Q. 創造性を発揮していないデザイナーはどのように生活しているのですか? サラリーマンやアルバイトをしているのでしょうか?(HTさん3年)



F おっ。3回目にして早くも厳しい質問がきましたねえ。どうです?

Y 山に農作業に行ったり、古民家カフェなんかして凌いでいるのですよ。とほほ。

F 身につまされるなあ。その点、ワタナベクン、ここは、ちょっと偉そうに。そしてジェラシーも含めてワタナベクンとしたい気がする、はあんまり関係なさそう。このところずっと、大忙しみたいのようだしね。

W 仕事がたくさんあることと、そこで想像性を発揮できているかはまったく別の問題だと思いますが。この質問は、創造性がないデザイナーなのか、仕事がなく創造性を持て余しているかでは、意味が違いますよね。持てる創造性を発揮し得ていないデザイナーについてのことなのか……。

F この質問は確か、吉岡徳仁がミラノのサローネで仕事をしている様子を紹介した時のものだと思うけどね。彼が職人に何度も何度も指示を出していて、それが、まさに創造性あふれるデザイナーの姿として映ったんじゃないのかな。

W 創造性とは何なのでしょうか?

F 逆に、創造性が発揮できたと感じられないのはどんな時なのだろう?そうそう、そう言えば、農作業やカフェの仕事のかたわらで、ヨコヤマさんは有名建築家であるナカムラサンと協働しているところだけれど、その時は創造性を発揮していると思えるのしら?それとも、思えないの?

Y デザインの決定権というか、裁量権とかに関係しているような気がします。
割と大きな物件なので、ナカムラサンが全て決定することは出来ないですし、ボクにも現場での裁量権はあるのですが、それはやはり自分のデザインではない気がします。ナカムラ好みを忖度(笑)しますよね。

W ボクも事務所勤めをしているときはそんな感じでした。一物件を各担当者に任せるスタイルだったので気合いを入れて図面を描くのですが、要所々々のボスチェックでたくさん赤が入ります。赤を修正するのはとても大変ですから、自ずと忖度するようになります・・・

F それは、自身の「創造性」が発揮できないということだよね。ということは自分名義以外の作品そのものに含まれる「創造性」とは別物だということなのだろうか?

Y 事務所勤めの最初はまあ右も左もわからない。裁量権などがあったらかえって怖いと思うかもしらない。そのうちに自分で決めたくなっていき、最後に独立せざるを得なくなるわけです。

W 僕は創造性の発揮の機会に不満があったわけではなく、別の理由で独立したわけですが・・・

F ちょっとしつこいようだけれど、創造性というものは自身の中から生まれて来るものの方が重要ということなのだろうか?

W 施主の話を聞いたり、現場での現実的な問題が浮かび上がって来ないとデザインのアイディアが出てきません。自分の手や頭から生まれたアイディアのようでも、それはもとを辿れば施主の希望や現場が抱える問題に端を発しているように思うことがあります。

F そのことと先のボスのことを忖度することとはあんまり違いがないような気がするけれど……、やっぱり違う?

W 例えばボスから、この1,000mmを500mmにしなさいという指示にただその通りに修正するのと、ここをもっとシュッとさせなさいと言われてその具体策を考えるのとでは、作業の創造性に大きな違いがあります。言われたことを言われた通りにするのはつまらないと思うのです。

Y デザインコンサルをいくつかの所でしましたが、あるとき気づいたのです。私の創造性を求めているのではないと。

F 具体的には、どういう事なのだろう?

Y 新しい商品やデザインの企画があると、ブレストなどをするのですが、本当のクリエイティブなアイディアはなかなか出てこないのです。インハウスデザイナーも優秀な人が集まっていますから、それぞれの今までの知見がある。そのアイディアを聞いてあげるのが、コンサルタントの役目、意見の調整役だと思う。

F ブレーンストーミングでクリエイティブなアイデアを出さないのは誰?。それがインハウスデザイナーとしたら、汲み出すのは難しそうだけれど、それこそ、当の本人が気づいていない良さを引き出すことが求められているってこと?

Y ブレストは難しい、ファシリテーターがいないとうまくいきませんから。デザインナーと言うのはある意味ファシリテーター、または編集者(エディター)のようですね。

W アイディアは既にある、というかもはや存在しているものでそれを拾い上げる感覚ですね。

F かのミケランジェロは、「私はただ大理石から彫刻を彫り出すだけなのだ」というようなことを言ったそうだけれどね。

Y 漱石の「夢十夜」にもそんな話がありましたね。運慶だかが、仏像を彫っている。それを見た人が、運慶は「もともと埋まっている仁王を掘り出しているまで」で、土から石を掘り出す様なものだから簡単なことだと言う。

F で、それを聞いた若者が真似して木を彫ってみるけれども、そこには仏は埋まっていなかったというような……。

Y そうそう、そんな話でした。

W やはり、アイディアは埋まっていないのですかね。

F というか、すでにいろいろな形でそこここに隠れている、アイデアのヒントを見出す力が必要なのだというふうに思いたいけどね。でもね、それはともかくとしても、まだはじめの問いの答えになっていないようですよ。

W ミケランジェロや運慶は石や木の中にアイデアのヒントが見えるのですね。夢十夜の若者はそれが見えない。見えていても気付けない。想像力とは普段のものごとの中にアイデアのヒントを見る力でしょうか。であれば、サラリーマンやアルバイトといった職業は関係がない。あらゆる日常にアイデアは埋まっている。それに気付く力が創造力でしょうか。

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