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学習が遅くてよかったな

「ふわふわタイムだな」

部活で先輩から言われた。すべての動きが遅かったらしい。走るのが遅い、とかよりもむしろ行動と行動の間がスロー。

スローに生きている心当たりはある。小学校に入学してひらがなの「あ」が書けなかったのを覚えてるし、数字も数えられなかった。人の絵を何回書こうとしても牛のような格好になった。

失敗を経験しないことが怖かった。どこからが失敗になるかが気になる。やじろべえの端に載せても崩れない、絶妙な重さを探していた。

失敗が先行する。子どもにとって失敗は苦い、恥ずかしい。失敗した自分を見たくなくて途中で放り投げたことは数え切れない。


入院がすべてを変えた

小学生のとき、盲腸をこじらせて腸閉塞になり、大々的な手術を受けた。1ヶ月の間、点滴と流動食だけで過ごし、体重は半分減。

退院すると、通っていたサッカークラブでは「マイナスのクロス」とか、聞いたことのない言葉が使われていた。

「無理するなよ」と気を使ってくれた親の友達だったコーチ。
「おれは無理して迷惑をかけてはいけないんだ」とやりたいことを抑えるように。

これが負け癖の始まり。

失敗すること自体がなくなった。挑戦が消えた。

二度目の転機は高校受験

大手の進学塾に入った。合宿でシュプレヒコールと称して「絶対に合格するぞー!」って叫ぶところで分かる人はいるかもしれない。

入塾テストと直前に受けた中間テストが奇跡的に同じ内容で、一番上のクラスに入った。授業の進み方は学校よりもはるかにはやく、ついていくので精一杯だった。

でも変わった先生が多くて、面白い授業が多かった。

とにかく問題を解いた。先生からの要求も高い。
「定期テストは100点が当たり前」
失敗と成功が否応なしに突きつけられる日々が続いた。

失敗がまた少し身近になった。

先生の怠慢だとおもうことは何度もあった

高校入学。先生の個性は、塾の先生をソーメンのつゆくらい濃縮されていた。チャイムの後に来てチャイムより前に去る。遅刻する電車に乗ったら、一限目の先生が隣にいたこともある。

その後、チャイム前に教室にいる大学教授を見て「めちゃめちゃ偉いな」と関心することに。

「じゃあ僕は帰るから観終わったら適当に帰ってね」

そういって、授業で映画を観させられることもしばしばあった。

試験の解説をする先生は少なかったと思う。通信簿というものも存在せず、学期末にもらう1cm×15cmくらいの紙には成績が羅列されてあるだけだった(この紙を生徒の数だけ用意するほうが大変だと思うけど…)。

先生からのフィードバックが少ない分、レポート課題が多くあった。持ってる材料から自分の意見を出さなければいけない。答え方に正解はない。

間違っててもいいから自分の意見をまず出してみる。習慣がついた。

「君って学習速度、遅いでしょ?」

留学選考の面接で、留学担当の先生は申請書を眺めながらそう言った。

「そうなんですよねー、いつも失敗しないと前に進めないタイプで」と答えたのを覚えている。あとから聞くと圧迫面接で有名だったらしい(※1)

「活躍できるようになるのに時間かかるタイプだよね」

これは就活イベントの人からご飯に連れてってもらったときに言われた言葉。

どうやら僕は学習速度が遅いみたいだ

少なくとも遅いと見られがちのようだ。原因を考えてみる。

何でもやりたくなる性格は大きな原因だろう。「何でも」というより「王道から外れたもの」のほうが正確かもしれない。こんな文を「反骨心」とかの言葉と並べると、ちょっとした中二病にかかっていることがわかる。

「知の高速道路」という表現がある。つまり、先人が残してくれた知恵を使えば、自力だけではできないこともできるようになる、ということだ。僕は下道をジョギングするし、横道にそれる。気分によっては逆走もする。

高速道路が見えていないわけではない。一応、見ようとはしているし見えてると思う。むしろ、高速道路の安心感があるからこそ、まずは自分の足で走ってみようと思うことができる。高速道路は困ったときに使えばいい。
その結果、やっぱり高速道路便利だなと思うことは何回もある。それはそれでいい。

もうひとつ学習が遅い原因がある。それは衝動的に行動することだ。自分の感覚で行動するので、行動に一貫性が無いことは多々ある。フランス留学を親に報告したのは、渡航が決まってからだった。博士課程を決めたときの内定辞退も、連絡のとり方がへたくそで色んな人に迷惑をかけた。

そのくせ実際に博士課程を始めるまでに1年間かかった。

とても効率的な選択とはいえない。少なくとも効率的という言葉はピンとこない。

「賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ」

僕は典型的な愚者だ。歴史から学べていたらどんな選択をしていたのだろうと想像することもある(むずかしい)。

この言葉を知ってから、守りに入ることが多くなった。経験に学び、自分のやり方を試してみて、新たな経験を得たほうが良いこともあるのに。

「経験に学ぶのは愚者だから、このやり方はやめなければいけない」

挑戦しないための立派な理由が一つできた。そして何もしなくなる。

かつての自分に

知の高速道路に乗っても、下道を使わなければ目的地にはたどり着くことはない。

歴史からロジカルに効率化できたとしても最後に進む道は自分で決めなければいけない(※2)。そんなことを繰り返していると歴史と経験の境目があいまいになってくる。

正解がわからないことだらけ。自分が歩いた道が歴史になるようにすればいい。

まず一歩を踏み出すことが大切で、臆せず失敗に踏み出せる自分にまた戻りたい。

はじめたばかりの博士課程は僕にあってるようだ。失敗をよしとする空気をそこはかとなく感じる。このタイミングだからこそ、いろんなことをしっかり失敗していきたい。今の歩みは相変わらずゆっくりだ。終わるころには歴史と経験の間をスムーズに行き来するようになってるだろうか。

今度「遅い」と言われたら、自分に言ってあげたい。

「遅くてよかったな」





(※1)留学はスキルよりもメンタルが重要だからという考え方は同意。それならなおさら留学中のサポートをしやすい準備を面接中からしてもいいのではと思う。実際留学で参ってしまう学生も何人かいた。
(※2)もちろん東名高速を全力疾走したら下道に降りたころにはズタボロになって道を決める余力もないだろうから、高速道路はそれはそれでしっかり利用する。

このポストはぼくのMediumから転載したものです。

ありがとうございます。