眺めがいいね #福井旅4日目
山城
福井滞在も4日目。今日は嶺北へ攻め入る兵になろう、ということでまずは道の駅とモンベルが併設されている越前おおの荒島の郷へ服の調達を。
モンベルではご当地Tシャツがあるので、雲海の中にそびえる荒島岳が描かれたをTシャツを購入。ほだかは穂高岳が描かれてたものを購入し、その場でしっかり着替えていざ参らん!
嶺北で最初に向かったのは越前大野城。
歴史は割愛するが、廃藩置県時に城郭は壊されたが戦後に再建されたらしい。
標高249mに位置する山城で、グダグダいいながらもしっかり登った。
まだまだTwitter現役世代のぼくは情報収集の時にTwitterを見るのだが、越前大野城に行く前に見たツイートが「歴史的に海に逃げたものは滅び、山に逃げたものは生き残る」という旨のもの。
登ってわかる、その意味。
どこまで行ってもどこかに逃げられるだろうし、えげつない傾斜の中攻め入るのは大変だろう。
下界から汗だくになりながら30分弱かけて辿り着いた天守閣からの眺めはこれまた絶景。昔の人は本当にすごい。
下界に降りたら、武家屋敷旧田村邸へ。越前大野城の下界は京都のまちなみを模した条坊制を採用していて、城下町は歩きやすい。また、清水がかしこで湧いていてよかった。
旧田村邸では風車をあちらこちらに飾り、いわゆる映えスポットとなっていて、若者もチラホラ見かけた。風車を1つ買い、遊びながら帰った。ほだかもぼくも、今年25歳。居た堪れぬ何かを感じるが、童心に帰るとはまさにこのことである。
怪獣≠恐竜
続いて訪れたのは福井県立恐竜博物館。
恐竜博物館は2000年に開館した、「恐竜の世界」「地球の科学」「生命の歴史」などを学べる博物館。いろんな化石や模型も無数にあるので、それらを見ながら長い長い歴史を知ることができる。
そんな恐竜博物館は、2023年7月14日にリニューアルオープンしたようで、初の大型連休だからか館内は子どもを連れたご家族で賑わっていた。
化石の説明板を見て「なんたらザウルスや!」とか「これ大好きな恐竜!」とかいっている子どもたちを見て、慄いた。よう覚えてられるな。好きこそ物の上手なれ、とはよくいったものである。
小さい時からこのような博物館・美術館などの無形の文化に関わる何かを所有することで、文化資本が形成される。ぼくはブルデューが好きなので、好き嫌いは置いておいて、文化資本に触れていくことには大賛成だ。触れた後に好き嫌い、などと自我を持ち深めるかどうかなどを判断すればいいわけで、触れる前から否定する必要は毛頭ない。
それにしてもぼくは全く恐竜の名前はわかりませんでした。横文字は難しい。
改めて気づいたが、福井は「地形」に関する話題が多い。年縞にしても、化石にしても、海岸線にしても、山城にしても。
その全てが他の地域にはない特性を生み出している。ブラタモリみたいに地形に着目して地域を見ても面白いんだろうな。
帰り支度
さて充実した福井旅もいよいよ終盤へ。実は本当は3日の滞在だったが、諸般事情で4日に伸ばしたので服が微妙に足りず洗濯させてもらっていた。
それを取り込みに一旦竹田へと帰る。帰り支度をしている時が1番名残惜しい。
行きは奈良土産でいっぱいだったキャリーケースは、福井のお土産でいっぱいに。有形無形問わず、である。
ぼくがいつもこだわるのは「人に何かをあげる時はできるだけ「物」をあげる」ということ。
食べ物ももちろんいいんだけども。しかし、食べ物は食べたらなくなる。
「ああ、いついつ誰々さんからこれこれをもらったな」という記憶が消えてしまうかもしれない。
物であれば、捨てない限りは残る。その物を見て、いつ誰からもらったのか、その人とのエピソードやそのものをセレクトしてくれた(した)理由などが想起される。
物であれば、記憶の旅をすることが容易にできる。
今回も手ぬぐいコレクターの自分用に期間通してあちこちで買った手ぬぐい、2日目には越前和紙で装飾された茶缶、キャップ、越前ガニスマホカバー、3日目にはチロルリボンのスマホストラップ・カメラストラップ、4日目には恐竜ステッカー、福井限定Tシャツを購入。
それぞれに銘々のエピソードがあり、同じものであっても、それは唯一無二のものになる。
だから嵩張っても、物がいいのだ。物なら、他人にそれを広めることもできるし。
そんなことを思いながらパパッとパッキングして、汗を流し、最後の晩餐はソースカツ丼。福井ご当地グルメで締めくくり、福井を発った。
帰りは遅れることなくサンダーバードは向かう場所に連れていってくれた。奈良まで2時間半、意外と近いのだ。
2024年3月には敦賀〜福井間で北陸新幹線が延伸される。もっと行きやすくなるな!
概して
長いようであっという間。
1日目は坂井市三国エリア、2日目は嶺南・鯖江、3日目は坂井市丸岡エリア、4日目は嶺北と、4日間で嶺北も嶺南も回った旅はこれにて終幕。
ほだかに言わせてみれば「なかなか回った」らしい。ほんまによう回った。
4日間アテンドや運転をしてくれ、本当に感謝。奈良から特産品送りますので福井で奈良を広めてちょうだい。
龍角散・やんきという、大学時代にぼくとたまたま出会って今もなお仲良くしてくれている2人とも、久しぶりなのに久しぶりじゃない感じで会えてよかった。
余談だが、ぼくが友人に欠かせないと思う要件は
・沈黙を共有できること
・久しぶりに会ってもつい最近もあったかのように会話がスタートできること
と考えている。
龍角散・やんきもまさにそうである。
普段からこれに当てはまるか!?と言って人を見ているのではなく、今も仲のいい人たちに共通するのはこの2点だなと思うわけで。
条件というと差し出がましいが、これ以上いい言葉が思い浮かばない。
この旅を概して言うのであれば、原点だった。
いろんな原点に立ち返ることができた。
その原点に立ち返るために必要な鍵のような存在の1人がほだかである。
大学3回生から出会っただけだが、刺激を与え合い、時に思考の海に潜り、痛いところを刺し合ってきたと思っている。
出会ってからの時間は多いとは言えないとしても、その質でいえば最高に近いくらい高い質でやり取りしてきたろう。
そうはいっても5年か、早いな。長いようで短い、そんなずーっと5年を過ごしてないが振り返ると濃いな。
大概、ぼくが考えていることは解られているあたりが怖いが、彼はぼくが見られない景色を見せてくれ、いろんな物事へのきっかけをくれる。
そのような存在が2〜3人でもいれば、ぼくは2〜3人からぼくが生きていくなかで見られない景色を追体験できる。
もしかしたら自分もそんな景色を見たい、と人生のターニングポイントになりうるかもしれない。
そんな人間関係を築いていきたいし、ぼくも彼にとって見られない景色を見せられるような、そんな人間になりたいのである。そうすることが、ぼくに課せられたことであろうし、ぼくが成し得たいことの1つでもある。
これからのお互いの景色が眺めのいいものだといいし、きっとそうなるように場所は違えど努力するはず。
遠くない未来に一緒になにか、わくわくすることをやってみたいとも強く思う。
そうでなくても、そうであっても、またこうして、距離を飛び越えて時々は必ず会って、いろんな話をしながら、人生の年輪を重ねていきたい。
関連して、ぼくが好きなバンドの一つ、ハンブレッダーズの「遠足」という曲の歌詞の中にある一節にこのようなものがある。
日常を生きることは、旅行などの非日常とは違い、揺らぎのない暮らしであることはとても理解できる。
それでも、原点に照らして自分に正直でありたい。
1つずつ自分に正直になりながら、ありたい姿になるべく、各所との整合をとりながら進むほかない。
こうすることが、ぼくの友人からしてありたい姿に繋がっていくはずだ。
改めてぼくが認識した原点
寸評
今回の旅の寸評は「思い出せ、死ぬことを。さすれば、日日を好日にせよ。」だ。
ぼくの人生の原点でもあり、原点を痛感した旅だった。
これについても、改めて深く考えておきたいのでそう遠くない未来に記すことにする。
今回の旅のプレイリスト
https://music.apple.com/jp/playlist/memento/pl.u-aZb0Y16FKr3y2D
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