『ダークナイト ライジング』~“インセプション”された『バットマン』~

ダークナイト3部作の最後を飾るにあたり
クリストファー・ノーランは、とんでもないことを思いついた。
エディット・ピアフの曲をモチーフに使う前作『インセプション』に
マリオン・コティヤールをキャスティングしたところ
彼女がピアフ役を演じるという偶然が起きたことが
ヒントだったのかもしれない。

ノーランが思いついたこととは
「バットマン」という作品に“インセプション”を施すことである。
他人の夢に入り込んで
こちらの意にかなった考えを植え付ける“インセプション”。
世界的なアメコミ「バットマン」に入り込んで
自分の作品にしてしまおう、というわけである。

原作ものなのだから
『インセプション』でやったように
登場人物の名前で遊ぶのは無理である。
そもそも、そんなあからさまなことをするのは、ノーランの流儀ではない。

彼が用いたのは
コミックのキャラクターの実写映画は、現実の俳優が演じるのだから
『インセプション』と同じ俳優を使い
『インセプション』と「バットマン」のプロットとストーリーを
重ね合わせるというものだった。

地の底(奈落、Pit)から脱出したバットマンは
信頼していたミランダに背後からナイフで刺される。
『インセプション』で、アリアドネを真正面から刺そうとして
夫に阻まれ、果たせなかった行為である。
目の前のベインが
師匠であるラーズ・アル・グールの息子だとバットマンは思い込んでいたが
実はミランダこそが、ラーズの娘だったのだ。

ベインを演じるのは、トム・ハーディで
『インセプション』では「変装のプロ」の役回り。
意識の底(虚無、Limbo)にいる『インセプション』の妻・モルを
演じていたのは
マリオン・コティヤールだったのだから
地の底から脱け出した真実の敵とは
マリオン演じるミランダに決まっている!

ゴッサムシティに平和が戻ったというラストで
主人のブルース・ウェインに忠実なはずの執事・アルフレッドが
ブルースを見捨て“戦線離脱”してしまうという不自然なプロットも
ノーランにインセプションされたからだと明らかになる。

イタリアのカフェで
女性とくつろぐブルースを見つけたアルフレッドを演じているのは
おなじみマイケル・ケイン。
彼は、『インセプション』で主人公の義父役で
自らは戦いの最前線に行くことなく
帰還した主人公を祝福する役回りであった。
だから、アルフレッドがブルースのもとから去ってしまうことが
どんなに不自然な展開であろうが
ノーランがインセプションしたこのお話で
アルフレッドはブルースとともに戦うことはないわけだ。

『インセプション』の主人公ドムが
子供たちの顔(=愛情の対象)を、夢の世界では決して見なかったように
アルフレッドも
ブルースのお相手のセリーナの顔の正面を見ることはない。
まさか、これは、物語の冒頭でアルフレッドが語っていた
彼がブルースに送ってほしかった単なる希望としての夢だろうか?

『インセプション』のラスト
止まるのか回り続けるのか分からないコマは
「“他人の夢”の中にいるのかどうか」を判別するための
妻モルのギミックで
主人公が夢の中でさえ子供の顔を見られないという闇が払われ
義父といる子供たちに駆け寄っていった行動をしたのだから
それがたとえ自分の夢の中だとしても安寧が訪れたのであり
そんなわけで、コマが止まろうが回り続けようがどうでもよく
ただコマをテーブルの上に置いて、子供たちのもとに行けばいいのに
それをわざわざ回して、謎めいた締め方をするのが、映画の作法。
ブルースの墓の前であんなに悲しんでいたアルフレッドの姿も
“演技”だったのだろうか?

エディット・ピアフとマリオン・コティヤールが重なった
『インセプション』に引き続き
クリストファー・ノーランは
この作品でも、シンクロニシティを生みだした。
公開前、アメリカの超保守派ラジオパーソナリティから
ケチをつけられたそうで
悪役ベイン(Bane)という名前が
映画公開4か月後に控えた大統領選挙の候補者の
共和党のロムニーがCEOを務めていた
ベイン(Bain)・アンド・カンパニーを踏まえており
民主党の陰謀だ、と。
そのパーソナリティの名前は、ラッシュ・リンボー(Limbaugh)。
『インセプション』の虚無(Limbo)である。

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