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それでも俺は音楽を聴き続ける

「君はどうして音楽を聴くの?」
音楽を好きな人間は世の中に大勢いるけれど、この質問にすぐに答えられる人間はどれぐらいいるだろうか?
残業終わりに先輩とラーメンを啜りながら趣味の話なんかをしていた時に、俺が「やっぱり音楽はいいっすよ〜!」なんて言っていたらそう尋ねられたのだ。「音楽を聴くのに理由なんかないだろ、野暮な質問だな」と思ったりもしたが、その時の俺も上手く答えられず「音楽には映画なんかとは違った人間の根源的な情熱があるんですよ!こう胸が熱くなるような!」とかなんとか理屈っぽいことをペラペラと話していたけれど、先輩もなるほどねぇという感じで聞き流していたし、何より自分自身がその答えにあまり納得していなかった。その場はそのまま解散になったけれどその後も「なぜ音楽を聴くのか」という問いは俺の中に残り続けていて、これは自分なりに答えを見つけなければならないなと思いながら社会人生活を送っていた。

なぜ音楽を聴くのか、そもそもいつから音楽を聴くようになったのか。今でこそ音楽がないと生きていけませんよというような顔をして毎日会社までの道を歩いているけれど、元々は音楽に限らず文化的な習慣がほとんどない家庭で育っている。よく親の車で流れていた曲が今でも好きで〜というような話を耳にすることがあるけれど、親の影響で好きになった曲や映画、何かしらの趣味など皆無である。
中学生の頃は流行りの曲をウォークマンに入れて持ち歩いたりもしていたけれど、GReeeeNやFUNKY MONKEY BABYSみたいなとにかく前向きで明るいJ-POPばかりで、リーガルリリーやPK shampooなんかを好んで聴いている今の自分にはそれらを聴いていたことを人に言うのも恥ずかしいぐらいである。だけど同世代の男というのはほとんどの場合、なぜか中学生ぐらいで一度湘南乃風やファンモンを聴きまくる時期が発生するのである。同世代の男が何も示し合わせなくてもカラオケで三代目 J Soul BrothersのR.Y.U.S.E.I.を踊れるのと同じことであり、一度はポケットモンスターダイヤモンドパールを遊んだのと同じぐらいの必然だ。

高校生になってからは勉強と部活で毎日忙しかったから音楽を聴く必要がなかったんだろうなと今になって思う。
学生時代に音楽を聴いていたエピソードといえば教室の隅でひっそりとみたいなイメージもあるけれど、俺の高校生活は真逆でとにかく目立つ生徒だった。田舎の自称進学校(笑)だったとはいえ成績は学年でトップクラスだったし、陽キャラのイメージを持たれがちなサッカー部に所属していて「なんでもできるやつ」という地位を完全に確立していた。
音楽はそこそこ聴いていたけれど語れる程も聴いていなかった。確かこの頃はRADWIMPSやKANA-BOONにハマっていたかな?今では考えられないけどワーキャーな音楽が好きだったのだ。何もない田舎で文化を洗練させるのは難しいと思う。

3年間部活に勉強にと必死に頑張って第一志望の大学に無事合格した。ここまでは華々しい人生のように思えるが、地元を離れ一人暮らしをはじめた希望いっぱいの少年こと俺は大学生活で深い落とし穴にハマることになる。地獄の大学生活編の始まりだ。
だけどこれは決して珍しい話ではない。地元では「できるやつ」だった人間がそのままランクの高い大学に行くとどうなるか。当然同じレベルの人間しかいない環境で突然「できるやつ」ではなくなった上に、高校時代を勉強と部活にしか費やしてこなかったせいで遊びも文化もなにも知らない世間知らずの凡人のできあがりである。
ことわざ辞典の「井の中の蛙大海を知らず」の例文として載せて欲しいぐらいの井の中の蛙っぷりだ。大海に出ていった蛙に待ち受けるのは残酷な現実だけである。アイデンティティの消失というのは1人の少年の心を折るには十分すぎる威力だった。

高校時代から2年以上付き合っていた彼女にも振られ、大学にもサークルにも馴染めなかった俺は日が昇り始めてから寝て日が沈む頃に起きるような生活を続けるようになった。バイトも長続きしなかったため金もなく、親しい友人もいないのに時間だけは膨大にある最悪な日々。漫画に出てくるような見事な落ちこぼれっぷりである。楽しそうな地元の同級生たちを見るのが嫌で連絡先を全部消した。一日中布団から起き上がれないこともあるような日々で地元で培った自己肯定感はとっくに底を尽き、希死念慮すら抱いていた俺が唯一楽しめたのはインターネットだけだった。大学にも最低限は行っていたけど本当に楽しくなかった。
その代わりに毎日毎日何十時間もスマホを触る日々の中できちんと音楽を聴くようになった。一日中Twitterを眺めていたら知らない誰かのツイートからPK shampooの「星」やCody・Lee(李)の「I'm sweet on you」を知ってハマった。
知らない誰かありがとう!
Twitterを通じて仲良くなった友達からリーガルリリーや羊文学やきのこ帝国の存在を教えてもらい、まだ流行っていなかったKing Gnuの読み方を教えてもらった。よくある表現だけど、音楽を聴いているとそれまで灰色一色だった世界にちょっとずつ色がついたようなそんな感じがした。

昔のように明るいJ-POPは聴けなくなったけれど、地元に友達もいないけれど、貴重な5年間をつぎ込んだ大学生活では何も得られなかったけれど、俺の希死念慮を優しく抱いてくれる音楽たちに出逢えた。そんな音楽を教えてくれた友達にも。六畳一間の布団の中の豊穣である。

留年しほぼニート状態で苦しい就職活動を終えてなんとか社会人になった俺は今では毎日欠かさず何かしらの音楽を聴いている。落ち込んだ日はPK shampooを聴きながら膝を抱えているし、辛すぎる朝はリーガルリリーの歌に背中を押してもらい、気分が良い日にはCody・Lee(李)の音楽に酔っている。お金に余裕が出来たからライブにも行けるようになった。そうして長い長い過去の自分語りの末にようやく冒頭の問いに戻ってくるわけだ。

「君はどうして音楽を聴くの?」

2022年7月4日の月曜日にドミコとTENDOUJIのライブを見に行った時にTENDOUJIのボーカルのモリタナオヒコが言った。

月曜日からこんなところに来るなんてみなさん気持ち悪い人達ですね。でも音楽っていうのはみなさんみたいな気持ち悪い人達に支えられているから。まだまだこんなもんじゃねえとかあいつら見返してやるとかそういったことを思っている気持ち悪い人達がやるものだから。そんな気持ち悪いみなさんが大好きです。

その時会場にいた観客は俺も含めて全員が満面の笑顔だった。男も女も、スーツを着た社会人も酔っ払ったおっさんもみんな、まるでテストで100点をとって褒められた時の子供のようにニヤニヤしていた。気持ち悪いって言われたのにね。そして俺はこの時になんとなく音楽を聴く意味が分かったような気がした。

確かに俺みたいな人間はどうしようもなく気持ち悪い。いつまで経っても学生の頃の話をしているし、全然恵まれているのに不幸ぶって死にたいとか言って、自分も散々人を傷つけてきたくせに被害者ヅラばっかりしているし。音楽が好きとか言いつつ周りのヤツらとは違っていたくて流行りの曲は聴かないし、全部諦めたような顔してるくせにやっぱりまだまだこんなもんじゃないって心のどこかでは思っちゃってるし。

本当に笑えるぐらい気持ち悪い。

高校生の俺が今の自分を見たらどう思うだろうか。情けないと怒るだろうか、あんなに努力したのにと嘆くだろうか。考えたってしょうがないけれど、しょうがないことを考えてすぐにくよくよしてしまう俺はTENDOUJIの「COCO」を聴いて前を向くんだ。

I don’t wanna like a sixteen heart oh
What I’m talking? Don’t know how.
I don’t wanna be a sixteen heart also.
Swinging like a blue.

あの時ああしていれば…なんて考え出したらキリがないことを考えてしまうのが人間ってものだけど「16歳に戻りたいなんて思わない」と今の俺なら声を大にして言えるよ。

なんのために音楽を聴くのか今なら答えられる。音楽は俺にとっての"救い"なのだ。
ドラマにはならない程度の日常の些細なつまづきを歌ってくれる音楽を聴くことで前を向けるし、同じように音楽を聴く人たちがいることで1人じゃないと安心出来る。力強い音楽はありきたりでつまらない日常をちょっとだけ明るくしてくれる。
今なら最悪だった過去も含めて最高の音楽に出逢えたことに感謝しているし、音楽が背中を押してくれるからちょっとは気持ち悪い自分も愛せるよ。

世の中には音楽の力がなくてもガンガン前を向ける人たちもいるし、流行りの音楽しか聴かない人達は俺にとっては大きな悩みでも「その程度」といって軽々と飛び越えていったりもする。俺は今の俺を愛するよ!なんてでかいことを言っておきながら他人と比べたりして憂鬱になる日だってたくさんある。

大学生の時バイト先で声をかけてくれた女の子がいた。彼女はとても可愛くて、俺とは違って明るくて、そして音楽を聴かない子だった。自己肯定感が地を這っていた当時の俺にとって自分のことを好きと言ってくれる子なんて他にはいないんじゃないかと思えた。「音楽?聴くよ!BTS!」なんて言う子でも関係ないと思った。
彼女は「君は芸能人の誰よりもかっこいいよ」と言ってくれたけれど、好きな音楽を一緒に聴いてはくれなかった。
インターネット依存性だったせいでスマホを片時も離せなかった俺を見て彼女は浮気を疑った。友達すらほとんどいなかった俺はそんな訳が無さすぎて思わず笑ってしまった。今思うと何もかも通じ合えてはいなかった。
「花束みたいな恋をした」という映画で有村架純と菅田将暉が夜に缶ビールを飲みながら散歩する時に2人できのこ帝国の「クロノスタシス」を歌うというきのこ帝国好きには死ぬほど羨ましいシーンがある。彼女が映画を見たと言っていたから自分も1人で映画を見たあとそのシーンが良かったという感想をLINEで送ったら、「君が恋愛映画を1人で見に行くわけが無い、一体誰と行ったの?」と返ってきた。人間は悲しい時には笑うということを知った。
もちろん音楽の趣味が全てではないことはわかっている。でも彼女がもしもきのこ帝国を好きだったらまた違ったかもしれないと思わずにはいられない。缶ビールを買って2人で同じ歌を歌いたかった。最後に「一緒に好きな音楽を聴きたかった」と伝えた時に泣き崩れる彼女の姿を俺はきっと一生忘れることはできないと思う。芸能人よりかっこいいなんて思って貰えなくてもよかったんだ。
こんな自分を好きになってくれて、少しの間だけでも一緒にいてくれて本当にありがとう。幸せになってほしい。

今周りにいる気が合う友達とはやっぱりどこか音楽の趣味が似ているし、音楽の趣味が合わない人やそもそも音楽を聴かない人とは話が合わないなと思うことがたくさんある。
恋人が出来たら同じ音楽を同じ気持ちで聴きたいと思っているけれど、"気持ち悪い側"の自分と同じような音楽の趣味の恋人なんて探していたら一生独りになってしまうかもしれない。前の出来事がトラウマになってるのかもね。
そんなことをウダウダ言っていても結局いつかは独りが寂しくなってまた音楽なんか聴かない子の隣で1人でイヤホンをしているかもしれないし、そんな自分を誰かが気持ち悪いと言うかもしれない。それでも…

それでも俺は音楽を聴き続けるんだ。

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