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青春とは心の様相

この土日は自分にとって必要な時間だった。

春日若宮おん祭り

土曜日はたまたまお誘いいただき、春日若宮おん祭りに行った。今年でなんと888回目。888年途切れることなく続く、祭事。訪れたのは深夜0時から始まる遷幸の儀。
春日大社の若宮社の神様をお旅所の行宮へ移られるのを参列するというもの。

辺りの明かりは全て落とされ、静寂と月明かりのみが支配する。明るさも静寂も全ては自然まかせ。人間は文明無くして如何に無力か。
暗さに目が慣れると辺りがよく見える。星あかりの明るさに初めて気づき、人間は如何に見ようとしていないのか、と思い知る。

厳かな空気が漂う中、遠くから聞こえる雅楽の音と「ヲーヲー」という警蹕の声と共に地べたを引きずられるお松明がやってくる。

その後ろをおつきになる、神様。

頭を下げてお通りになるのを五感で感じる。何かすごいものがお通りになるような、そんな実感が確かにある。
神様への畏怖の念もさることながら、厳かな空気も祭事に欠かせない要素だった。

その後、お旅所に移られた神様に祝詞や神楽を奉納する暁祭へ。土曜日は比較的穏やかな気候だったが、徐々に低気圧の訪れを感じさせられる。
風にそよく御幣や木々。空に瞬く星。静かに鳴く神鹿。彼方まで響く神楽。
真夜中の神楽は神秘的以外の何物でもなかった。
彼の人々は888年同じことをしてるとも思わないだろうが、確かに同じものを見ていたのだろう。何を思うんだろうか。

ひょんなことから夜遅くまで稼働することになったのはいいものの、翌日も朝が早かった。だから、夜通し起きたまま、一人旅に出かけることにした。
今のぼくには、一人で何もしない時間が必要だった。
始発で福井に向かう。空がだんだんと明るむ。一人旅の幕も同時にだんだんと上がっていた。

一人旅の行方

ぼくは、冬の青が好きだ。
透き通った空、水、大気。ようやく好きな気候になってきた。
京都でサンダーバードへ乗り換え、空気の確かな冷たさを感じる。これが切望していた寒さだ。

京都駅 柔らかな空が冬の訪れを知らせる

奈良を出て約3時間、福井の地を踏み締める。身体がこわばった。寒すぎる。
みぞれか雪かわからない何かを浴びながら、乗り換えの1時間半で養浩館庭園と福井城址へ。

養浩館庭園は池が名勝らしく、福井城主の松平氏の別荘のような場所だったらしい。
空襲で全てが燃えたが、当時の設計図や残った基礎部分を活用して同じ間取りで建屋を建て替えた珍しい庭園。
建物は現存してなくとも、松平氏が眺めたろう位置から庭園を眺める。氏は何をか想うか。

外は雪が降りしきっていた

そんな悠久の歴史に想いを馳せているとあっという間に時間は過ぎ去り、次の目的地の春江へ。
ほだかの友人で後述するSakai City'sのメンバーが時間を作ってくれ、ランチをした。

美味しい冬野菜と地鶏のパスタをいただき、五感で冬の訪れを感じる。舌鼓を打った後は今回の主目的のSakai City'sの演奏会へ。
Sakai City'sは坂井市職員で構成されているバンドで、ほだかも御多分に洩れずメンバーの一員らしい。
目的がない時間は少し苦手なぼくは、この演奏会を訪ねることだけを目的に、福井へやってきた。

メンバーの彼に帯同したので演奏会までしばしブレイク。3時間空きがあったので、付近をうろちょろしたり人間観察したり思考の海に潜ったりした。何もない時間はひょんなことから与えられる。

会場の丸岡バスターミナル

もちろんリハの音漏れも聞いているわけだが、他のメンバーが休憩している時も先ほどの彼は練習していた。
なんて健気なんだろう。見えない努力ができる人は大成する。ぼくは子どもたちからそれを教えてもらった。

いざ始まった演奏会。かぶりつきの席で聴かせていただいた。月2ペースでいろんなライブを見てきたが、違う良さが確かにあった。
地域の人を楽しませるそのマインドが随所にあり、演奏技術どうこうではなかった世界。
目の前の一人を笑顔にできるか、きっと彼らはその方法を知っていて体現するために、幾多の努力を積み重ねてきたはずだ。

同時に、詩の一節を思い出す。

青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ

サミュエル・ウルマン Youth

彼らは青かった。中身ではなく、心意気が。そこには躍動する強烈な青の閃光が見えた。
そして件の彼は、練習の成果もあって完璧な歌唱。声に想いが乗って、それが伝わってきた。

同時に背筋が伸びる。

自身は目の前の一人を笑顔にするための努力を怠らずできているのか?
自身の心意気はいじけた大人のうわごとに惑わさず、青春のままでいられているのか?


健気な件の彼やメンバー諸氏に確かに学ばされた瞬間だった。

表現者はいつだって美しい

物思いに耽りつつ、ほだかに送ってもらい福井駅へ戻ってきた。
帰りの時間は適当にしようと思っていたので、駅前の商店街や総合商業施設をいくつか回る。
福井には来すぎているので今回は自分土産を中心に見て回ったが、やはりせっかくなら地場産業の何かを買いたかった。

親栄商店街 エッジの効いた店が連なる

アイコン的な(ブランド品や有名人が持ってるから自分も欲しいみたいな)消費を否定しないし、ぼくもそうする時もある。
でも、確かにその地場に根を張り育ってきた産業をせっかくなら積極的に選択して、ごく微力ながらも何かお力添えできれば、と思う。
ということで提灯🏮買いました。部屋の間接照明に〜と思って。今から灯すのがたのしみ。

最後にSakai City'sのリーダーから伺った駅前の立ち食いそばを食べて一路奈良へ。お出汁が美味しかったなー。
欲求も満たされ疲労がアシストしたのか、帰りのサンダーバードは記憶がない。
気づいたら京都に着いていて、そこからまた物思いに耽りつつ帰寧した、そんな一人旅。

こういうのが1番うまいって知ってます

書き散らし

今回の旅では1冊のメモ帳とペンとを携えていた。
思ったことを書き出して、写真に残しておこうと思って。
別に大したことを書いているわけではない。
ただただぼんやりとした思考に言葉を纏わせ、吐き出したいだけ。

ビビッドなオレンジが単色の日常を華やかせる

でも、それが大切なのかな、と思う。
なんの気なしに思っていることや考えていることはぼくの根幹を為すもので、自己理解に欠かせない。
しかしこの慌ただしい日常では、そのぼんやりとした思考は見に行こうと思わないと見に行かないことがほとんどで。
いざ人生のターニングポイントがやってきた時に「自分は何者か?」「自分はどこに行くのか?」がわからなくなるかもしれない。

だからこそ、書き散らす。
それがたとえ誤っていても書き出す。文字にして、メタ認知する。
そしてメタ認知したことを基に再び思考の大海を旅する。
そうして他者への、そして自己への理解を深めていく。
「人を知ることは自己を知る旅」とミステリという勿れでも言ってた。これは真だろう。

だからこそ、ぼくは人を知ることをやめない。
人を知り、人から学び続け、自己を知る。

ぼくが選択してきた過ごしてきた全ての時間は、今のぼくにとって必要なものだった。
そう断言できる、師走のある土日。
明日からも、青春であり続けよう。
そう、青春は心の様相だから。

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