スクリーンとしての床・壁・天井

つい先日のことですが、昼には少し早い時間に中庭に出た(これには少々わけがあるのですが、それはまた別の話し)。
屋外のテーブルに座って眺めていたら、久しぶりによく晴れていたので、壁や地面に映る木々の影がよく見えた。

その時に、少しコントラストが薄く感じられたので、ああやっぱり季節によって映り方が変わるのだなと思ったのでした。
でもしばらくすると、夏と同じようにくっきりとした影が現れた。季節による変化と言えばいかにもありそうなことのようだけれど、案外そうでもなかったというわけ(こうしたことは、少なからず他にもありそうな気がします。自戒)。その後も、影は弱くなったり、強くなったりの繰り返し。しばし見とれていたのでした。

で、スクリーンとしての壁ということを思いついたわけです。これは言うまでもなく、分節するための壁ではなく、文字通り映し出すための壁のこと。

光(または、その裏返しとしての影)はもちろんのこと、時間や風をもくっきりとした絵として見ることができ、おかげでいつも以上に体感することになる、と思うのです。

僕は、表層にとらわれ勝ちな視覚的な人間であることを自覚しているつもりですが、なんであれものを見る時には、姿形はもちろんですが、それ以上に光りと影のつくる景色が好きなようです。空間について言えば、外に限らず室内でも同じです。

ちょうど、昨日の卒業研究の打ち合わせ(学生の他に、noteの3人が揃った)の時に、参考例として隈研吾の手になる長岡市庁舎の中庭が出たので、それならこの話題をと思った次第でした(ちいさな、種はあるのです)。暇なのねと言われれば、確かにそうなのですが、それを利用して、話題のために広く網を打っておいたり、ちょっと幕間の場つなぎのようなものになればと思ったのでした(ま、鈍い年長者のできることは限られているのであります)。(F)

*何回か(いや、何回も)触れたことがあります。たとえば、こちら。
http://home.kanto-gakuin.ac.jp/~fujimoto/pg33.html#壁に現れた抽象画ふたたび
http://home.kanto-gakuin.ac.jp/~fujimoto/nicespaces.html#053%20アラブ世界研究所!?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?