしたりするものではない。

むしろ、どうも深刻なことほど周囲の人間には言えないようで、誰かに向かって「死にたい」とか「消えたい」とかは口が裂けても言えない。声に出せない。よって、人様にはあんまり心配をかけてない(一応、日常生活は真っ当に営んでいる)。


で、人の暖かさとか柔らかさとか、生命の美しさみたいなものに、なんらかの形で触れた時に少しだけ浮上する。すなわち、微かで僅かで脆い、けど大切な光が見えてくる状態になる。それでやっと、もう少しだけ頑張ってみようと思えるわけだ。


でも、こうやって感情に振り回されるのは、あんまりよくないと自覚はしている。己の精神も時間≒人生もゴリゴリ削られるし、一歩間違うと生活出来なくなるからだ。


……メンタルコーチが必要か。何か論理的で継続性のある方法を見つけなければ。もちろん自分に合うものを。さっきゅうに。