見出し画像

僕のギター

エレキギターを未だに弾いている

エレキギターが趣味なんです。もう30代半ばで、バンドやってた仲間もとっくに仕事や子育てに追われているのだろうか、楽器を触らなくなっている中、未だに弾いている。

社会人になってしばらくは、メン募サイトでバンドに潜り込んだり、なんやかんや人前で弾く機会に恵まれていたが、今はそんなあてもなく、休みの日などに弾いている。

なまじ給料などを得ているので、機材が充実しつつある。最近は、ベースを買ってしまったり、ピックアップを替えたりしてしまったりもした。

なぜ弾くのか

これは自分でも不思議に思い、理由を考えてみたことがある。憧れのフェンダーテレキャスターをローンで買ってしまったことや、(今更)エレキギターの見た目のカッコ良さに魅了されたことも一因ではある。

しかし、最大の理由はそれぐらいしかやる事ないからではないかと思う。

そして寂しいので仕方なくギターを抱っこしているのだと思う。哀れ。

いやいや、それにしても

しかし、そういったことのみが理由なら、別にギター以外のことで時間をつぶしたっていいのではないだろうか。動画見たりする方が手軽だし、楽しいだろう。

やっぱ好きなんすね〜

つまるところ、やっぱりエレキギター弾くのがどうも楽しいんだろう。誰かに聴かせる訳じゃないけど、例えば好きな曲を耳コピしたり、音楽を流して、そこにアドリブを乗せたりするのが楽しいんだと思う。(アドリブって言うと聞こえが良すぎるが、ペンタで適当にタラタラ弾いてるだけですが…)

義務感にならないように

気をつけている事としては、ギターを弾くことをあまり義務感のように思わないことがある。誰に命令されているわけでもないので、やりたい時にやる。ノルマちっくに捉えてしまうと、心の重荷になるし、本末転倒である。

人は、達成できなかった事ほど、強く記憶に残るらしい。確かに、仕事のときに達成できなかったタスクを翌日に送るとき、ちょっと重荷になって苦痛だったりする。心理学の言葉では「ツァイガルニク効果」というらしい。

エレキギターで、そういう気持ちにはなりたくないと思う。

再度考える、なぜ弾くのか

ブラッドサースティブッチャーズという日本のバンドがいる。前から聴いてはいたけど、先日、あの不思議なギターの音に着目して改めてよく聴いてみた。

ゴー、というノイズの海にキレイなアルペジオがゆらめく、なんとも不思議な音だった。バンド名がいかつい割に、センチメンタルな気分にさせられる。

シューゲイザーとも違うし、パンクにしても音像がおぼろげだし、真似もできない。オリジナルのひとつなんだと思う。

残念ながら、そのギターを弾いていた人は、何年も前に亡くなっている。死後、彼に縁のあるミュージシャンの対談のなかで「どうやって自分の心の中の風景を音で表現すれば良いのか、それだけを突き詰めていた人」と評されており、何となく、自分がギターを弾くときも、もしかしたら似たような気持ちが少しはあったのかもしれないな、と腑に落ちる部分があった。

寂しくて、心の風景を描く

そんなわけで、文章にしているうちに、何となくギターを弾く理由が見えてきたような気になってきた。義務感っぽくなりたくないのも、こういった思想が背景にあるからかも知れない。

ギターを弾かなくなるとき

気持ちをギターに込める、簡単ではないのは承知しているが、これからはそういった気持ちを再確認してギターを弾けたら良いなと思う。

自分の思いのやり場について、別の方法を見つけたり、そもそもそうする必要がなくなったり(リア充になったり)した時は、ギターを弾く機会は減るだろうし、それで全く問題ないだろうと思う。

https://www.youtube.com/watch?v=RpZTriALinU&feature=share

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?