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4歳の息子が誕生した日の話

私の愛する息子が4歳の誕生日を迎えた。もうね、とにかく可愛い。愛されている感をビシビシ感じる。

彼が産まれる直前。

彼が産まれる日前後のことはよく覚えている。

妊婦検診でどうやら週数の割にやや大きそうだと言われていた子。我が家は出産するまで性別は聞かない方針にしていたので、大き目な男子か女子かは不明。ちなみに当時3歳直前だった娘は小さめちゃん。小さく産んで大きく育てるが目標だった私は正期産に入ってからひたすら早く産まれてくれと念じる日々。私の周りの2児以上出産経験のあるママたちは2人目は思ったより早く、出産もスピーディだったという人も多く期待していた私。

臨月に入ってから、義母が東京に手伝いに来てくれて。産休に入って穏やかな日々を過ごしながら、毎日欠かさずオロナミンCを飲用。オロナミンCを飲むと産気づくって迷信あったよね?
そしてある晩、近所の焼き肉屋へ。今考えると、妊婦で焼肉なんてカンピロバクターとかその他の食中毒系のリスクも高いのによく行ったなと。しかし、焼肉も産気づくという迷信に期待して、焼肉からの帰宅後もオロナミンCをごくごく。

翌朝、5時頃に一緒に寝ていた娘が起床。いつもはお寝坊なのにこの日はやたら早起き。(察しのいい方々、フラグたちましたね)
娘をなだめながら、まだまだ寝ていたい私はゴロゴロ。

前区陣痛ともとれない下腹部痛を感じながら。

9時半頃にようやく起きて、土曜日だったので娘と一緒にダラダラ。念のため陣痛間隔を測ると15分切ってる!?

前日、焼肉の後に残務をして屍のようになっていた夫を叩き起こし、「陣痛来てるかも、、、病院に電話したらすぐに来てって、、、」(当時、夫は激務が続きもう廃人のようになっていた)

いつでも入院できる準備はしていたので荷物を持って12時頃病院へ。当時の自分の職場の産科病棟へ。前回のお産の時もお世話になった師長さん直々に内診していただき、あまりの痛さに絶叫。そのままおしるし。ちなみに絶叫は廊下で待機していた夫にも聞こえていたらしい。皆様に申し訳ない。経産婦ということもありそのまま入院。陣痛は定期的にあったものの、自制内でとても余裕こいてた。前回の陣痛があまりにも辛すぎたので、経産婦はこんなものなのかと。

目指せ夕方分娩!

だったけれど、陣痛が一度遠のき焦る私。無駄に階段で売店へ行ったり、今のうちしかないとシャワーを浴びたりしていた。ら、シャワー終わりごろに陣痛再開。脱衣所で全裸で悶える間抜けな自分。陣痛の合間に着替えて自室へ。職員だし、経産婦だしと入院時点で分娩可能なベッドに入院していた私(LDRともちょっと違うけれど)。夕飯もこれが最後の食事かもしれないと思って陣痛の合間に頑張って完食(これ後悔したわ)。

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夕食後から陣痛がいよいよ強くなってきて、入院時の余裕はどこへやら。というか、目指せ夕方分娩も思い出せないほどの痛み。入院後一度帰宅した夫がまた付き添ってくれていたけれど、夕飯直後に急激にきた陣痛に焦る。ベッドに横になり、痛みに耐えるけれど耐えきれずナースコール。助産師さんの内診で子宮口はかなり開いてるけれどまだまだ。そして、一生懸命食べた夕飯をリバース。

19時半頃の内診で子宮口8cm。あと少しと思っていた私。

実は上の子の出産時、入院時(朝9時頃)は子宮口4cm開大で分娩は早くて夕方と言われていたけれど、12時前に破水。すでに子宮口全開大で助産師さんに「髪の毛見えてるよ!!!(頭ではない)」と言われ13時前に分娩。

という感じだったので、こんなに痛ければ、8㎝だったらもう産まれるだろうと高を括ってた。しかしそれから2時間後、陣痛間隔がなくなってきたのでナースコールをしたらまだ8cm。。。助産師さんは「子宮口か前向いてきたから順調に進んでますよ」って言われたけれど。8㎝と聞いて、さっきと状況変わってないんかーい!!!という心の叫び。

念願の分娩。

ようやくそこから1時間ちょっとしたころに無事に分娩。あまりの痛さに絶叫したら、助産師さんに「声出さない!!!」って怒られた。痛みを口で逃がすとうまく分娩できないらしい。痛みをこらえておへそを見る姿勢で力むと良いらしい。そんなこと知らんがな(経産婦なのにすみません)。

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かわいいー!!!!!!!!!!!!!!!!!!(自分の息子です)

分娩後、2時間は分娩台で安静にしていたのだけど、その日は分娩ラッシュだったようで、あちこちから悲鳴が。でも、うん、みんな私ほどは叫んでいなかったな。冷静になると恥ずかしいやつね。

私は上の子の時も下の子の時も妊娠すると両下肢に深部静脈血栓症(いわゆるエコノミークラス症候群)を発症するという体質だったので、ハイリスク妊婦。(このことについてはとても大変だったのでいつか記事にしたい。)おそらく助産師さん方は気を付けてくださっていたに違いない。想定よりも長時間分娩台で安静にして(腰が痛かった)、ようやく許可が下りて車いすで一般病室へ。

しかし、いわゆる産後ハイになっていた私は全く眠れず、空腹が強すぎて、予め夫が買ってくれていたサンドウィッチをモグモグしていたら、その音のせいか同室のベビーが目覚めて泣き出し、心の底からごめんなさいと思ったのもよく覚えている。

娘のがんばり。

冬の分娩で、インフルエンザ等の季節性の感染症も危惧していたため、入院前から個室希望をしていたら、運よく産後翌朝には個室が空いて入室。個室にした一番の目的は、娘もゆっくり面会に来れること。病院ではよく冬季になると中学生以下の面会お断りってところが多いので、個室にしておけば面会禁止にならなければ、他の妊産婦さんにも迷惑をかけないだろうと。
娘は私が入院してから、特に私の分娩時は夫も不在だったけれども泣くことなく義母と過ごし、保育園に行って過ごしてくれた。
娘が面会できたのは月曜日で、義母が保育園の迎えに帰りに電車で4駅ほど経由してやってきた。3歳前の子供が、時々しか会わない義母とおとなしく電車で会いに来てくれたのかと思うと、娘の急激な成長に、というかつらい思いをさせているのではないかと胸が苦しくなったのを覚えている。

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面会時間が終わり、帰るとき。息子が寝ているコットを押してエレベーターまで見送りに行ったとき、私と息子が一緒に帰れないことを理解できない娘は「おかーさーん、おかーさんも一緒いこー」て泣き叫んでいた。息子の誕生は嬉しかったけれど、まだ幼い娘に心理的負担をかけていることを実感した。

それでも退院後、娘は弟をいじめることなく可愛がってくれたし、変に赤ちゃん返りすることもなかった。それが適切な育ち方なのかは分からないけれど。

現在の息子。

そして息子は4歳になった。出産時の娘の1歳上。The・2番目っていう言葉が似合うくらい甘えん坊になった。先日、夫に連れられて私の職場に来た時、残務で帰れない私と一緒に痛くて大泣きする程。関東から岩手に引っ越し、生活環境もお友達もガラッと変わった一年。保育園に迎えに行くとニコニコ顔で来てくれて、特に週明けの朝は「お休みしたい」というものの泣かずに保育園へ行き、元気いっぱい遊んで。保育園の先生からは、とても優しくていい子ですというお褒めの言葉をいただく毎日。彼なりに頑張って適応しようと過ごしてくれているんだなと。

毎日何かしら発生する姉弟げんか。でも、やっぱりお互い好きみたい。

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小さめお姉ちゃんと大きめ弟。

お誕生日は「焼肉がいい!」ていう息子の希望で近所の焼き肉屋へ。毎年何かしらの手料理をしていたけれど、私の余裕がなくて甘えて外食。でも、そんな子供たちの姿を見ながら、危なげなく焼肉屋へ行けるようになったとか、自分が食べ終わっても大声出したりしないで本を読んでいられるとか、随所に成長が見られて幸せでしかなかった。夫に「子供が大きくなると自分らも年を感じるね」って言われたけれど、それ以上の幸福感に気づいた。

先はまだ長いけれど、じっくりゆっくり成長してくれたら、それ以上のことは望まない。そんな一日でした。

ちなみに誕生日プレゼントは煉獄さんの日輪刀。

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鍔元には惡鬼滅殺と書いてあります。長すぎてまだ小さい息子にはかっこよく剣を抜けません。ちなみに購入したのはこちらです。

煉獄さん以外にもいろいろな鬼殺対の刀があります。あと、腰ベルト付き。注文してから到着まで10日ほどかかっているので気になる方はお早めに。

とにかく息子が可愛いんです!!!というお話でした。長くてごめんなさい!!!

ではまた。


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