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PULP FICTION “くだらない話”の話をしよう

皆様いかがお過ごしでしょうか。
どうも、チョム林です。

JO-HOUSEモカさんの発案で始まった「石引 OUR FAVORITE CINEMA」
金沢にあるミニシアター、シネモンド発行の「月刊シネマガイド」にQRコードをつけて石引・小立野エリアのお店でリレーしていく形の映画コラムなのですが、今月は私にリレーのバトンが回ってきました。


で、なんの映画について書こうかなあと思っていたのですが、(タイトルでお気づきでしょうけれども)やっぱり、クエンティン・タランティーノ作品だろう!ということで、ド直球なパルプ・フィクションですね。(もうかれこれ10回は見ました。)

↑クエンティン・タランティーノ


知らない方のために、ざっくり作品の概要を説明しておきますと、タランティーノ監督の長編2作目。1994年のアカデミー賞では7部門にノミネートされ、脚本賞を受賞。カンヌ国際映画祭ではパルム・ドールを受賞し、他にも多くの賞を獲得したタランティーノ監督、初期の代表作であります。
(ちなみに、タランティーノ監督はビデオ屋の店員から映画監督になったという稀有なキャリアの持ち主です)

とはいえ方方で言及され尽くした感のあるパルプ・フィクションについて改めて何を書こうかなあ、と。

既に観ている人も多いだろうし、改めてあらすじやら何やらを解説していくのも野暮な感じがするので、

「これを読めば貴方もゲラゲラ笑える、少し怖いタランティーノ流ダブルトリプルミーニング!スラング満載な会話が後々伏線となって回収されるカタルシスを体感せよ! -パルプ・フィクション編-」

と題して、作中のワンシーンから会話を抜き出しつつ(主にエロ)ウィットとユーモアとエスプリ(ヲタクとも言う)に富んだタランティーノ流会話術を紐解いてみたいと思います。


今回抽出するシーンは映画本編が始まって11分くらい。

ヴィンセント(ジョン・トラボルタ)とジュールス(サミュエル・L・ジャクソン)がマーセラスという二人の親分であるギャングのボスを裏切った青年グループの部屋を訪ねるシーンです。

アントワンという人物が二人のボスであるマーセラスの愛妻ミア(ユマ・サーマン)の足をマッサージしたがために、マーセラスから半殺しの目にあった、ことについて議論しながら青年グループの部屋に押し込みをかけるシーンです。

ここでの会話がとても面白いので、英文と和訳(チョム林超訳)を併記して追いかけていきたいと思います。

VINCENT : Well, Antwan probably didn’t expect Marsellus to react the way he did, but he had to expect a reaction.
(ヴィンセント「まあ、マーセラスの反応はアントワンにとっては想定外だっただろうが、そこは推して図るべきだったな」)

JULES : It was a foot massage. A foot massage is nothing. I give my mother a foot massage.
(ジュールス「ただの足のマッサージだ。足のマッサージなんてどうってことねえよ。俺だって母さんによくマッサージしてやってる。」)

VINCENT : It’s laying your hands in a familiar way on Marsellus’s new wife. I mean, is it as bad as eating her pussy out? No, but it’s the same fuckin’ ballpark.
(ヴィンセント「マーセラスの新婚の奥さんに馴れ馴れしく手を触れるんだぜ。そりゃあ、彼女のあそこをペロペロするほど悪いかっていうと? そこまでじゃないが、同じカテゴリだぜ」)

JULES : Whoa, whoa, whoa, whoa. Stop right there. Eating the bitch out and giving the bitch a foot massage ain’t even the same fucking thing.
(ジュールス「オイオイオイオイ、それぐらいにしとくんだな。女にク○ニするのと、足のマッサージすることは違う」)

VINCENT : It’s not. It’s the same ballpark.
(ヴィンセント「違うけども、だ。同じフィールドではある。」)

JULES : Ain’t no fuckin’ ballpark neither. Now, look, maybe your method of massage differs from mine. But, you know, touching his wife’s feet and sticking your tongue in the holiest of holies ain’t the same fuckin’ ballpark; it ain’t the same league; it ain’t the same fuckin’ sport. Foot massages don’t mean shit.
(ジュールス「いや、フィールドも全然違う。いいか、お前のマッサージのやり方は俺のやり方と違うんだろう。だがな、断じて人妻の足に触るのと、デリケートなアソコに舌を突っ込むのとが、同じフィールドなんてことはない。同じリーグでもない。同じスポーツでさえない。足のマッサージがなんだってんだ」)

VINCENT : Have you ever given a foot massage?
(ヴィンセント「お前は足のマッサージやったことあるのか?」)

JULES : Don’t be telling me about foot massages. I’m the foot fuckin’ master.
ジュールス「足のマッサージについてお前にとやかく言われたくねえよ。俺の足マッサージは達人クラスだぜ」

VINCENT : You given a lot of them?
ヴィンセント「相当な数こなしてきたのか?」

JULES : Shit, yeah! Got my technique down and everything. I don’t be tickling or nothing.
ジュールス「もちろんだ! テクニックも何もかも手慣れたものさ。くすぐったいとも何とも感じさせねえ」

と、ここまでなんですが(観ていない方は是非本編で)文中であえてballparkという単語を太字にしました。

本来の意味は、
ballpark = 野球場、フィールド
という全くそのままの意味なんですが、熟語になると
be in the same ballpark=「同じカテゴリ内」とか「同じ部類」とか「同じ範囲内」
という意味になるんですね。

んで、映画本編の字幕でもそのように訳されていたように記憶しているのですが、もうね字幕にした時点でおかしみが漸減してしまってるんですよね。

皆さん、一度「ballpark」とつぶやいてみてください。

勘のいい方はもう気づいてしまったことでしょう。(ここからエロ注意)

ジュールスの発言にfuckinが多用されていることからもおわかりかと思いますが、

ballpark≠同じカテゴリ
ballpark=キャン玉広場

なんですね。笑


会話の中に出てくるballparkを全部脳内で「キャン玉広場」に超訳してみるとあら不思議。
メチャクチャに笑けてくるのは僕だけでしょうか。まあ、ボールが2つの野球場なんですけどね笑

んでもって、このシーンでのジュールス最後のセリフ、
Got my technique down and everything. I don’t be tickling or nothing.

ここで使われている
get something down
は、
「〜について熟練している」「〜について堪能である」
という意味になります。

なんですが、somethingを抜くと、get down
つまり、ダンスするというスラングになります。

このシーン冒頭に流れるクール&ザ・ギャングの「ジャングル・ブギー」を受け止めつつ、後のアル・グリーンのレッツ・ステイ・トゥゲザーのヴィンセントとミアのダンスシーンに繋がる計算され尽くした美しい台詞回しとシークエンスですね。

んでもって、このあとのヴィンセントは、ボスであるマーセラスから彼の愛妻ミアの世話を頼まれて、彼女の望むままに食事へ赴き(ここで、アル・グリーンのレッツ・ステイ・トゥゲザーが流れます!)ステージに上った後、ボス宅へ戻り、再び一緒にダンスをして甘い時間を過ごします。
ところが、ミアがヴィンセントのコートからこぼれたパケのヘロインをコカインと思い込んで、調子に乗ってガッツリ鼻から吸引してしまい、オーバードーズに陥ります。(そんな一気にいったら当たり前や!)

慌てたヴィンセントは、ミアを車に乗せて知り合いの売人の所へ行き、てんやわんやの末、ミアにワンショットきっついヤツを打った結果、事なきを得るのですが。。。。(駆け足で解説しました!ここも是非本編をご覧ください。)


自邸に戻ってきたヴィンセントと、ミア。
先程までの二人に充満していた親しげな雰囲気はどこへやら。悪い夢でも観たというような感じで立ち去ろうとするヴィンセントに対して、ミアが名残惜しそうな感じで投げかけるジョークが泣けるのです。

“Three tomatoes are walking down the street…papa tomato, mama tomato and baby tomato. Baby tomato starts laggin’ (late) behind and papa tomato gets really angry, goes back and squishes ‘im and says…CATCH UP(ketchup)!!!!”

"3匹のトマトが道を歩いていました。パパ・トマト、ママ・トマト、そしてベイビー・トマト。ベイビートマトが遅れだしたので、パパトマトが猛烈に怒った。戻ってきて、そして僕をぐしゃぐしゃにしながら言ったんだ...キャッチアップ(ケチャップ)って!!!!"

一見、場を和ませるためにミアが放ったジョークのように思えますが、スラングで、
tomato=年頃の娘さん
っていう意味があるんですよね。
(ちなみに、オードリー・ヘップバーンの「ティファニーで朝食を」の中でも大衆紙のトップ記事にtomatoがどーたらみたいなシーンがあります。)
更には、
squishy=ぐしゃぐしゃに
という意味ですが、同時にセンチメンタルな、感傷的なという意味もあるんですね。
要は、ヴィンセントをベイビートマトに見立てて、ミア自身は精一杯去勢を張りつつ、センチメンタルな気分を醸して誘ってるんですね。


ヴィンセントもミアのジョークの裏側にある真意を汲んで、少し逡巡するのですが、結果的に踵を返して帰途につきます。

ここでのミアの表情がまた泣けるんですよね。
自分の知らない世界を垣間見せられた悲哀というかなんというか。
まさにタラちゃん的センチメンタルの極北!

ミアと別れたヴィンセントはといえば、先にあげたballpark≠同じフィールドハマりかけて片足を突っ込みながらも任務から開放され、ヘロインをキメつつ車を流して。

漢だねえ。
昔の任侠映画顔負けに、粋なシーンなのでございますよ。

ただ、そこはパルプ・フィクション!
これでもかとタランティーノ一流の映画ヲタスパイスを効かせた展開が待っています。

冗談とも本気ともつかないミアのジョークから出た真ではありませんが、その後のシーンでヴィンセントはブルース・ウィリス扮するブッチにケチャップにされてしまうんですね。(ここまで読んだからには、是非もう一度、初めての人は食い気味で観てください!)

取るに足らないような一つ一つの出来事の繋がりが可視化されたときに、生きるということは怖いことだなあと思うと同時に、ジュールスが暗唱する旧約聖書のエゼキエル書25章17節がしみじみと心に沁みてくるのでした。

というわけで、わかる人にはわかる(かもしれない)わからない人には全くわからないだろう、

「これを読めば貴方もゲラゲラ笑える、少し怖いタランティーノ流ダブルトリプルミーニング!スラング満載な会話が後々伏線となって回収されるカタルシスを体感せよ! -パルプ・フィクション編-」

をお送りしました。

長いお付き合い、最後までお読みいただきましてありがとうございました。

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