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連なる夢の旅ー巡りゆく 遠藤彰子展

上田市立美術館で2月12日まで開催していた「巡りゆく 遠藤彰子展」へ。その作品たちに圧倒されたので備忘録として感想を残す。

遠藤彰子と出会う

恥ずかしながら遠藤彰子を存じ上げなかった。それでも足を運んだのは、「上田市美でやるのだから良いものだ」というキュレーションへの信頼から。その信頼は間違っておらず、行って良かったと思える展示だった。

圧倒的な大きさと緻密さ、そこから発せられるエネルギーたるや、言葉にならず。語彙力がないので「圧倒されました」の一言に尽きるのだが、それでも言葉を紡いでいこうと思う。

まずはこちらをご覧ください。この大きさ。入り口に鎮座する「鐘」という作品。その迫力にどすんとやられたわたしです。

「鐘」(2007-8)の前に立つ筆者

そしてこの大きさの絵がこのように並んでいる。

すごい(すごい)と語彙力が吹っ飛んだ。すごすぎて口が開きっぱなしになっていた。「ポカン」という言葉が頭上に浮かんでいたに違いない。マスクがあって良かった。

連なる夢の旅

「私の街」(1982)

遠藤彰子の作品は、ただ大きいだけではなく緻密。大きさに加え、凄まじい情報量と物語が詰め込まれている。近くで見たり、離れて見たり。身体を動かさずにいられない。その鑑賞体験はまさに「体感する絵画」。受付でも「後ろに下がる時は、他のお客様に気をつけてください」と言われた。それだけ夢中になってしまうのだろうと察した。

「私の街」の心ひかれた部分

一歩、また一歩。進むたび、新しい絵が、物語が、大きな口を開けて待っているような感覚になった。それはまさに連なる夢。夢から夢を渡り歩くような独特の浮遊感に足がすくんだ。

「雪・星ふりしきる」(2020)
「雪・星ふりしきる」の心ひかれた部分
「ことば響くあたり」(2019)
「ことば響くあたり」の心ひかれた部分

出会いと別れと夢の先

遠藤彰子の絵は、好みかと問われると、きっと好みではないと思う。鑑賞中、色々な意味で「怖い」と感じた。それでも、わたしは、ふとした瞬間にあの夢のような作品たちを思い出すだろう。怖い、好みではない、でも、心に残った。そんな作品に出会えたことを喜ばしく思う。

(この展示は、写真撮影およびSNSへの投稿OKでした。念のため)


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