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有り難い、大切な人たち| 2023年の振り返り

気づけば2023年も最後となるので、この1年の振り返りをしておきたいと思う。
仕事のこと、そして自分の身の周りの人たちのこと。



夢中教室が広がりつつも、足りなさも痛感した1年

入会生徒数200人突破!伴走先生も50人以上に

この1年は100人近くの入会生徒が増え、累計の入会生徒数が200人を突破した1年だった。

この拡大を支えてくれたのは、日々子どもとご家庭さんに真っ直ぐ向きあってくれる伴走先生たちのおかげ。
その伴走先生も50人をこえ、去年の年末の倍ほどの人数になった。

どの先生も素晴らしい大人たちで、多くのご家庭さんたちに夢中教室が届けたいもののクオリティを下げることなく届けることができた。
本当に感謝しかない。

そのおかげもあって、国民的雑誌「ESSE」や、全国の教育委員会に届く教育専門誌「先端教育」、西日本新聞の1面に取材コメントを掲載していただくなど、少しずつ夢中教室がこの社会にも届き始めることもあった。


新しいプロジェクトも

また、1対1の夢中教室に加え、新たに取り組み始めたこともあった1年だった。

伴走先生たちとはリアルで集まり、学びキャンプを行うこともできた。

半年間企業留学に来てくれている2人のデザイナー・フロントエンジニアのおかげでInstagaramをはじめ、色んなコンテンツを作れるようになったり、
これまで出会った人の協力のおかげでWEBやブランドムービーのリニューアルに取り組むこともできた(来年の1月にオープンします!)。

「100人100通りの子育て応援」をコンセプトにしたPodcastもはじめて、子育てカテゴリーで最高5位になることもあったりした。

そして、福岡のNPO法人循環生活研究所から素敵なご縁から、福岡市の「子ども・若者活躍の場プロジェクト」に参画させてもらう機会をいただき、1年間講師をつとめさせていただいている。

ベネッセの「未来の学びプロジェクト」の300人委員会にも参画させていただき、ベネッセの社員さん向けの不登校の子ども・ご家庭への関わり方に関するワークショップも開かせていただいたりもした。

少しずつ活動が広がり、できることが増えてきた。
自分一人では大したこともできない中で、色んな人たちの協力のおかげで、より多くの子ども・保護者に必要な機会を届けていくことができる。

本当に心から感謝です。

伴走先生たちとの学びCAMP


しかしこれでは足りない

ただ、今年の不登校の小中学生は文科省調べで約30万人。
保健室登校など数字にはカウントされなくても今の学校に居場所を感じることができていない子の数はもっともっと多い。

不登校=不幸などでは決してない。

学校に毎日行っていても生きづらさを感じることもあれば、
学校に行っていなくても、活き活きと自分らしい学びに取り組んでいる子どもだっている。

しかし、それでも肌感覚だが、学校が合わないと感じる子どもを中心に、この先への希望を持てなかったり、生きづらさ・理解されにくさを感じる子どもたちはかなり多い。

だから、今のペースで夢中教室を拡大しているだけでは、あらゆる日本の子どもたちが希望をもって暮らせる社会にしていくには、まだまだ足りないのだ。
その悔しさを痛感することも山ほどあった1年だった。

だから、2024年は「1対1の伴走モデル」をもっともっとスピード感もって広げていく。
そして、「1対1の伴走モデル」に加えて、新しい事業を大きくスタートさせていく。

これはすでに動きはじめているんだけれど、ワオフル株式会社として大きなチャレンジになりそうな気がしているので、今からとてもワクワクもしている。

2024年も、ぜひ夢中教室を応援してください。

ことあるごとに投稿見てるよって言ってくれる友人、
切磋琢磨してくれるボーダレスの仲間たち、
夢中教室に関わってくれたすべての人たち。

誰一人として僕の人生に欠けてはいけない大切な人たちです。
もっともっと日本の子育てに必要な存在になれるよう、全力で走っていくので、引き続きよろしくお願いします!!

一緒に夢中教室を拡大して走ってくれるひろむくんに改めて感謝


最後に、少し長くなってしまうのだが、自分のプライベートであった忘れてはいけないことを書き残しておきたいと思う。

※注意
これからの記事には人の生死に関わる話が出てきます。
この先忘れてしまわないために、2023年の年末に書き留めたものです。
精神が苦しい時、しんどい時は読まない方がいいかもません。
その点だけご了承のほど、お願いします。

メメント・モリ

「メメント・モリ」という言葉がある。
日本語にすると、「人に訪れる死を忘ることなかれ」といったような意味になる。

今年は、そんな1年でもあった。

2023年12月


2023年12月、30歳になった。
そして誕生日を迎えた翌日、おばあちゃんがこの世を去った。

小学校に入るまでおばあちゃんの家で育ち、
小学校、中高時代、大学、そして社会人になってからも、
ことあるごとに茨城のおばあちゃん家を訪れ、色んな話をおばあちゃんとしてきた。

幼稚園の頃一緒に穴をたくさん掘った庭、
身長の記録を記した柱、
中学の頃に美術の授業で描いた絵、
おばあちゃんにあげたプレゼント。

至るところに30年分の思い出がおばあちゃん家には詰まっている。

自分の人生にとって欠かすことのできない、
数えきれないほどの慈しみを僕にくれた人。

102歳の大往生だった。

亡くなる前日、自分の誕生日の日、30歳になったことを入院していたおばあちゃんに伝えにいった。
「寛明が30歳まで生きることはできないかなあ」
なんて冗談まじりで生前言ってたけど、1日分、ギリギリ滑り込んでくれた。

30歳になったことと、髪をこれから切りに行くことを伝えたら、
だいぶ出なくなった声を振り絞って
(髪の長さが)「ちょうどいいよ」と、そして
「頑張れ」
と言ってくれた。

ずっと、ことあるごとに僕を心配し、応援し続けてくれたおばあちゃん。
今でも最後に握りしめてくれた手の感触を忘れられない。


おばあちゃん家の近くの大好きな景色


愛情に溢れ、慈しみ深い人だった。
小さな身体に決して折れない芯をもち、関東大震災も太平洋戦争も戦後高度経済成長期もそしてコロナ禍も強く生き抜いた人だった。

おばあちゃんがいなかったら、辻田寛明という人格はきっと形成されていなかったことだと思う。

最大限のありがとうを伝えたい。
そして、これからも見守っていてほしい。

いつかは来るものだと思っていても、もう会えなくなるというのはとてもとても辛いことだ。
それでも一日一日はやってくるし、おばあちゃんが安心してまた笑っていられるように、僕ができることを精一杯これかもやっていこうと思う。

こうした気持ちは、悲しいかな忙しい日常を過ごしていると少しずつ薄れてしまうから、
大切な時に思い返せるように、あまり本意ではないけれどこうしてnoteに残しておこうと思う。

おばあちゃんのように慈しみの心をもち、
自分が関わる人々に少しでも幸せを配れる人になっていけたらいいな。

ありがとう、大好きなおばあちゃん。


2023年2月

もう一つ、忘れてはいけないことがあった。

今年の2月、高校の友達がこの世を去った。
事故死だった。

詳しいことを書くことは控えるけれど、とにかく衝撃だった。
友人から電話で伝えられたとき、正直何を言ってるのかよく分からなかった。

何をしても死なないような生命力にあふれたやつだった。
その友達の実家にお邪魔させてもらい、高校の体育祭応援団メンバーで集まって夜中までふざけあったりしていたが、何かとみんなの中心にいた人だった。

当たり前のことだけど、命は永遠のものではない。
未来のことなんて誰にも分からないし、もしかしたら今日が最後の日になるのかもしれない。

そう思って、生きることがこの1年は多かった気がする。
でもそう思うと、少しでもこの世界に何かを残せるよう、今日という1日を精一杯生きようと思える。
自分に親しくしてくれる人たちに少しでも感謝の気持ちをもって、ありがとうと伝えられたらいいなと思える。

この1年を振り返ると、嬉しいこともたくさんあった反面、悲しい別れがあって、その分1日1日を大切に生きようと思わせてくれた。

その友人の大好きな漫画の中のあるキャラクターが、「人が本当に死ぬときは、人に忘れられたときだ」と語っていた。
自分にできることは、先に逝った人たちを忘れることなく、自分にできる自分らしい生き様で、後悔なく今日を生き抜くことなのかもしれない。

そんなことを改めて思いながら、この年末を振り返っている。

改めてこの1年は、自分に関わってくれてきたあらゆる大切な人たちのありがたみを感じた1年だった。
ありがたいとは、「有り難い」と書き、当たり前では決してないということ。

2023年もたくさんの人に支えてもらい、幸せを分けてもらい、充実して生きることができました。
今年の漢字を一文字で表すなら、「慈」が相応しいかもしれません。

本当にありがとうございました。
この「有り難さ」を当たり前にすることになく、新年も生きていけたらなあと思います。

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